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対話376 舞城 王太郎 『スクールアタック・シンドローム』

2011.09.17.21:17




読書時間:2時間
個人的読みやすさ:B


 たぶん人は頑張りすぎると、普通の友達と遊ぶくらいでは息を抜けなくなるのだ。トトロみたいなのとドカーンと遊ばないと。
(p.136)


 この小説を読むのは二度目で、一度目は正確には忘れたが高校生の頃だったかと思う。もしかしたら大学生の最初のほうだったかもしれないが、そこらへんの記憶は曖昧。非常に痛烈に覚えているのは、この本の中に収録されている『ソマリア、サッチ・ア・スイートハート』という短編で、これに僕は衝撃を覚えたのだ。自分の力でどうしようもない感じというか、今流行りの言葉でいうと(もう流行ってないかも)NTR体験にも近いものがここには込められていて、しかももっとグロテスクでおぞましい感じ。この辺から僕の性癖は狂ってきたのかもしれない……舞城め……

 久しぶりにこの小説を読み返してみて、しかし『ソマリア、サッチ・ア・スイートハート』を最初に読んだときのような衝撃が再生されなかったのは少し残念だった。多分僕の中であの感覚は血肉化してしまったのだろう。さながら男たちがロマンを込めて日々酒場で語った、あの幻想を閉じ込めた小屋に足を踏み入れてしまったかのように。あれ、あの小屋の名前はなんだったっけ?いやそもそもその話が出てきた映画はなんだった?そしてそれを紹介していた本の名前は?僕は忘れていることが多すぎる。

 恐らくそれは悪いことではないだろう。『ソマリア』の中のエッセンスは僕の中に幾分根付き、それゆえに再読時には衝撃は少なくなっていた。代わりに以前よりも冷静に小説を読むことが出来るようになっていたし、同時にその他に収録されている話を以前よりも情感豊かに受け取ることが出来た。年を取ったからかどうなのかはわからないけど、あの時受け取れなかったものを今受け取ることが出来るようになっているということは素直にうれしいものだ。

 ところで上記引用にある「トトロみたいなのとドカーンと遊ばないと」というのは表現的に面白いし、現象的にも面白い。
幻想を提供しているという意味で、非常に疲れて摩耗した人が宗教とかに走り始めるのを少し想起させる。

 つまり、そもそも防衛とは過剰に行われて自然なものなのだ。
(p.22)

「俺は《マタギ》だって」
 と井上は言って部屋を出ていく。
 分かってない。
 この世には《手負いの熊》ばかりがいて、《マタギ》など存在しないのだ。
(p.24)

「何考えてるんだよあんた!もう早く病院行ってこいよ!」
何考えてるって……別に何も考えてないんだよ。わかんないかな。
(p.28)

暴力は伝染する。それを伝えるのはムードやトーン、つまり空気の色や温度と風の調子だ。でももう一つ暴力を伝達する方法がある。それは一発殴られたら一発殴り返す復讐の原理が人間性に歪められるがゆえの拡散だ。
(p.32-33)

「そもそも全てが無意味だよ。俺のお父さんは頭がおかしい」と崇史が言うので、俺は「でもこいつらみたいにクソじゃない」と言い、それから付け加える。「まあたぶん別のタイプのクソなんだ」。
(p.55)

「俺は責任をとるのがせいぜいなんであって、本人のかわりに反省はできねえよ。反省は本人の仕事だ」
(p.60)

 崇史は《父親コスプレ》をするなと言う。《親父イメクラ》はいらないと言う。《親父モード》に入るなと言う。
 これはつまり、口ばっかりで物を言うなということだ。
 役割で物を言うなってことだ。
 本気で思ってることを言えってことだ。
 そうだ、言ってることを本気で思えってことだ。
(p.74)

* * * * * * * * * *

「ふり」も演技も、長い時間をかけてやってれば、だんだん本物に近くなる。次第に「ふり」なんだかマジなんだか判んなくなる。
(p.98)

「もっと勉強しなくちゃなあ」と僕が言うとりえは言う。「ゆっくりでいいんだよ。これ以上勉強したら、人生じゃなくなっちゃうもん」
(p.125)

「犬くんも猫ちゃんも、満腹になるとゴロゴロして太ります。満腹にならないと、食べ物を探しうろうろしますよね、それがまたちゃんと運動になるんです。動物は、やっぱり食べ物を捜し歩いて運動するようにできているんですよ。」
(p.145)

* * * * * * * * * *

 何も判らない年齢の子供の身に起こる近親相姦は子供を嫌悪感罪悪感に苛ませながらも家族のほかに頼る世界はなくてどこか観念させてしまうが、淳一は変態過ぎたので杣里亜は諦めずに必死で逃げた。
(p.162)

「別にぶち殺してないよ。ちょっと殺しちゃっただけだよ」
(p.202)

 友達って不思議だ。友達になると思った瞬間に、もうある程度ちゃんとした友達なのだ。
 つまり友情も愛情も、大部分は振る舞いとか作法なのだ。
(p.211)

淳一の好き放題はもうエロってレベルじゃなかった。「アニマルやな~」と俺はおどけてみせたけど杣里亜も智春も笑わなかったし、冗談にするには飛距離が足りなかった。
(p.212)

 友達って、どこかが良くてなるもんでもないのだ。
(p.246)

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対話373 田嶌 誠一 『イメージ体験の心理学』

2011.09.17.19:40




読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:B


 特徴的なことは、いわゆる「解釈」はほとんど与えないということである。イメージ中の体験それ自体を、もっとも主要な治癒原因と考えるのである。
(p.50)


 人間の持つ「イメージする能力」および「イメージする技法」について、今まで読んだ本の中で最も平易かつ体系的にまとまった本。僕は以前からイメージストリーミングという能力開発法とイメージ療法の同一性について指摘してきたが、なんてことはない、この本が創刊されたその年にすでにそれは指摘されていたことだった。

 この本は非常にバランスがよい。
イメージする技法にはどのような種類があるのかがきちんとまとまっているし、基本はイメージを心理療法として使う場面を紹介しながらも、後半ではこれが「健常」者相手にも使え、恐らく能力開発に使えうるということも示唆している。しかもイメージ関係の本にありがちな右脳信仰みたいなところにも警鐘を鳴らしており、誰かにイメージを扱うということについての大体の概要が書いてある本を勧めるときはこの本がよいだろう。正直、この本の著者である田嶌先生のいる九州大学への院進学を考え始めるほどである。

 もともとイメージに関しては僕はイメージストリーミングと名付けられた能力開発法から入り、割とそれに馴染んでいるということもあってそれなりの知識やら洞察やらはあるはずだったのだが、特に上記の引用で示したような「イメージは解釈するまでもなく、それを顕すだけで意味があり効果がある」との指摘は非常に腑に落ち印象的である。

 古典的な、いや恐らくは現代でもなされているであろう「相手に夢の内容などのイメージを記述させ、それを分析者が解釈する」といった方法は、患者が物語をつくるのを助けるという意味で有用性はあると思いつつも、それがあらぬ方向へ行ってしまう時も必ずあるはずだと僕は思う。「自分の納得出来る物語」を生成することが心理治療においては重要になってくるが、あまりにも恣意的で外し過ぎた解釈は逆に害になり得るだろう。

 しかし、ただ単にイメージを記述するだけで効果が出るというのであれば、もはや治療者に求められることはその分析ではなく、イメージを表現させるのを手助けする観察者としての立場である。これは様々な点で非常に優れている。何よりも患者は治療者に依存する必要性が相対的に落ちるというのがポイントだ。

 また、能力開発を目的にするにしろ、その心理状態が大きくパフォーマンスに影響を及ぼすのは間違いなく、そういう意味で応用的なイメージテクニックを用いずとも、基本的なイメージストリーミング(目をつぶって現れたイメージを描写する)で全体のパフォーマンスが上がるのにも説明がつく。心理療法的効果以外にも能力向上に寄与している要素は他にもいくつかあるだろうが、僕はこの点を今一明文化出来ていなかったのでこれは一つの発見であった。

 有名なのは、イギリスの心理学者リチャードソンの分類である。彼はイメージを記憶心像(記憶イメージ)、想像心像(想像イメージ)、残像、直感像に分類している。
(p.19)

 イメージは時にもっと劇的な変化を引き起こすこともある。かつて、私たちに心身相関という現象をあざやかに示してくれたのは、催眠や暗示の領域の研究である。とりわけ有名なのは、九州大学心理内科で池見酉次郎らが1963年に行なった実験である。
(p.34)

 しかし、だからといって私たちは単純な右脳信仰に陥らないように気をつけなければいけない。おそらく、重要なのは両者の共同関係と統合であり、イメージを体験することが担っているのは体験の全体性の回復であると考えられるからである。
(p.38)

 以上のようなイメージ内容の展開を見れば、結局、彼が対人恐怖を克服するためには、「父殺し」「母殺し」という精神内界のドラマを経る必要があったということになる。
(p.56)

 イメージの心理療法的利用のスペクトラム (Singer, J, L,. 1974より引用)
(p.65)

 彼の方法は、患者に水晶球を凝視してもらうというもので、非常に容易にイメージが水晶球の中に現われ、視野いっぱいになる人もいるという。
(p.67)

 しかし、ユングはこの方法が分析の手段としては、無意識の「ガス抜き」をして成熟を早めるという点で、夢分析よりも優れていると考えてはいたが、夢分析ほどには使わなかった。というのは、そういう優れた点がある反面、イメージの中にすさまじいものが出現し、無意識の力に圧倒される危険性があると考えたのである。
(p.73)

 つまり、重要なのは、イメージの底にある、イメージがそこから生じる母体となっている基本的な過程であり、それと自分自身との関わり方である。換言すれば、その基本的過程とイメージとの間の風通しがよくなること、そうなるような関わり方を本人自身ができるようになることが重要なのである。
(p.115-116)

 つまり、夢と昼間のイメージとは相互に影響を与え合っているという面がある。
(p.120)

 これに対して、戦術のような見解では、夢の中では昼間の経験を消化して、イメージ界の新たなまとまりを形成しようとしているのであるから、夢の中に昼間の経験のイメージがたくさん登場することは必然であり、しかもそのことに本質的重要性があるということになる。
(p.134)

 先に、壺の中ではフリー・イメージにくらべより深いものが出現しやすいと述べたが、これは興味深い重要な現象と思われるので、もう少し考えて見よう。この現象は、壺というイメージが持つ(例えば「母性的なもの」といった)象徴的な意味に触発されたという面もあろうが、それだけでは説明しがたいものであり、他にもいくつかの要因が作用しているものと考えられる。
 その一つとして、壺がいわばイメージにおける「枠」になっている、とでもいいうる面がある。
(p.157)

 例えば、精神科医の神田橋條治は、精神分析病者に「拒否能力」が乏しいことを指摘している。つまり、精神分析病者は自分のこころに(治療者を含めて)他者が踏みこんでもうまく拒否できず、その結果、混乱してしまうというものである。
(p.161)

 ひとつには、○○症などと診断された病気の人だけではなく、とくに病気とはいえない「健康」者にも、精神健康を高めるためにも役立つ。
(p.174)

 そして、イメージはからだの声を聞けるようになるための媒介として活用するのがよい。
(p.185)

 ここで興味深いのは、黒岩選手を育てた前島孝のイメージ・トレーニング法では、成功イメージを浮かべようとしても浮かばないで、逆に失敗するイメージが浮かぶ場合、それを無理に成功イメージにすり替えるのではなくて、その場面を受け入れるようにするのがよいとしていることである。
(p.194)

対話336 この戯言は実際の自然科学とは一切関係がございません

2010.07.07.18:04



個人的読みやすさ:D
読書時間:2時間


さらに、時が経つにつれ、ラカンの著作は、言葉遊びと断片化された統辞法をないまぜにすることで、ますます判じ物めいてきた。これは多くの聖典に共通する特性である。そしてこれらのテクストが、弟子たちによる敬虔なる教義解釈の基礎となっていくのだ。こう見てくると、つまるところ、われわれは新たな宗教を相手にしているのではないかと疑っていいようだ。(p.52)


 これは特に、自然科学めいたことを社会科学や人文学に導入しようかなと思っている人は読んだほうがいい本だなと思った。つまりそれはかつての僕みたいな人のことなのだけど、この本を読むことでますますもって自然科学にきっぱりと決別する(もともと振り向いてもらえてもいなかったが)きっかけを得ることが出来るようになったと思う。あ、別に自然科学系の勉強を軽視するという意味ではなくて、自分の研究には出来る限り取り入れないという意味においてね。

 この本の最初からやり玉に挙げられているのは僕が一時期はまった(といってもジジェクの本を通じて、だけど)ラカンであり、途中に言及のあるファイヤアーベントの思想にも一時期それなりにはまっていた僕にとって、この本を読むことはそれほど気持ちの良すぎるということではなかった。ただ、かつてから科学の重要性みたいなのはひしひしと感じていたし、典型的なポストモダン論者がいうような極端な相対主義(科学だって一つの宗教でしょ?)とは距離を置きたいと思っていたから、案外僕のもともとの思想はこの本から外れていた、ということでもないようだ。

 社会科学が自然科学的な方法論を取るべきか、みたいなことは多分社会科学をやっている人なら一度は考えると思う。人文学はその点比較的いさぎよさそうで、科学とかなにそれ食べれるの?的なポジションをキープしているというところが多そうだと思っていたけど、それでもやはり科学的概念をメタファーとして分かりづらく使ったりしているという風潮が確かに昨今ではあるのは間違いない。みんな自然科学にあこがれているし、それが現代の趨勢なのだと思う。その反発心としてのポストモダニズム的な相対主義の隆盛もここに原因が求められるだろう。

 僕はその趨勢からやはり一歩抜けたいなと思う。つまり自然科学完全シカトポジションを貫きたい、少なくとも自分の研究分野において。そもそもたとえば脳とかの研究において、はっきりとこれはこれこれでありしたがってこういう現象が起きるということは一般的に想像されているよりもずっと言えることが少ないそうだ。たとえば男女の脳りょうの太さの違いから来る性格特性の差異とか、テストステロンと男性性についての関係性だとかも、最近の研究ではかなり怪しいとされているとのことである。自然科学を自分の言っていることの権威づけとして用いてしまうのはやっぱり効果的ではなさそうだ。

 であれば僕のような自然科学者ではない人はどのように自然科学を自分の思想に生かすべきか?

 別に着想を得るために、自然科学をメタファーとして認識すること自体はまったくもって悪いことではない。しかしそれを他者にアウトプットするときに、自然科学的な用語を使ってしまったり、しかも誤用なんかしたりしてしまっていたりしたら、それは人間科学の発展を阻害する礎になるだけである。だからこそ、自分が用いる用語に自然科学的な言葉、あるいは自然科学に限らずとも他分野の言葉を使うときには神経質になる必要性があるのだろう。思想には自然科学的な性質とは違ったものがあるのだから、それをそのまま転用するのは危険すぎるのである。


対話272 ルートヴィッヒ ウィトゲンシュタイン 『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』

2010.01.22.17:41




個人的読みやすさ:B (手記なので)
読書時間:1時間過ぎ


私にとって最良の状態とは熱狂の状態だ。笑うべき考えを熱狂は少なくとも部分的に食いつくし無害なものにするからだ。(p29)


また再び更新にかなり間が空いてしまった。
やはり僕は何か特別なことが起きてそれまでの習慣が崩されてから元に立て直すのにかなり時間がかかるようだ。
年始から海外へ久しぶりに行ったのだけど、あれ以降ブログも含めて色々なことを立て直すのにてんやわんやしたりする(他にやることが少し増えたというのもあるが)

さて、この本であるが率直にいって素晴らしいと思う。
僕にとってのヴィトゲンシュタインとは、良く聞く名前だけど実際にどんなことをしていたのかというと……な人物であり、彼自身にそれまで興味を強く抱いていたわけではない。しかしそんな人間にもこの本を読めば彼に対して強く興味を持つこと請け合いである。それほど彼の手記には面白いフレーズが詰まっているし、堅苦しい世間(?)のイメージだけではなく彼が人間らしさをちゃんと持ち合わせていることもここから発見することが出来るからだ。

特に僕としては前半のほう、彼の個人的な生活が見えている部分に非常に関心を持った。
後半の宗教的思想に関しては僕にカバーできる部分がちょっと少ないということもあってそこまで何かを発見することが出来なかったけど、ちょっとでもヴィトゲンシュタインの名前に興味があったりなかったりしたらぜひ読んでみると良い本だと思う。



theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話270 池谷裕二 『単純な脳、複雑な「私」』

2009.12.21.16:19




個人的読みやすさ:A (これは僕がこの分野にある程度親しみがあるからかもしれないけど、それにしても凄い)
読書時間:1時間


 僕は、こうした他者から自己へという観察の投影先の転換があって、はじめて自分に「心」があることに自分で気付くようになったのではないかと想像している。(p180)


 思えば池谷裕二氏の本を読んだからこそ僕は脳に興味を持ち始めたといっても過言ではないくらいなのだけど、その彼の本の中でも珠玉の出来だと思う。読んでいる間ずっと興奮が抑えられず、読み終わるのが本当にもったいなかった。このブログは基本的に僕のための読書日記という体裁なんだけど、まだこの本を読んだことがない人はぜひ読んでみてほしい、と薦めてしまってもバチは当たらないと思う。

話は結構多岐にわたるのだけど、特に創発というプロセス(ランダムのはずなのにあるとき突然特徴的な動きを見せる)だったり、サブリミナル効果の話だったり、感情と身体反応の関連性などが特に印象に残っている。サブリミナル効果は何故かネットだともう完全な疑似科学みたいに扱われているのだけど、その他の人の最近の著作でも論文でもとりあえずあることは(程度はともかくとして)それなりに真実性の高いこととして扱われているのに何故なのだろう?やはりマイナスのバイアスのほうがはるかに強く、そして長期間にわたって働くのだろうか。

あと、池谷氏も脳のコントロールが出来ると書いてあってなんとなく嬉しい気持ちに。
もっとも僕の場合アルファ波とかベータ波がどんななのか、感じていたとしても識別はまだしていないので、それ相応のところで一回シンクロナイズさせておいてみたい。
今日もちょこちょこあったけど、脳内麻薬の出しかたをうまいことリミッターの使い方を理解したうえで学習すれば色々と応用が利きそうだ。もっともこれはちょっと危険かもしれない。

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