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「人に会う」プロジェクトの途中経過

2009.06.29.10:48

定期が切れるまで(7/5)なるべく色々な人とタイマンで語り合おう、という僕の「人に会おう」プロジェクトだが、今のところ想像を絶するほど楽しい。

今のところ飲み会や食事会などの集団的なものを除くと、6月24日から6月28日までに会った人は全部で7人(重複含めると8回)なのだが、そのどれもが僕の今後の指針になんらかの影響を与えると言い切ることが出来るくらいだ。

考えてみれば僕は今までの学校生活ではあくまでも学校という装置や塾という装置に与えられた人間関係の中でしか生活していなかったわけで(それはそれで収穫はものすごいあったが)、自分から進んで関係を構築することの重要性みたいなのを肌で感じることが出来た気がする。

一つ一つを詳細に書きたいけれども生憎許可も得ていないし一つ一つが長くなってしまいそうなので割愛。
とりあえずここを偶然にも見ている人は、身近な人でもいいから普段語り合わない人と一対一で語り合うと何か良いことあるかも、と不敬ながらもオススメしておく。
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対話163 永田 豊志『革新的なアイデアがザクザク生まれる発想フレームワーク55』

2009.06.27.08:29





読書時間:30分

ソフトバンク・クリエイティブ様からのご献本。
まさかこの場末のブログに献本が来るなどという異常事態が発生するとは思ってもいなかったので、かなり驚愕。驚愕しすぎたせいで思わず周りの人に触れ回るという若干痛々しい行動までとってしまった。
あの時しゃべりかけた人は申し訳なかったです。

また信じられなかったのは僕だけではなかったようで、実際うちの両親や友達に告げてみたところ「それ詐欺だよ。住所とか悪用されるんじゃない?」という反応で満たされてなんとも言えない気持ちになった。
なので無事に家に本が届けられていたことを確認したときはかなり安心したことを覚えている。

なんにせよ、ソフトバンク・クリエイティブ様には感謝です。

●全体像
アイディアを出すということについて、ここ最近主に取り上げられていたフレームワーク、ツール、態度などを総ざらい的にまとめてあるという印象。
また、それぞれのページにはそのページに関連したおすすめ本が掲載されていて、その点は前作よりも強化されていて使いやすい。

僕は今までもアイディアに関する本は結構それなりに読んでいたのでまったく知らなかった!という概念はあまりなかったが、今までの知識を総括するという意味で参考になった。
また、図やまとめも多いので、2回目を読む際にも読みやすい構造になっている。
この手の本は2回以上読んでこそだと思うので、個人的にも本の作り方として参考になった。

●個人的に注目した点
個人的に一番注目だったトピックはアイディアをつぶす人相手にどう渡り合うかという点である。
僕はアイディアを発想するのが好きなので、おもいついてはメモにとって一人でにやにやしていたのだが、これを外界に発信するとなるとどうしても研磨される必要がでてくる。
いや、研磨程度だったらむしろありがたいことなのだが、中にはアイディアそのものがつぶされるということも多くなってくることはとっても簡単に想像出来る。というか間違いなく起こる。

僕も最近そろそろ自分一人で考えている段階を脱して、次の「行動」という段階に入ろうかと画策しているのでこの点について触れてくれていることが非常にありがたかった。
惜しむべきではこのことに関してはそこまで深堀されておらず、参考図書があげられていなかったこと。
そこらへんは自分のコミュニケーションスキル全般をあげるとか、総括的な方法で対処していくしかないのかもしれない。

●いかにしてこれらを実生活に取り込んでいくか
基本的に本の趣旨としてはさまざまな思考法のカタログという感じなので(古い形のブレインストーミングからマインドマップまでのっている)、自分にあっているなと思うものについて他の本などでさらに掘り下げるという形が適しているのかもしれない。

僕的に覚えておくとよさそうだなと思ったのは「アイディアを記憶に定着させるSUCCESsの法則」というやつで、これは以下のような原則を表わしている。

1.単純明快である(Simple)
2.意外性がある(Unexpected)
3.具体的である(Concrete)
4.信頼性がある(Credible)
5.感情に訴える(Emotional)
6.物語性がある(Story)

確かにアイディアを人の記憶に定着させるのにこれらの要素は欠かせないものであるし、意識してみようと思う。

あと、個人的にはここに「五感に訴える」というものを加えればさらに完成度の高いアイディアが生まれる気がする。
感覚に関することなので英語でもSを使って表記させることができそうだし、7のマジカルナンバーにもなるのでよりよいのではないだろうか(と、この本に言ってもしょうがないことではあるが)。

まあそれはともかく、そこの参考図書として「アイデアのちから」という本がそのページの下のほうにあげられていたので、是非近いうちに読んでみたい。

そのほか、アイディアを足し算、引き算、掛け算、割り算で図式化して表わしているのは非常に美しいたとえで思わず真似したくなったなあということと、5W2Hの法則をあまり生活に用いていないので、この本を読んだのを足掛かりにもっと積極的に使ってみようかなあという気持ちになった。

●若干?と思ったもの
本文の記述中にはパワーストーンについても触れているところがあって、パワーストーンを特に信じていない僕としては多少その点で懐疑的になってしまった。
もちろん宗教的なものが常にそうであるように、そう信じることで効果は実際に引き出されるのだろう。
それは特に特別な例を出すまでもなく、実際にプラシーボ効果があるなんてことはもはや常識的なことですらある。

しかし、このガイドブックという面が押し出されたこの本の中にそれが乗っていると多少違和感を覚えてしまうのもまた事実。
「信じるといいことあるかもね」程度に書いてあったほうが全体的な統一感という意味ではまとまりがよかったのかもしれない。

●編集後記
献本という形だったので書き方が普段とは多少違い、思わず偉そうな評論じみたものになってしまって我ながら反省している。
ただ、このような形で本が送られてくることは非常にうれしいことなので、これからも全然お待ちしております。
本を送っていただいて感謝です。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話162 アン カープ『「声」の秘密』

2009.06.26.19:55



充実度:C
読書時間:1時間

いわゆるハウツー本ではなく、声について多角的な視点で分析を進めた本。

この本を読んで、以下に僕が普段声というものを意識していないかということに気づかされる。
言語と発育についての関係性や、声の生物学的な性差、社会的な性差、声と社会の関係性(声を聴くだけでその人の階級がかなりわかってしまうという。声も一つの文化なのである)、声とテクノロジー。
これら全てのトピックが興味深く、特に「視覚に追いやられた聴覚の過去と未来」というテーマにぐつぐつと興味が出てきた。

あと、この本では比較対照として日本がばんばん出てくるのが日本人としてはとても面白い。
その際に、やはり筆者はアメリカ人ということで微妙に首肯できないところも出てきたりするのだけど、それはそれで面白く読める。

これからの生活ではもっと声に対して気を配り、ことある毎に分析を加えていきたいと思う。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

ヴィパッサナー瞑想についに応募

2009.06.26.15:30

ヴィパッサナー瞑想についに応募した。

ついに僕もこのようなフィールドワークに参加するようになったかと、さながら他人事のように考えてしまうが、そもそも僕がヴィパッサナー瞑想を知ったのは普段やっているイメストボックスの参加者であるイズモさんがその体験記を語ってくれたからだ。

どのような10日間が待ち受けているか今から戦々恐々の面持ちだが、とりあえず途中で脱走することのないようにしたい。いや、本当にそういう風に考える人もいるらしいので。

ヴィパッサナーの体験記としてはこちらが読みやすくオススメ。
ひやひやスケッチ紀行:http://blogs.yahoo.co.jp/milk1682m/folder/1123579.html

ちなみにこのブログはうちの母親が発見した。
息子がヴィパッサナーとかいう瞑想に行くとか急に言い始めたので、何か宗教的な危険性を感じて検索したのかもしれない。

対話161 酒井 穣『あたらしい戦略の教科書』

2009.06.26.14:55




読書時間:25分

教科書と銘打っているだけあって非常に読みやすい本。

現時点で僕が最も参考になったのはインタビューの仕方について。
どのようにすれば相手の言葉を引き出すインタビューが出来るかについてのポイントがきれいにまとめられていてとても助かった。
特に僕は無言になるとついつい喋ってしまいがちになるのだが、この傾向は相手からすれば非常に利用されやすいという。
逆にそれさえ自覚すれば、会話の空白を有効につくることでより効果的なインタビューが出来るのかもしれない。

また、戦略の可変性を意識させられたこと、目標を定める際の注意点、それから「敵」の扱い方について色々と示唆のある本であったと思う。
これらを意識することによって、効果的に実生活に影響をあたえられるようにしていきたい。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

日本のラップの可能性

2009.06.25.13:55

最近、Shing02の『湾曲』と『抱擁』ばかり聞いている。

『抱擁』 Shing02


こういうと意外といわれるのだが、僕はラップが好きである。思わずこの夏に友達と一緒にラップで曲を作ろうとしているくらいには好きである。
多分早口で何かを言うところが僕の好みなのだと思われる。

ちなみにラップというとギャングスタ的なもの(ちなみによく言う彼らの「YoYo」は日本語でいうところの「あのー…」とか「えーっと…」に相当する。フリースタイル中に言葉がすらすら出てこないことはしょっちゅうなので、あのような合いの手を入れているのだと思われる。)か青春的要素を押し出したもの(家族最高!友達最高!みたいなもの)を想像される方が多いと思うが、それだけではない。
海外の事情はよく知らないが、日本のラップには若干オタッキーなところで精神世界的なものを前面に押し出している人やグループはいくつもあるし、それらのリリックはそんじょそこらの小説よりこころに伝わってくるものがあると少なくとも個人的には感じている。
や、別にギャングスタとか青春物を毛嫌いしているわけではまったくないけども。

ともかく、Shing02もその中の一人だと思っているのだが、僕がShing02を初めて知ったのは中学生の頃に中古CD屋で『400』というアルバムをたまたま発見したからだった。
その頃から僕は脳とかにおそらく興味があったのだろう、ジャケットに書かれた脳の絵に一発で惚れてしまった僕はそそくさとそのCDを持ち帰り(勿論お金は払った)、以後Shing02と僕の両耳は長い付き合いを歩むことになる。
最初はその頃の僕にとっては異端すぎて、せいぜい400とか憂国くらいしか聴けなかったのだが、今ではこういうスタイルが僕にとっては普通なのではないかと思うようになってしまった。
最新作の「歪曲」に関してはまだあまり聴き込めていないのだが、これから徐々にアルバムの世界に浸っていけたらと思う。

しかし日本の土台にはShing02や降神、番犬、Adam Ksher、Makkenz、 Tha Blue Herbのような精神世界を描写するようなものが合っているような気がするが、意外に広まらないのは性質的にメジャーにならないからなのだろうか。


僕は割とそういう精神世界系(物語系とか)の歌詞を聞くのが好きなので、もし精神世界描系でオススメのものがあったらラップ・ラップでない問わず教えてくださいな。
今のところお金がないのですぐに聴ける確率は少ないですが、本だけでなく音楽や映画も色々と開拓していきたい今日この頃なのです。





夏だ!夏休みだ!語りあいだ!

2009.06.25.02:51

夏休みだーー!!

と思わず取り乱してしまうほどに、夏休みが遂に僕の人生に再び登場した。
今回の春学期は今までやらなかった分のつけが総まとめ的に訪れたということもあって今までよりも個人的にハードだったのだが(それでも結構手を抜いてしまった……)、それが終わった。本当に終わった。

なんか意外にあっさり終わったので本当に終わったのかどうかかなり疑わしいのだけど、とりあえずは今日という一日に感謝。
帰りの電車で凄い勢いで寝過ごし終点まで行って折り返してしばらくしたあとに起きたことも今日なら笑ってすませそうだ。

また、今日から夏休みに入ったので以前からちょろちょろ言っていた「色々な人にあって一対一で語るプロジェクト」を早速開始してみた。
今日のお相手はサークル内の2年生で、以前から面白い人だなと思っていたのだが、今日初めて二人で語り合うことで今まで見えていなかったものを色々知ることが出来た。
彼のやりたいことにもかなり僕は賛同出来たので、これからなんらかの形で彼の考えたプロジェクトにも関わっていきたい。

また、その後偶然にもICUにおけるおそらく唯一のウェンガートレ同志、K嬢と遭遇。
帰りは彼女と歩いて駅まで帰ることになったのだが、彼女の夏休みの予定を聞いてみるとヴィパッサナー瞑想に参加されるとのことで、丁度参加することを考えていた僕としては恐ろしいシンクロニシティを感じた(類は友を呼んでいるだけとも言える)。

ということで多分8月はヴィパッサナーをやってる京都に行ってきます。
KGCの柴田さんも京都にいらっしゃるし、日本の脳スキャン系の研究が活発なのも京都だそうなので、これからの僕にとって京都という場所は一つの特別な場所になるのかもしれない。というか、だと良いなあと思う。

対話160 コリン ジョイス『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート』

2009.06.25.01:16



充実度:C
読書時間:50分

全体的にウィットに富んだ文章で(イギリス人だからか?)結構丹念に読んでしまった。

文章の内容については若干手抜きになるが、アマゾンのレビューに僕が思ったことがほぼそのまま書いてあるものがあったので引用。

この本の優れた点のひとつは、書き手の「立ち位置」だ。外国人が書く日本社会分析は下手をすると過度の「日本礼賛」か、日本の表面的な「ユニーク」さを並べた薄っぺらなものになりがちだが、コリン・ジョイスは違う。日本人が気づかない日本(と日本人)の魅力を存分に語ったかと思えば、日本人が気づかない日本の不思議さを鋭く、ユーモラスに指摘する。「ニッポン」に寄り添いすぎず、かといってアウトサイダーとしての視点には頼らない。そのバランスが読んでいて心地いい。

 著者が20キロの重量制限のなかでイギリスに持って帰ろうという「日本みやげ」のセレクション(使い捨てカイロから「居眠り防止器」まで)には、日本文化への愛情が表れている。そうかと思えば日英の食文化比較では、種類が少なくて食卓に出すまで時間がかかるコメは過大評価されていないかと鋭い疑問を投げかける。日本の女性が専業主婦になることを求められてきたのは、コメの調理が面倒なせいかもしれないという秀逸な分析を加えることも忘れない。

 内容ばかりではなく、谷岡健彦による訳文のクオリティーも高い。『ニューズウィーク日本版』に著者が書いたコラムとの重複部分はあるが、そのコラムをそのまま収録した本ではない。(強調は引用者)


僕は日本人なのに白米にそこまで頓着しているわけでもないので、確かにこういわれてみればそうだなあと。文章中でも指摘されていたけど、白米は栄養価も実際には大したことがないし、歴史的にもそれほど古いものではない。にも関わらず愛されているのはなんだか凄いなあとポケーっとしながら感じた。

あと、筆者がイギリス人なので、イギリス料理にも触れているのだがそれが興味深い。
日本人にとってイギリス料理といえば「高いうえに死ぬほどまずいもの」ということで定着している感があるのだが、筆者によればそれは必ずしもいえないという。
さらに、他の分野では謙遜の文化のある日本は食に関しては横柄な態度をとるとしている点もその通りだ、と思わず叫ばずにはいられなかった。あれ、大げさすぎるか。

しかしこの筆者のように、日本にたいして不思議と感じたことにはつっこみ、なおかつ日本への愛情を感じさせる文章を書ける人というのはなかなかいないと思う。良い息抜きになった。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話159 市川 伸一ほか『科学としての心理学―理論とは何か?なぜ必要か?どう構築するか?』

2009.06.24.12:22




読書時間:40分

専門度の高い内容が僕にとっては多く、とてもじゃないがすべては理解できていないけれども一応読了。

さまざまな筆者が心理学における理論について書いているのだが、僕には特に芋阪氏の考えと繁枡添氏の考えが興味深く映った。
もともと僕も科学としての心理学というものに関心があって、というよりは「物理」という心理学からしてみれば気高い丘のような存在に対してどう向き合うかについて関心があるというほうが正しいかもしれないが、本書によれば物理のような硬い科学と心理学のようなやわらかい科学は分けて考えるべきだという。

なんとなく科学というと前者を想像してしまいがちだけど、「今は立派に自然科学として一般的には見られている生物学なども過去においては科学史のほうに含まれていた」という例も挙げられていて、何を持って科学とするのかは時代によって移り変わっていくのだなあということを実感した。

あと、心理学は基本的に個人のよるものであるという考えを前提に持ちながらも、ではそこからどう理論として発展させていくかの問いに対して繁枡氏の「確率的に考えるべきである」とするのはなかなか筋が通っているのではないかと思った。いや、本当になんとなくそう思っただけで特に何があるわけではないのだけど、なんだか説得力を感じた。


まあとにかくテスト終わって万歳だよということが今一番言いたい。すごい脱力感。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

未来を見るときは、部屋を明るくして離れて見てね!

2009.06.23.21:46

炎上が拓く新時代を待つより、未来候補に関わり続ける方がおもしろい――ミームの死骸を待ちながら

未来は明るい、というよりも、未来は進行中だ。やばい。



Hashさんのこの言葉のせいで、試験期間的修羅場を今まさに迎えているというのにこんな場末のブログで駄文を垂れ流さざるを得なくなってしまった。

未来が明るいとか暗いというのはその時々の気分によることだと思うけど、実際に未来に対して明かりを灯しておかないと、未来のそのすさまじいばかりの進行度を見失うことになる。
勿論それは一概に悪いことでは全然なくて、ずっと見てたら目も疲れてくるだろうし、他のものを見落としてしまうことにもなるに違いない。暗いからこそ強化される五感だってある。

ただ、多分人間には時期というものがあって、僕にとって今は光を頑張って灯して、未来をなるべく見ようとすることが有益なことに繋がるのだと考えている。
これはおそらく僕自身の生来の気質に加え、最近僕の周りに溢れんばかりの未来志向の方々がいるからなのだろう。
藤沢烈さんとか未来見過ぎててびっくりした。
僕も結構「自分って未来志向なんじゃないの~?」などと寝ぼけたことを思っていたが圧倒的に格が違った。
とりあえず僕に言えることとしては、様々な方と出会えて感謝感謝です。


あと、リンク先のHashさんが指摘されていることで一つ興味深いことがあったので引用。

むしろ"群衆"の一員となって、自分自身が利用される。個人的に好きなことをして、コミュニティに没頭する。その上で、Give&Takeで他のコミュニティの"群衆の力"から恩恵を受ける


次世代のモデルとしてどのようなものが登場してくるのか気になっている今日この頃なのだけど、確かにこの流れは一部にはすでにあるなあと思う。
僕が大学で所属しているサークルの理念はまさにそのまんまと言ってしまってよく、実際僕個人はとても楽しい。

おそらくこれからは会社というよりもコミュニティ、という言葉のほうがふさわしいシステムが出来上がっていくに違いない。というかだといいな。

対話158 前原 勝矢『右利き・左利きの科学―利き手・利き足・利き眼・利き耳…』

2009.06.22.18:08




読書時間:30分

結構古い本なので(1989年)、今となっては疑わしいところやデータが弱いところなどもあるが、トリビア的に驚かされることも結構あった。

とりあえず抜き出してみると

そこで、年齢に比べ早熟な男性と、未熟な女性を集めて検査をしたところ、早熟な男性は言語能力が優れ、未熟な女性は視空間認知能力がまさり、従来の性差をと逆の結果を得たのです。(p.30)


(点字に関して)つまり、利き手とは、より器用で、より頻繁に用いる手を意味しますが、これは運動機能に関する利き手であり、知覚(触覚)に関する利き手は、運動機能の利き手と反対の手(多くは左手)になるのです。(p. 44 括弧内は引用者)


とか。

そのほかにも知らなかったことで面白かったこととしては、内臓逆位の人が必ずしも左利きになるわけではないとか。

記述の中には他の書物と相反することもあったので(分裂病は左半球に何等かの以上がある、など)そこ等辺は検証が個人的に必要だなあと感じた。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話157 ロバート オーンスタイン『右脳は天才?それとも野獣?』

2009.06.22.12:29




読書時間:40分

本書でも紹介されているが、紀元前の西洋人の哲学者には大変素晴らしい洞察力を持っている人が多いなと実感する。
その一人がディオクレスなのだが、彼は紀元前4世紀頃すでに左脳と右脳の役割における違いを指摘していた。

「頭のなかには脳が二つある。ひとつは理解力を与え、もうひとつは感覚認識を行う、。つまり右側にあるほうで知覚し、左側で理解している」 (p. 52)


実際の問題として、左右の脳機能に関する分担はそう簡単に定義づけられるものではないが、しかしこの時代においてこのような素晴らしい洞察力を持っている人がいたことは驚きに値することだと思う。
その後、キリスト教が蔓延(笑)したことにより、このような考えは抹消されていくのだが、こういうのを見ると宗教のもたらすメリットデメリットについて、改めて考えたくなる。
いや、別にディオクレスの意見が歴史の中に消えていったのはキリスト教だけのせいではないだろうが。

閑話休題。

この本でもっとも頻繁に指摘されているのが左脳偏重あるいは右脳偏重の世の中の動きである。
中にはそれを批判するためいらないことを言ってしまっていると感じざるを得ない箇所もいくつかあったが、基本的には僕もその指摘に賛成で、一般的には右脳左脳と簡単に分けられるものではない。
尤も、自分を右脳人間だとか左脳人間だとか思い込むことが悪いのではなく、それはある意味思想という方法論において有益なものをもたらす可能性もあるので一概にダメということは出来ないが。

左脳偏重のカウンターとしての右脳偏重文化がここ数十年くらい目覚しかったし、現在でもある程度続いてしまっているように見えるが、しかしこれからは全脳的な思考(神田昌典氏ではないが)、さらにいえばそこに身体を加えた思考にいくのが僕としては望ましいと感じるし、おそらくそうなっていくのだろうなと思う。
その中で、自分がなんらかの業績(研究でも実践でも)貢献出切れば良いと願う。

ちなみに、左脳偏重や右脳偏重が動きとしてはデメリットが大きいということは僕も思うが、かといって左脳と右脳の働きがあまり変わらないという意味ではまったくないので、この点は僕も注意したい。
たとえば本書で挙げられている特筆すべき違いに「テキスト」と「コンテキスト」がある。
左脳は主に「テキスト」を処理し、右脳は「コンテキスト」を処理するという。

これによって、ジョークだとか言葉の複数の意味を処理するのは主に右脳ということが一般的に言うことが出来るらしい。その意味で、ネウロを書いた松井先生などは右脳的とその面では言えるのかもしれない(言葉遊びが多いので)。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

仕事という概念の崩壊

2009.06.22.05:54

[断片]働いてるんだか遊んでるんだかわかんない人たち――G.A.W.

ここのブログは文章が僕的に面白くてよく読んでいるのだけど、その中で興味深いエントリがあったので関連したことをちょっとだけ書いてみる。

このエントリは、ブログ主が 

つまり俺、いままでの「仕事」っていう概念が壊れるような社会を想定してるのかな。自分でもよくわからんのだけど。


という追記で終わらしていることからもわかるように、仕事という概念あるいは形態が変わる可能性があるのではないかということを示唆している。

最近の出会いを通じて思うのは、これは間違いなく起きるというか、変わるということである。
僕の出会った人の数など正直ただが知れているのは間違いないし、また日本人全員の働き方に変革が起きるともまったく思わないけど、従来の「馬車馬のように働く」タイプではない、まさにエントリ先にあるような「働いているんだか遊んでいるんだかわかんない人たち」が一定数発生していくのも間違いないと思う。

今はまだまだメディアでたまに取り上げられるくらいで少数なのだろうけど、ある程度そのロールモデルが研究され始めたときに、あたらな指針としてそれが一部の人にどうインパクトを与えるのか僕はかなり興味がある。

ちなみに僕自身もまた、そういう生き方を希望している。
そもそも僕が過去、大学教授になりたいと思ったのも、傍目からみて大学教授は働いているんだか遊んでいるんだかよくわからないような生活をしているなあと思ったからだ。
当然、現実はそんなに甘いものではないだろうけど、かといって会社勤めは避けたいところだった。
ロールモデルとして見た場合の彼らは、「働いているんだか遊んでいるんだかわかんない」状態とは程遠く、とにかく働いて・働いて・働いて、というように見えることが多くて、僕の人生観とは符合するところが少ないなと感じていた。
実際は、そのように思いながらもほとんどの人は会社に入ることを余儀なくされていくのだろうし、僕もその中の一人になる可能性はとても高いとは思うけれども。

僕は従来の社会人的な働き方の他に、もっと別のロールモデルがあるのではないかなということを思う。
そしてなんだかそれらは異端のように思えるけど、良く考えたら現代の働くスタイルだって、僕が生まれたときからあったというだけのことで、人類の歴史を見ていればずっとそうだったわけではまったくない。
以前ある方と話していたときに、その人が「経済というものが今メインストリームになっているが、それが100年先まで続いているとは限らない」ということを仰っていた。
現在の状況を分析してそれに対して対応するのはとても大事だけど、そういう未来史観を完全に忘却してしまわないようにすることも同様に大事なことなのだろう。

対話156 河合 隼雄『ユング心理学と東洋思想 (河合隼雄全対話)』

2009.06.21.10:17




読書時間:30分

ユングが東洋思想に影響を受けているのは明らかなのだが、その東洋思想とは一体なんだろうかという視点を軸に、西洋と東洋の違いをざっくりと語った対話集として僕は読んだ。

興味深かったのが西洋と東洋における神話の違いである。
西洋においてドラゴンは倒されるべき存在であり、東洋においてはしばしば畏敬の念をもたれる存在であるが、筆者らはドラゴンを想像物とみなし、そこに無意識との対決を選ぶ西洋と無意識への憧憬を持つ東洋の態度の差を見出している。

また、鬼という言葉は(中国語か日本語かは不明だが)「帰る」という意味を含んでおり、これはフロイトの無意識観と一致するところが大きい。


それに、ご存じでしょう?フロイトは、無意識、つまり抑圧された潜在意識を描写するのに”なんとかしてかえりたいと、いつも、希い続けているもの”とか”なんらかの、ゆがめられた形で、帰ってくる”とか表現していますね。つまりフロイトが、用圧された意識減少について語るとき、彼は同時にまた――もしこれを神話的観点から見れば――いわゆる文明開化の社会から排除され、追放されたものたちについて言及していることにもなります。(p.119 強調は引用者による)


神話や宗教、夢、脳科学というのはおそらく今後かなり融和してくる分野だと思う。
せっかく教養学部ということで様々な科目を取り続けることが出来るようになっているので、それを生かして融合的に学んでいきたいなと思う。

あと、この本を読んで個人的にあまり接点のなかった「禅」についての面白い記述があったのでそれも引用しておく。

井筒――ええ、そうですねえ……。まず、われわれは二つの道程を区別しなくちゃあならない。つまり、第一過程としての上昇(つまり、修行道)と、修行が一応完了した時点から始まる第二過程としての下降ですね。上昇過程においては、すべてのイメージを切断し、排除しなくては……。日本人にとっても、このイメージに適切に対処するのはまったくの難事業でしょう。あらゆる種類のイメージが、次から次へと浮かび上がってきて、まるで、一種の、狂者の世界です。ですが、純粋に、実践修行の立場から、禅マスターたちは、初心者に、そのイメージをいっさい、忘れてしまうように、と言うんですね。原因も理由もいっさい尋ねず、ただ捨ててしまえ、気にも留めるな……と。いったん心に留めたが最後、やっかいなことになる……というわけです。もっとも、以上は、第一過程である上昇道に関してだけのことなんです。

河合――なるほど、面白いです。

井筒――しかし、いったん、至高の点”無”に到達することができたら、まさにそのときこそ、心おきなく、今度は逆に、できる限り自然に、自由に、イメージを生起させる……。そして、この場合、、この経験的現実界の事物は、ひとつひとつ、どれも皆、例外なく、”根元イメージ”となる、つまりマスター・イメージ(イメージ原型)となる。自他の存在を――要するに、見るものと見られるものの両者を、いや世界を――まさにその一点に凝集したイメージ原型、となるんですね。(p.124-125 強調は引用者による)


このことは、イメストをやる上でも示唆深いもののように感じられる。

もともとイメージ先行の東洋思想に対するカウンターとして禅が現れたと本書では指摘されていたが、確かにイメージの扱いについてはもっと深く考える必要がありそうだ。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話155 河合 隼雄『ユングの生涯』

2009.06.21.05:53




読書時間:?(忘れた)

内容は全てユング心理学入門 (河合隼雄著作集)に掲載されているものと同一。
僕は先にこちらを読んだので一応一冊カウントとして読書メモで取り上げることにする。

読書メモに上げるタイミングは遅れてしまったが、この本こそが僕が初めて読んだユングに言及する本である。
ユングというとなんかオカルティックなものとして今まで若干敬遠してきてしまったのだが(いや、実際オカルティックと社会的に認知されるには充分すぎるくらいなのだが)、この本を読んでみてユングの面白さがイヤというほど伝わってきた。

特に興味深いのが、ユングは2つ目の人格を持っていたということである。
人格といっても解離性人格障害ではなく、あくまで内在する声のようなものであったようだが、これがユングの精神に与えた影響は計り知れないだろう。
このような思考の癖がついているか、ついていないかで人生というのは大きく変化してしまうに違いない。

あと、この本を読んで今まで自分の世界ではまったく登場しなかった曼荼羅について興味をもたざるを得なくなってしまったのも良かった。
曼荼羅というともう宗教臭が半端ないものだなと思っていたけれども、ユングの逸話を読む限りでは割と普遍的なものであるというか、純粋な心理的体験に根ざしているのだなあという気がしてくる。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

1日の読書量

2009.06.21.01:54

最近読書メモをごりごり更新しているのだが(読書メモ系はあんまりもうやらないと言ったにも関わらず)、先日ペーパーの提出が近いということもあり本気を出したところ、通学時間内でも4~5冊を読むことが出来ることが発覚。
僕のその日の通学時間中、席について本を読んでいたのは行きで50分、帰りで70分くらいで計2時間。
今までの読書メモも大体30分くらいで読むものが多かったのでそれほど驚くことでもないのかもしれないが、今までは往復なんだかんだで2冊くらいしか読んでいなかったので、個人的にはなかなか達成感を味わうことが出来た。

勿論、どんな本でもそれが可能というわけではない。
この日読んだのは
「ユングと東洋思想」
「左利きは天才?」
「左対右きき手大研究」
「心霊現象の心理と病理」
「河合隼雄著作集(2) ユング心理学の展開」
の五冊で、テーマ的にも僕になじんだものだし、同一テーマの本を立て続けに読んでいるという特徴がある(あと左利きに関する本は今年の冬くらいに1回読んでいたというのもある)。
多分まったく別々の、しかもよくわからないジャンルのものではこう上手くはいかないだろう。

ただ、こうやって同一テーマの本を立て続けに読むことは結構良い効果もあって、理解が立体的になったような気分になる。
一つの本だと、どうしてもその筆者のバイアスそのままで受け取ってしまって平面的な感じがするのだけど、それを二つ三つ重ねることで多面的な存在に僕の中でなるような気がするのだ。

これは感覚の問題で、特にソースとかはないのだけど、K女史の言うように今日一日のテーマをとりあえず決めて、それについての本を立て続けに読むとかしてみると良さげな感じなのかもしれない。

対話154 デイヴィッド ウォルマン『「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎』

2009.06.20.18:36




読書時間:30分

以前これもこのブログで取り上げたことがあるし、これで読むのはかれこれ4回目か5回目なので大体流れは憶えてしまったが、それだけ僕にとってはインパクトのある内容を含んでいると思って欲しい。それはこの本全体、というよりも第9章「左vs右ではなかった」が僕の感じていた違和感をずばり晴らしてくれるものだったからである。

それはオハイオ州トリード大学の心理学教授、スティーヴン・クリストマン曰く「私たちは150年間も利き手を誤解していたんだ」ということであり、真に存在するのは「強い利き腕」と「弱い利き腕」だということである。
つまり側ではなく、程度が大事ということになる。

勿論この説にも弱点があることは否めないが、左対右のパラダイムを打ち崩す、新世代的な考え方ではないだろうか?
もしかしたら近い将来、左利き右利きという枠組みではない別の枠組みが未来に登場するかもしれない。
それは些細なことかもしれないが、そのことに関して多少悩まされ続けていた僕としてはなかなかワクワクする未来であるように思える。

なお、こういう左利きだとかのことをやっていると、「そのようなことを考えるのは止めたほうが良いよ」という声が家族からも友人からもかかる。
僕はそれは至極当然であると思っている。
というのも、こういう左利きがどうだとか、そういうのにこだわりすぎると考え方が優生学的になってしまいがちだからである。

態度として、ある種の優生学的視点を持っていて良いことは社会的にはほとんどないと僕も認知しているため、自分の知的好奇心を満たしつつも、あまりそちら側の思想に流れないようにしたいと思う。

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対話153 八田 武志『左対右きき手大研究』

2009.06.20.11:20




読書時間:30分

以前にもこのブログでちょびっとだけ取り上げたのだが、あの時はあまり内容には言及しなかったのと、また再びペーパーで取り上げることにしたので(懲りない)、改めて読み返してみた。

全体的に見て、この本は左利きの特性を知るのにはとても良い本だと思われる。
わかりやすいし、色々とデータも載っているので安心感もある。
筆者がほとんどの事柄で断定を避けているのもラテラリティ研究っぽいというか、やはりラテラリティは個人差によるところが大きいためこうならざるを得ないのかもしれない。

一方、左利きのことについて書かれているこの本の中で、特に興味深く思わされるのが「両利き」に関する記述である。
一般的に、両利きというと「なんか両方ともつかえるとか器用だねー♪」とかそんな感じの言葉を言われて終わるのだが、両方ともまるで利き腕のように使えるのと、両方とも利き腕でないように使えるのでは天と地の差がある。
この本にも、両手利きが示している特殊な結果がいくつか載っているが、両手利き(あるいは混合利き)というカテゴリーはもっと注目されても良いものなのかもしれない。

実際、僕の場合後者に近く、運動系はほぼ全て左腕だが、ペンやはさみ、包丁は右腕(でも不器用)なので限りなく両手利き、というか混合利きなので、左利き・右利き談義の話になると自分がどっちの陣営につくべきなのか迷うことが今までの人生でも多々あった。

中二病分を多く含む僕はたいていの場合左利き陣営に加担し、しかしながら左利き軍勢からは「お前本当の左利きじゃないんじゃね?」とまるでコウモリのように迫害されることもしばしばであった。
そのたびに僕は左利き・右利きという二項対立に不満を持っていたのだが、両手利きというカテゴリを追加するととたんに自分はそっちのほうが合っているのではないかと思うから不思議だ。
二項対立は便利だが、それにとらわれると本質を見失うということはよくあることなのでこれからも注意したい。
といっても左・右・両手の三項対立なら良いというわけでもないのが難しいところだが。

あと、左利き関連で今まで自分が不満に思っていたのがエディンバラ式の左利き測定質問なのだが、この本では日本人に合ったものとして筆者が作った質問が乗っていて好感が持てる。
僕はエディンバラのやつだと確か中間だか右利きよりになるかどっちかだったと思うけど、この作者の質問用紙の場合かなり強い左利きということになる。
何を持って左利きとするか、あるいは左利きという尺度が本当に正しいのかを再び疑わせてくれる良い取り組みであると思う。

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対話152 カール・グスタフ ユング『心霊現象の心理と病理』

2009.06.20.05:09




読書時間:30分

今回はペーパーを書き上げるための読み方をしたため、ユングの著したこの本に関して思考を張り巡らしながら読むということはしなかったが、全体像をつかんだだけでも、ユングの懐の深さとか、実験の興味深さは容易に感じることが出来るように思う。

特に僕が興味を惹かれたのはやはり多重人格に関する、あるいは暗示に関する記述である。

 ついで重要なことは、経験上知られる夢遊症者のいちじるしい被暗示性である。夢遊症者は、すべての暗示的観念をある程度具現化するばかりでなく、被暗示性のあるヒステリー症者に固有な無我夢中さで、なによりも暗示に精通し、また医者や観察者の人柄になりきってしまうのである。


また試験が終わった頃、この本を読み返してみて、それぞれの実験が持つ意味を僕なりに考え直してみたいと思う。

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対話151 河合 隼雄『河合隼雄著作集(2) ユング心理学の展開』

2009.06.19.23:59




読書時間:50分

僕は色々と本を読んでいて「イメージ言語」っていうのは重要だなあと思っていたのだけど、この本が発刊された1994年時点で河合隼雄がそのことを指摘しているのはまことに興味深い。
僕がいつからこんなにイメージに嵌るようになったのかは極めて謎だが、少なくともユングという人はそのことにかなり前から気づいていたということに関して多少愕然としている。
おそらく僕はもっと早くにユングを学ぶべきだったのだろう。

ユングに関する著作を読んでいて良いのは、今まで自分が学んできたことの背景がちょっと見えてきたような気持ちになって、自分の中で今一まとまっていなかったことがくっつきだしたような気分がすることである。
あーあの人のこれはユングでいうとこれとこれに繋がっていて~みたいな感じ?あれ、ちょっと違うかもしれない。

それはともかく、この本はユングについて書かれたものの中でも個人的にはところどころインパクトのあるものだった。

まず最初に、ユングの「影」が無意識を指しているということが面白い。
影というとどこか負のイメージでとってしまいがちであるが、それは純粋にマイナスなのではなく無意識であると捉えればまた違ったイメージが沸いてくる。
そしておそらく、明晰夢だとか映像記憶というのはこの影のところに光を当てる(あるいはその状態)なのかなと思わせる。
一方、ある程度「影の中」でないと処理が進行しないものも今のところあるのかな、という感じがするので、それに全て光を当てようという試みは方法論としてとりあえずのところ保留しておいたほうがいいのかもしれない。


患者の話では、多重人格を持つイヴの話が極めて興味深い。
詳細は本書に譲るが、彼女の中にはまず最初にイヴホワイトとイヴブラックの二人がいる。
イヴホワイトはイヴブラックの経験を認知できないが、イヴブラックは出来る。

その後、第三の人格であるジェーンが発生し、こちらは最初一切の記憶をもたない。
ジェーンは興味深いことにホワイトと入れ替わることはできるが、ブラックとは出来ない。
これには何か彼女にとっての意味があるのだろうが、当事者でない僕が解釈をしてもそこまで有益ではないだろうから、とりあえず僕はエポケー(判断停止)の状態で読みすすめる。
その後、なんやかんだでジェーンの存在を知ったブラックは治療者にこう告げる。

「わたしたちみんながキチガイ病院行きになるか、誰か一人が全部を牛耳るか、どちらかだわね。ということは、他の二人は死ぬってことと同じだわ。あたし、ジェーンが残るような予感がする。あたしの体じゅうの骨でそれが感じられるわ」(p.72)


多重人格に関する書籍は今までもちょこちょこ読んでいたが、僕はそのときそんなに真剣に読んでいなかったのかもしれない。
自分は存在しているのに、一般的には同一の存在として見られている人格は存在の危機に瀕してしまうことがあるのだ。
そしておそらくそれは多重人格という特殊と思われている例でだけではなく、大なり小なりどこの存在の中でだって起きているのだろう。
おそらく僕の中でも、何人かの(僕が人格として認めていない)人格の存在が抹消されてしまったりしているはずだ。

その後、結局イヴホワイトとイヴブラックは消え去り、ジェーンが残るのだが、彼女はだんなとの結婚生活においてトラブルを持っていた。
というかそもそもイヴブラックというイヴホワイトにとっての影が活動を始めたのは前のだんなとの結婚上のトラブルが直接のきっかけなので、ジェーンにいたっても根本的にその問題は解決されていなかったと言えるかもしれない。
しかしその後また興味深いことが起きる。ジェーンはそのことをキッカケに自殺をしようとしたらしいのだが、この瞬間第四の人格のエヴァリンが誕生する。
エヴァリンは3人の記憶も全て引き継ぎ、以後結婚生活は上手くいくようになったという。

僕がこの話を読んで思うのは、人格というのは実質的には個人という存在のための道具なのではないか、ということだ。
どうしても僕は存在=1つの人格という近代の思想に取り付かれてしまっているのだけど、多分古代においてはまた別の人生観だったりするのだろう(トランスとかの文化もあっただろうし)。
存在を活かすための方法論として、1つの人格として自分を規定したほうが良いのか、そうではないのかは、各々のメリットデメリットを鑑みた上で改めて考え直す必要がありそうだ。


最後に、この文章を読んでいて驚いたフレーズがあったので引用。

このようなことも勘案すると、イメージについて外界とか内科医とかの区別は不必要であり、それに対する接近法によって差が生じてくる、と考えられる。近代自我によって把握されたイメージ群にタ逸する「客観的」接近法から、いわゆる自然科学が生まれてきたが、ある種の意識変容を行いつつ見たイメージ群について、「私」を通じて普遍に至る接近法を用いて語るのが、宗教である、ということになる。したがって、このあたりのことを身長に少しずつつめて考えてゆくと、十九世紀において、敵対的に感じられていた宗教と科学ということが、イメージやシンボルの領域において、相当に接近していくるのである。おそらく、二十一世紀はその仕事が大いに行われるのではないだろうか。イメージやシンボル研究の重要性が感じさせられる所以である。このことを予感して、二十一世紀は宗教の時代である、などと言う人も出てきているのではなかろうか。


これは本当につい最近、先週辺りに藤沢烈さんKGCの柴田さんから伺ったことである!

また同時に、このことは僕の行く末をある程度予感させてくれるような気がする。
僕がICUに入った2年前、宗教にはほとんど興味を示さなかった。
キリスト教概論が必修と聞いたときも「宗教とか胡散臭い」とまでは思わないまでも、今ほどの意味づけを感じ取れていなかった。

僕は今学期初めて宗教の授業を取ったくらいなので宗教に関する知識はほとんどないといっても過言ではないが、これからの学業探求において宗教は一つの熱い領域になりそうだ。

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対話150 湯浅 泰雄, 安藤 治, 高橋 豊, 田中 公明『ユング心理学と現代の危機』

2009.06.19.21:46




読書時間:40分

最近僕がユングにはまりつつある。

おそらくその背景には、現代の中のある特定の思想(僕が好むもの)がかなりユングの影響を受けているからというのが大きいのだろう。
僕が今までの人生で非常に影響を受けた人の一人に「頭脳の果て」を書いたウィン・ウェンガーがいるが、彼の能力開発のベースは間違いなくユングにあると思うし、事実僕はユングについて書かれた書物を読んでいても特にとんでもとは感じず、すんなり受け入れることが出来てしまっている。
僕がユングについて書かれた書物を読み始めたのはつい最近のことながら、僕は間接的にユング的思想にどうもはまっていたらしいということがわかった。

さて、それはともかく本書である。
ユングの人生について書かれた本は他にも読んだが、そちらでは描かれていなかったユングの人生に関することや無意識との葛藤が、明確に書かれていたりする。
僕にとってはある種知的興奮剤のようになっているといっても過言ではない。

ユングがそもそも無意識に興味をもった経験が、彼が他のものが体験しなかった内的経験を得ているというのはまことに面白いものがある。
故に彼は「個性化」を重要視し、フロイトの提唱したような「エディプス・コンプレックス」のような普遍的分析を嫌った。
彼は身をもって人それぞれが違う体験に根ざしており、それによって現れる現象やイメージは変わるということがわかっていたのである。

この態度はしかし、今日の自然科学と相容れないところがあって、そこ等辺がユング心理学に傾倒するのを妨げてくれる。
そもそも、人それぞれが違うのならばそれは科学となりうるのか?

この問いは難しいものであろう。
今のところ、ある程度の「傾向」が存在するにとどめるものが無意識について書かれた本には多いように思うし、それが正しいようにも思える。
傾向や便宜上のタイプ分けをすることで自分の特性を枠に嵌めるのではなく、そこを基点としてより「個性化」した自分の特性と向き合うきっかけを見つけていくのが今のところベターな態度なのだろう。

この本で特に面白かった箇所としては、クラウス・コンラートという人の提唱している「アポフェニー期」にユングは相当しているとする説である。
引用すると

 分裂病が始まり、悪化して一応の回復を見るまでの家庭を「シューヴ」と呼ぶ。コンラートはこのシューヴの中に規則的な段階があるとして①トレマ期、②アポフェニー期、③アポカリプス期、④固定化期、⑤残遺期の五つの段階に分けた。
 ユングはこの最初から二番目の段階に当たるという診断である。①のトレマ期は漠然とした不安や緊張状態から申そう気分に至るまでの時期を指すが、②のアポフェニー期はすべての物事が自分と関連付けられて、世界がすべて自分に向かい、祖sの力によって支配されるか、逆に自分が世界の中心にいて世界を動かしている、という奇妙な二種類の体験様式が現れてくる。


これを読むと、結構偉人と呼ばれる人や怪しげなものにはまる人にはこの手のタイプが多いなあということをまず思うが、同時にこういう性質は場合によってはプラスにもなりうるということも思わされる。

精神病、と括ってしまうとどうしてもマイナスのものにしか見えないが、ある特定形態の精神病に関しては、もはや「病」というマイナスイメージをあたえる存在としてだけでなく、当事者あるいは周囲にプラスの存在としてもたらされているのではないだろうか。

いずれにせよ、ユングの開拓した分野が21世紀以降にあたえる影響は今後どんどん拡大していく予感がする。
もしかしたら僕の脳内だけでかもしれないが。

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【セミナー紹介】「21世紀の能力開発 ~心技体の融合を目指して~」

2009.06.18.23:30

藤沢烈さんがブログで興味深いセミナーについて告知していたので、勝手に転載させていただきます。
僕は行きますので、興味がある方は是非現地でお会いしましょう。

[紹介] 7/5 「21世紀の能力開発」セミナーが行われます

 第6回となる世界連邦21世紀フォーラムのご案内です。
 「教育」「能力開発」というと机に向かう勉強をイメージしますが様変わりすると私は考えます。「心/意識」と「身体/脳」の研究がそれぞれ進み、近未来では情報通信とバイオ技術も広がります。すると、身体に何か電気信号を与えて新たな知識を得たり、心に作用して身体的健康を取り戻すなど、心身をクロスオーバーする新たな教育や健康コンセプトが生まれると考えています。そうした観点からも、今回のようなセミナーは大変有意義な理解の場になると思います。

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木戸です。

第6回世界連邦21世紀フォーラムのご案内です。

次回は、脳と身体の両方を駆使しながら
自分の能力を最大限引き出すことを研究されている三宅さんから
「21世紀の能力開発 ~心技体の融合を目指して~」というテーマで
ご講演を頂きます。

http://www.wfmjapan.com/

(三宅さんより)
個人の能力を最大限に発揮するためには、脳の仕組みを知り、活用すると同時に、体と我々が日々取り入れている食事や体の使い方について正しい知識を得ることが不可欠です。コーチング、催眠療法、NLP(神経言語プログラミング)から、玄米菜食を中心とした日本発の健康法として知られるマクロビオティックまでを網羅しつつ、ワークも交えながら「脳と体の潜在能力」を最大限に高める手法を紹介していきます。西洋と東洋の叡智を融合した能力開発の可能性についても考えていきます。


日時:7月5日(日) 9:45~12:45

場所: 東京体育館 第一会議室
渋谷区千駄ヶ谷1-17-1
MAP http://www.tef.or.jp/tmg/access/access.html

テーマ: 「21世紀の能力開発 ~心技体の融合を目指して~」       
http://www.wfmjapan.com/

講師:三宅裕之 (http://www.wfmjapan.com/index.html#miyake)

参加費: 5,000円 


【参加申込みの予約方法】

本フォーラムは予約制となっていますので
参加をご希望の方は
事務局(担当:松田 info@wfmjapan.com)までご連絡願います。


何かご不明な点などございましたら、
お気軽にお問い合わせください。
info@wfmjapan.com
担当:松田創(世界連邦21世紀フォーラム 事務局)

対話149 乙一『失はれる物語』

2009.06.18.21:29





読書時間:40分

乙一は僕が中学生から高校生の頃に溺愛した作家で、僕が創刊されている書籍を読んでいる数少ない作家だ(もっとも、ごく最近のものには手をつけられていないが)。
僕は普段小説を読み返すことはあまりないのだけど、バイト先で乙一が話が出たのと、丁度たまたまBOOKOFFの100円コーナーで叩き売られていたので手にとって見ることにした。

読んでみてまずびっくりしたのは、一番最初に乗っている「calling you」を読み終わったとき、体に鳥肌が立ちまくったこと!
最初に読んだときからは結構時間が経ってしまっているし、2回目ということで初読時より斜に構えた形で読んでいたはずなのに、鳥肌。

これが僕的にはよくわからない現象だった。
別に読んでいるときはそこまで感動した!とかいう印象はなかったのだけど(懐かしいなあ、これってこういう展開だったよなーと思いながら読んでいた)、でも立ってしまったものは立ってしまったのだ。

心理学的に考えて、これは一体どういう作用が起きているのだろうか?あの頃の感動が再生されたのか、それとも僕がこの話のオチを忘れていて、不意を打たれたから起きたのだろうか?興味深い現象である。

ちなみに、その他の話を読んでいたときはそのようなことは起きなかった。
その中には「calling you」よりも好きな話も入っていたのだが(幸せは子猫の形とか、乙一で一番最初に読んだ物語なのでよく憶えている)、記憶の再生的感動みたいなのは一回起きれば充分なのかもしれない。僕にはよくわからない。

とにかく、少し空き時間があるから何か小説を読みたいなという人にオススメできる本だと思う。
最近では文庫版に彼の書き下ろしが2つ追加されて入っているそうなので、そちらを買ってみてはいかがだろうか。

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ポメラを1週間くらい使ってみての感想

2009.06.17.20:20

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元々ポメラに関しては去年の12月くらいから知っていて、結構欲しいなと思っていた。

僕は日常的にメモをよくとる。
しかしそのどれもが単文的なものばかりであり、なぜなら長文を書いていると疲れてしまうからである(軟弱日本男子)。
長文書くならパソコンのほうが楽だし~ということで、普段の持ち運びの段階では一言メモみたいなのをとっておき、家に帰ってからそれを長文にまとめ直すようにしようというのが僕の基本方針だった。

とはいえそれには結構不満もあった。
家に帰ってからではなかなか長文を書かない。
強調するが、自分でもびっくりするくらい書かない。
ちなみに僕は通学に2時間以上かけている都合上、電車の中では結構暇をしているのであるが、それはつまり家にいる時間が短いことを意味する。
そんな短い貴重な時間をくだらない長文を書くのに用いるだろうか?
はっきりいってノーである。
文章書くのが大好きすぎてもはやライフワークです!みたいなネットに割といるすばらしい脳みその方々なら喜んでやるのであろうが(皮肉ではない。純粋に賞賛している)、悲しいかな今のところ僕はそこまでの文章書きマニアにまでは至っていないのである。

また、学校の宿題の都合上仕方なく電車の中や家でも「永遠と文章を書かなければならない己の精神力と時間との勝負」という神をも侮辱する事態にたびたび陥るのだが、その際にも前述の手が疲れるという点に加え、紙媒体からのデータの転送という点で結構困らされていた。

そもそも、紙媒体のものをまた打ち直すのは学習にはなるのかもしれないが結構めんどくさい。
しかも僕は我ながらそこそこの悪筆であるため、しばしば文字が読めないという事態が発生する。
それでも日本語ならまだ読めるのだが、英語だとさもありなんである。
調子に乗って筆記体で書いた日にはそのほぼすべてが解読不能という事態に陥り、宿題の期限が迫っているというのに僕は帰ってからまず解読作業をしなければならないということになる。
日本人が英語を嫌いになるときの良い例である。


駄文が長くなったが(これもポメラのおかげだね!)ポメラは上記のようなくだらない僕の悩みを一気に解決してくれるすばらしいものだった。
そりゃ学生的には安くない買いもの(amazonで15000円くらい?)なのでそのくらいの働きはしてもらわないと困るのだが、デザイン的にも良さげだし、なによりノートパソコンに比べて圧倒的に軽い。
写真を見てくれればわかるが、大きさ的にも持ち運びにぴったりだ。
ちなみに写真に写っているのは僕の愛用機であるeeepc1000でこれも結構小さいほうなのだが、それでもポメラの小ささには叶わない。

唯一不満があるとしたらポメラは一行メモみたいなのにはあまり向かないということで、その際には紙媒体のほうが素早く場所を考えずにとれるという点で適している。とはいえ、アイディアのブレストやドラフトなどを通学の時間にすませ、それを家に帰ってから直接PCに送ってそのまま作業の続きができるというのは非常に有益であるように思う。

ということで、普段ある程度の文章量のメモをとる人、あるいはとりたい人にはかなりおすすめのデバイスです。
関係ないけど、ポメラを使っていると結構「あー今CMでやっているやつねー!」みたいな感じで関心を示してくれる人が多い。
僕は「テレビなんてとっくのとうに終わっている」と思っている中二病ど真ん中路線を突っ走る人間だけど、なんだかんだCMの実力というのはまだまだ侮れないなあと思った。

対話148 山田 豊文『病気がイヤなら「油」を変えなさい!―危ない“トランス脂肪”だらけの食の改善法』

2009.06.17.05:08




読書時間:30分

トランス脂肪酸を調べていて思ったのだが、日本にはトランス脂肪酸に関する資料が少なすぎる。
日本のアマゾンでトランス脂肪酸を検索しても150件そこそこなのに、米国アマゾンだと3700件越えだ。
それは日本人のトランス脂肪酸の摂取量が世界的に見ても低いということに起因しているのかもしれないが、一方栄養学に対する国民的な関心のなさもあるのではないかという気がしてくる。

本書はそういった現状に警鐘を鳴らすという意味でとてもよい本なのではないかと思った。
読みやすいし、特に難しいことも書いていないのでわかりやすい。
多少ヒステリックというか、一般向けに書いてあるため「本当にその点に科学的信憑性はあるのか」とかいらないことを思わないでもなかったが、とりあえず危機感に目覚めさせるという意味でこの本の存在意義は計り知れないものがあると思う。

欧米化の進む日本の食生活において、一度読んでおくと良いと思える本。
ただし現在の食品に対して警鐘を鳴らす本なので、あまりこれにとらわれすぎると実生活に多少の支障をきたすことは否めない。
また、この生活から抜け出すためにはある程度の資産も必要になってくる。
それらの要素をテーブルに並べて、自分にとって何が重要かということを考えることが必要になってくる。

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対話147 ジョン フィネガン『危険な油が病気を起こしてる』

2009.06.16.19:57




読書時間:30分

今大学の「科学・技術と社会」というクラスの中でトランス脂肪酸をテーマにプレゼンをやったりレポートを書いたりしているのだが、その参考資料として読んだ本。

ちなみにトランス脂肪酸というのは、簡単にいうと人工的につくられた(反芻動物も作るので必ずしも人工的でとはいえないが)不飽和脂肪酸であり、色々と体に害を及ぼすとされるもの。
食品の中だとショートニングやマーガリン、植物油脂などに入っているため、日本で売られている大体のお菓子などはアウトになる。と知りつつも結構買ってしまったりするのだが……

この本は出版年度が割と古めなため(1998年)、このテーマのようなすぐに情報が更新されるものに対しては微妙なところがあるのだが、それを置き去りにするほど素晴らしいのが、不飽和脂肪酸を生み出す植物油脂のオルタナティブをきちんと紹介している点にある。

日常で使うものについても使わないものについても、ほとんどの食用油について本書ではその特性を述べている。
これは素晴らしい。
僕はまだまだ家計を担うほどの財力がないので今のところは参考にしかならないが、将来自分で料理を作ったりする際には是非参考にしたいと思う本である。
とりあえず、透明なケースに入っている油は大したことのない油とわかっただけでも収穫だった。

特に、本書では亜麻仁油をオメガ3という必須脂肪酸を含む油としてオススメしている。
亜麻仁油なんて僕は多分見たことも食べたこともないが、将来はそれをベースとして食事に取り入れたいなと思わされた。

しかしこのように食品に関して過敏になってしまうと、人付き合いの面で結構めんどくさいというのが問題として挙げられる。
友人や知人と会食をする程度であればその日1日なので特に問題はないのだが、たとえば人生のパートナーたる女性を探す際には相当めんどくさい条件がつきそうで、今からため息がでる。(無駄な心配)

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6月15日のイメストボックス

2009.06.16.00:22

2週間ぶりのイメストボックス(イメストをオフ会的に集まってカラオケボックスで黙々と行うの意)は、参加者がイズモさんと僕だけという状態だったのだけれど、その分二人で色々と濃い話も出来てなかなか濃密な時間を過ごすことが出来た。

その中で一つ気づいたこと。
考えてみれば当たり前のことなのだが、イメストはあんまり速く喋ると状況描写がおろそかになる。

僕は仲間の中でもかなりのスピードでイメストをするほうで、夜やイメストをかなりやりこんだ状態でイメストを開始すると、我ながらどうやって出しているのかわからないスピードで喋り続けることになる。

この状態だとイメージが言語の速度に伴ってどんどんと変わっていってしまうため、五感を豊かに使って描写してみたり、感情を取り入れたりするのがおろそかになる心配がある。
むやみやたらにスピードを出せばよいというわけではないらしい(気づくのが遅い)。

ただ、じゃあゆっくりやればよいのかというとそれも考えもので、僕の場合まず眠くなるし(ちなみにイメストボックスでは驚くべきことに、喋りながら寝てしまうということがたびたび起きる)、最初の場合は特にイメージがあまり乗らないということもなくもない。

また、どこで見たか忘れたが、ウェンガーが「他のあらゆる条件が同じなら喋るのは速いほうが良い」と言っていた気がする。
ということは、なるべくスピードを殺さないよう、しかし五感や感情を表現に取り入れることを忘れずに、というごく当然の結論に至るしか道はないようだ。


そういえば、見るイメージについてだが、ある程度「こういうものが見たい!」と念じることで、それに沿ったテーマのものが見えてくるのは経験的に言ってほぼ間違いないということも思い出したのでついでに書いておく。

たとえば僕の場合「シュルレアリスム的な感じの映像が見たい」と念じれば、そう念じた3日後くらいにそういう映像がたびたび混じってきて、いつしかそういうのばっか見るようになる。
特にとどめておくような努力をしないとまた映像パターンは変化してしまうが、僕はこの力を利用して一時期は寝る前に頭の中でシュルレアリスムでオリジナルな絵画をミュージアムのように流して楽しむということをやっていた。

イメストがある程度出来るようになれば多分ほとんどの人が出来ることだと思うので、寝る前に見える映像を楽しみたい人は是非、映像に指向性を加えてみることをオススメするよ。

対話146 高野 秀行『異国トーキョー漂流記』

2009.06.14.11:29




読書時間:30分

作者が日本に訪れたあまりにもファンキーな外国人たちの付き合いをまとめた文庫本。
内容もさることながら、文体も面白いし、作者の視点も素晴らしい。

僕が最初にこの本を買ったのはICUに初めて見学をしにいった高校3年の冬で、確か三鷹駅にある本屋でなんとなく時間を潰したいなと思って手に取ったのが本書だ。

あれからなにげに結構な時間が流れたが、その間におそらく僕は4回は読み直したに違いない。
読みやすく、面白く、それでいて少し心に残る。
自分が何かの体験記を書くならば、このくらいのクオリティで書きたいと素直に思わされる本。

あと、この本の重要なところは「視点の変化」ということに触れているところだと思う。
作者は外国人たちと街を歩くとき、自分を日本人ではなく外国人のように思って街を眺めるという。
だからこそ、そのときに浮かび上がる光景は「東京」ではなく「トーキョー」であるのだ、と本書で作者は言及し、それがタイトルになっているのだ。

僕も奇遇ながら、どこかの観光に行っているときは自分の視点ではなく、外国人のような気持ちになって物事を見る癖が高校の修学旅行くらいからあったので、なんとなくシンクロニシティを感じてしまったた。

ともかく、良い本であるのは間違いないので、暇な時間があったら是非読んでみて欲しい。

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対話145 城 繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』

2009.06.14.05:10




読書時間:40分

友人からの薦めにより読了。
元々経営者へのインタビューや友人たちとの会話で「日本型大企業に入ることのリスク」ということについては結構話し合っていたので、特に本書も違和感なく読んだ。

数箇所素晴らしいな、と思うフレーズがあって引用したかったのだが、しるしをつけておくことを忘れたので今思ったことをざっとかくと、「やはり世代間にとる差というのはある程度存在する」ということである。

僕は世代論はあまり好きなほうではなく(とか言いながら日常会話で使ったりもするのだけど)、内心うまいことこれでマインドコントロールされているのではないかと思っていた。
その思いは今も消え去らないが、しかし、こと働くということを考えたときにはその年の就職状況や人気職種、転職展開などがその世代間にあたえている影響というのは無視できないのかなとこの本を読んで感じた。
たとえば僕のサークルでは経営者アタックをしてみたり、色々なセミナーに行ってみたり、自分たちでビジコンなどのイベントを開いてみたりといったことをしているわけだけど、これも時代の影響がモロに出ているに違いない。
一つの事象を考える上で、それに付随する歴史を考えることの重要性というのは確実にあるのである。

勿論あまりに過度な一般化は危険なのはいつものことではあるし、同じ世代でも色々な人がいる。それはわかっている、つもりだ。
しかしながら、「傾向」はやはり存在する。
傾向って言葉は便利なのでついつい悪用してしまいがちだけど、取り扱いに注意しながら今はどのような傾向があるのかをウォッチしてみるというのはある程度有意義なことであると思う。

最後に、僕が読み落としていたところでamazonに参考になるレビューがあったので勝手に転載。

入社四年目、26歳、♀です。
本書でいう“閉塞感”に耐えられず、転職を考えていました。
「転職に有利な年齢の“ギリギリ”」という危機感もあって、
会社を辞めて、本格的に転職活動を始めようと考えていた時に、
書店でこの本を目にしました。

私は、この本を読んで、
提出する予定だった辞表をいったんしまいました。

本書には、

『転職の理由が「社風が古い」「もっと面白い仕事がしたい」程度の漠然としたものなら、それは転職によって解決する可能性はむしろ低いだろう』

『“転職後悔組”に共通するのは、彼らが転職によって期待したものが、あくまでも「組織から与えられる役割」である点だ。言葉を換えるなら、「もっとマシな義務を与えてくれ」ということになる。動機の根元が内部ではなく外部に存在する・・・』

この箇所を読んで、ドキッとしました。

自問自答してみると、やりたいことがまだ明確ではなく、
別の会社に行けば、やりがいのある仕事を
「やらせてもらえる」と思っていた節があるからです。

今の会社の上司たちのように、
会社に「使われて」働きたくないと思いつつも、
結局、別の会社に「いい仕事を与えてもらえるだろう」と
期待している自分がいました。

自分の、どうしようもない甘い考えに気が付いたのです。

目からウロコでした。
当たり前ですが、自分のやりたいことをきちんと明確にした上で
転職活動に臨みたいと思いました。

ただただ感謝です。



大事なのは、目的思考と自主性なのだな、と最近常に意識させられる。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

出だしは裸足から

2009.06.13.21:40

何事もはじめが肝心というけど、最近そのことを毎日の生活の中で実感するようになった。
つまり、朝を失敗した場合は基本的に大きなイベントでも起きない限り、その借金を返済することは難しいということだ。

これはもしかしたら僕に完璧主義的な性質があるからなのかもしれないが(個人的にはあんまりそういう気質はないと思ってはいるけども)、ともかく1日をよりよく生きるためには、いかに朝の自分を締めるかということを追求する必要がある気がする。

とはいえ、今はまだ夏だからそんなにきつくはないが、朝の自分の行動というのはまったくもって理解しがたいものがある。
まるで自分の中に別の自分がいるみたいだ。
まったく意識していないにも関わらず、ちゃんとセッティングしておいた目覚まし時計が止まっている恐怖……そんじょそこらのホラー映画より間違いなく数千倍くらい怖い。
そりゃあ朝からホラーな体験にあっていたら、その日一日落ち込むのはもはや自明の理なのであって、つまり僕は僕の生活をホラーな朝で迎えてはならないのだ。

大体、良く考えてみたら古来より幽霊だとか妖怪というのは、夜でるものと相場が決まっている。
それが夜にでるから彼らは良いのであって、朝にそのようなホラー現象が起きてしまうというのはまったくもって不自然なことなのだ。

自分でも書いていてよく意味がわからないが、自我を失うようなことがあるとすればそれは夜に起きるべきであって、朝に起きるべきではないということが言いたいのかな、と今ちょっと我に返って考えてみて思ったよ。
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