<殿堂入り>
個人的読みやすさ:C (文体はそこまで読みやすいとは思わない)
読書時間:3時間
わたしは、個人というものをさまざまな私的幻想をもつ存在として理解している。その私的幻想がすべて私的なものにとどまっているかぎり、他者との関係はあり得ない。二人のあいだに関係が成立し得るためには、二人のおのおのの私的幻想を部分的にせよ吸収し、共同化し得る共同幻想がなければならない。(p.177)
恋愛とは魔法であり、魔法とは幻想である。ならば恋愛は幻想なのではないか?
唯幻論、という立場から国家やら恋愛、日常、空間や時間などについて書き綴ったエッセイ集というのがこの本の立ち位置なのだろうけど、僕はとにかくこの唯幻論というものにやられた。岸田によれば人は私的幻想と共同幻想で成り立っているものだし、それに基づけば恋愛だって国家だって、その表面の感触が幻のものであるということに気付いてしまう。私たちはそれに気付かないように時には触ることを避けたり、触れたとしても見てみぬふりをしたり、触っているはずなのに知覚できないという現象を起こしたりするわけだ。それはまるで人類全体が催眠にかかってしまっているに違いないということを表している。
僕は”魔法”というトピックをひとつの自分のキーワードと思っているのだけど、魔法とはすなわち幻想である。幻想であるが故に、化学的にどうであれ生物学的にどうであれ物理的にどうであれ、その人の魔法の強さによって現実は思ったとおりに姿を捻じ曲げる。私達の使う魔法は時間と空間に立脚した現実を捻じ曲げる魔法であり、その手触りを味を臭いを音を姿を捻じ曲げる魔法である。そしてそれは時に崩壊し、特に再構築され、私たちの目の前に次々とまるでオードブルのように提供されていく。私たちは日々魔法に染まった物体を食べているわけである。
その魔法を打ち破ることに意義があるし(だから自然科学が発達する)、また打ち破らないことにも意義があったりする。その線引きはとても面倒なもので、私達はどこまで自明的であるべきなのかについての選択をこれからの世のなかでも迫られるのだろう。
