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わたくしにとって英語を話すということ

2010.01.27.18:45

英語。
その言葉はその概念は、僕がこの大学に所属している限りどこにいっても付きまとってくるものに違いない。

 うちの大学は3学期に分かれていて、最後の冬学期が始まったのが去年の12月の最初の頃だった。
なんだかんだで留学に行くことが決定した僕は「こりゃあそろそろ英語をやらなければなりますまい」と思い、ここ最近全然とっていなかった英語開講の授業をいきなり10単位分くらい増やし、さらに果敢なる行動力で特に自分の専攻とは直接の関係のないものばかりを取ってみた。「多分このくらいすれば開拓精神が養われて、アメリカでも僕は渡っていけるようになるのではないか」というよくわからない思いで。

 結論として---まあ結論といっても冬学期は終わってすらいないのだが---英語開講の授業で埋めておけば英語に対してどんどん自信がつく、というような簡単なオチにはなってくれそうにもないというのが僕にとっての現実だった。
 
「確かにリスニングの能力はそのままでも養われるかもしれない」
 僕はリスニングが本当に苦手で、今まで大体の会話を9割以上の推測でこなしてきた男だ。そんな僕が授業では依然としてよくわからないことが多発しているながらも、ある程度の成長は多分この1ヶ月程度でしたのかもしれない。
でも僕は別にリスニングを鍛えるためだけに授業を取っているわけではない。授業を取っている以上、日本語でしているように狙い済ましたような発言やら質問をしてみたいし、目立ちたがり屋精神を発揮して面白いことを言いたい。だけど、せいぜい僕に出来ることはなんとなく理解したような振りをしながら机に座っているだけ。
「養われるかもしれない」とか書いたけどいまだに理解出来ないときは本当に出来ないし、ましてやオプショナルで発言やらなにやらをするなんて考えられない。そう思っていた。


 しかし。 
 幸運にも、ここ最近何故かネイティブの人と個別で結構長い間、会話する機会が多くなってきた。
これはうちの大学に入ってから残念なことに初めての出来事であり、今までも多分やろうと思えば全然こういう機会は作れたのだろうけど、でも僕にとってはそれは遠い存在のように感じることであったのだ。

 そして話しているうちに気付いた。ああ、やはりここ最近僕が感じているフラストレーションは「満足にアウトプット出来ないことから来ているのだ」と。そしてまた気付いた。「ああ、ネイティブにも話しやすい人と話しにくい人がいて、話しやすい人とはとても会話がすすむのだな」と。


 日本にいる以上、日常生活における大部分の会話は日本語だ。やはり授業の中だけでしか英語を使わないということは(しかもネイティブばっかりで今一発言しづらいことと)圧倒的に量が足りなさ過ぎる。僕にとって、質にばかり目がいって量にあまり目がいかないというのは昔から続いている悪癖なのだけど、量を通さなければ自分にとってなにが適しているのかがわからないというのもまた真理なのだ。

 今までもネイティブの人と話す機会は多かったけども、僕はいつもそのときに焦りを感じていた。そして「勉強しなくちゃ」「もっとやらなきゃ」というよくわからない罪の意識みたいなのを感じてしまって、それきりそういう活動性を潜めてしまう、ということがよくあった(あれ、よく考えたらあんまりなかったかも……?)
 だけどそこで結論を僕の英語能力だとか、そういうのに帰結するには早すぎたのだ。いや、僕の英語運用能力に問題があるのは疑いようもないのだけど、それを気にせずにあまりある楽しさを共有できる人間がいるはずなのだ、ということを僕は忘れていた。

 人間はやっぱり当たり前だけど人それぞれで、それならば一人当たってみて難しさを感じても他の人にすぐぶつかれる精神性を持つことはとっても素晴らしいことなのだ。


 今日はそんなことを思わせる出会いがある日だった。まあ言いたいこととしては日常で英語使って楽しく会話することって大事だよっていう普通の一般論なんだけどね!
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対話278 佐藤 孝治 『廃止論』

2010.01.27.18:25




個人的読みやすさ:A
読書時間:30分


 ここまで読んできた読者の諸君にはもうおわかりだと思うが、人事の人が言う「素の自分」とは、その人の持つ自分自身の「行動原理」や「勝ちパターン」のことである。ものごとを処理する自分自身のフレームを持っているか、いないか。持っているのなら、それはどんなものか。それが、その人の「素」ということだ。(p.133)


 いつの間にか僕も3年生になり、いわゆる就活というものをしている人が周りでぽつぽつ、じゃなかった、わんさか出始めて来る頃にあった。
そんなわけなので日ごろ就活に関する話を色々な人とする機会があるのだが、僕と話す大体の人は就活というシステムにある程度の疑問を感じている(これは毎年みんなが思うことだろう)。その疑問がなぜ噴出するのか、ということに答えているという意味では大変良い本だと思うし、この本ではさらに「社会的に求められている人はどういう人で、どういう風にすればそうなる可能性が高いのか」ということまで指し示してくれている。就活に関わる人は特にだけども、そうでない人も日本のシステムの一端を垣間見るという意味では非常に興味深いことを記述してくれているのでオススメ。

 僕の場合、周りの人間にいわゆる普通の就活をせず、社会人や多大生とのネットワークを広げることに従事している人が結構いるので、著者の指している話は非常に想像しやすかった。あと、文章の最後のほうにtwitterだとか僕の尊敬する藤沢烈さんの話だとかが出てきて、なんとなく世界は狭いのかもしれないと感じた。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話277 舞城王太郎 『ビッチマグネット』

2010.01.24.18:41




個人的読みやすさ:B
読書時間:1時間とちょっと

 実際の経緯なんて誰も面倒くさがって判断してくれない。(p.153)


僕はそれほど小説を読まないほうだと思うが、そんな僕の中で最も輝いているのはこの舞城を置いて他にないと言い切ることが出来る。僕はよく出来た舞城フリークで、すきあらば友人に舞城を強引に読ませようと画策さえしたりする。

 そんな舞城さんの新作。勿論僕は発売日に買って、発売日に読んだ。
色々と精神がごたついていたせいで読書メモを書くのがこんなに遅れてしまったけど、一度読んでしばらくしたものをさらっと流して読むだけでもまた新しい発見がある。それは喜びである。

 だいぶ前、友人とちょっとした議論になったときに思ったのだけど、僕はいわゆるビッチと呼ばれる人に対して割かし嫌悪感を持っていないほうだと思う。高校のときも比較的仲の良かった人にそういう人がいたというのもあるし、まあ人間それぞれ違うよなあというくらいの感想しか持つことができない。

 だからかもしれないけど、いやあるいは舞城の見せ方がそうさせているのかもしれないけど、この本に出てくるいわゆるビッチの女の子にもそれほど嫌悪感を持つことなく読み終わった。いや、実際自分がこんな場面に出くわしたらもっと反応は変わるのだろう。でも、第三者視点から見た場合は「なんともやりきれないような、それでいてうまくまとまっているような小説を読んでしまった」という読後感だけが残るのだ。

 まあ一言でいうとあかりちゃんどうしようもなくて可愛いよ、っていうことで。僕は割とどうしようもない女の子が好きなのかもしれない。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話276 原尻 英樹 『文化人類学の方法と歴史』

2010.01.24.17:04




個人的読みやすさ:C
読書時間:1時間


 ボアズは人種と文化を分離し、文化によって人間が形成されること(文化決定論)、またここの文化には優劣がないこと(文化相対主義)も主張した。(p.40)


 僕が一冊目に読んだ本が一般向けの文化人類学入門書だとしたら、こちらは学術向けの文化人類学入門書という位置づけだろうか。

 僕が個人的に知りたかったのは文化人類学の今にいたる思想的な歴史およびそこで活躍してきた人々の功績だったのだが、この本は見事にその流れのダイジェストを取り上げてくれている。
 
 この本を読んでみて、非常に強く感じるのが「学問と学問、そしてその時の社会の流れは見事なまでに密接に結びついている」ということだ。人類学が果たして科学と呼べるかはひとまず置いておいても、「割と確からしい」と僕らが思っていることが、実は単に僕らの共通幻想から来ているということは本当に腐るほどあると思う。

 人種の間には優劣がある、なんて考え方を少なくとも公式にしたら今の世の中では馬鹿にされるのがオチなのだけど、しかし今というのも充分に発展途上なわけで、僕らが当たり前だと思っていることが数年後にはまったく噴飯物、ということがありうるのだ、ということにこの本は再度気付かせてくれたように思う。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

ここ最近のイメスト状況およびイメストにおけるアハ体験について

2010.01.24.12:32

 読書以外のことを書くのは結構久しぶりになってしまったが。

 昨日、イメストボックスと僕が勝手に読んでいるイメストオフ会に参加してきた。イメストってよくわからないという場合は言葉を喋るタイプの瞑想のようなもの、とおもってくれていればとりあえずは大丈夫。先週も2人でカラオケボックスに篭ってやったので、久しぶりに2週間連続でこのようなイベントをしたことになる。

 家でのイメスト状況は特に引っ越してから悲惨で、多分ほとんどやっていない。加えて、ここ最近は年末年始をはさんだり僕が新しい冬学期のペースをなかなかつかめていなかったりしたことで、イメストオフ会自体もそんなに開いてはいなかった。
 そんなわけで、今回こんな風にスパルタにやるのは自分にとってかなり久しぶりのことだったのだ。

 イメストというのはまさに脳内のジョギングである。毎日やっていれば負担はそれほどでもなくなっていくのだけど、ひとたびさぼってからやるとその疲れ具合は半端ない。イメストをする前は想像もつかなかったが、人間しゃべりながらでも充分寝ることが出来るのだ。昨日僕が喋っている最中に寝る回数は半端なく、自分が喋っているときでそれなのだから他の人が喋っているときなんかは前半ほとんど寝てしまっていたように思う。

 とはいえ後半になるとだいぶイメストをすることに頭が慣れ始め、しばらくするとまた再び(むしろ前以上に)イメージで遊んだり、そこから深い意味を見出したりすることが出来るようになった。やはりイメストは楽しいものなのだなあということを実感。

 イメストに関しては書きたいことも結構あるのだけど、ここ最近気付いたことで一つ重要なことを挙げろといわれたら僕は迷わずにこれを書く。
つまり「イメストで出てくるイメージの理解とは解釈するものではなく、体感的に感じ取るもの」ということである。

 僕は結構長い間、結構休んだりしながらもイメストを続けてきているのだけど、このイメストから意味を導き出すということが今一以前からわかっていなかった。
 出てくるイメージを必死に解釈しようとしてもなんだかこじつけのような気がしてしまうし、第一まったくアハ体験のようなものも訪れない。
 ウェンガーの書き込みを見ると最低1日1回はアハ体験がでるようになるようなことが書いてあったので、自分のやっているやり方になんらかの問題があるのではないかと思ったりしたことも最近まではよくあった。

 しかし多分その解釈をする、という前提が間違えていたのだと思う。解釈とは(使い古された誤解を招き易い表現であるが)左脳的な働きであり、つまりそれは理性を表している。理性の中にいるだけでは自分の枠外からでるのは難しいものだ。そうではなく、イメストにおいてのイメージ理解というのはむしろ体感的な、なんとなくそのイメージの中にいることで感じ取れるものであることが多いのではないだろうか?そう思ったとき、僕にとってのイメストの価値というのはまた数段上がったように思う。
 
 別に言語化がアハ体験を阻害するものであるとは思わない。僕にとって、イメージに浸っているときにアハ体験をするのと同じっくらい、イメスト終了後に自分の見たものを書き取っているときにそこに隠された意味に気付くということはあるものだ。しかしそれは頭の中で理屈や屁理屈、言葉遊びをしたときに生まれるものではなく、やはり直観的な動きなのである。

 
イメストというのはやっているとどうしても飽きがくる、というか頭に無理がくるものなのだけど、僕のようにオフ会を開いてみるとか、あるいはイメージの中でどんどん質問をしていって自分の好奇心を途絶えさせないようにするということで、積極的に関わっていくことが可能になっていくと思う。僕も変化をどんどんと取り入れていって、1ヶ月間毎日1時間イメストをしてみる、とかその辺のレベルにまで自分を持っていきたいと切に思う。まあ今までそう思って出来てこなかったことのほうが多いのだから、もうちょっと気軽な気持ちで望んだほうがいいのかもしれないけども。

対話275 マーチン 『「モテる男はこう口説く!」5日間集中レッスン』

2010.01.24.11:26




個人的読みやすさ:A
読書時間:20分


 あなた自身が楽しくない人だったら、一緒にいる人は絶対楽しくないです。
 逆に、あなた自身が楽しい人だったら、一緒にいるだけで楽しくなるのです。

 例えば、仕事をクビになってしまい、借金がある。毎日不安がいっぱい……なんて男と一緒にいても、楽しいと思ってくれる女性はいない、ということです。(p132)


 僕の友人が見たらおまえ一体何読んでるんだよ、って感じの本なんだけど、存外参考になることが多かった。いや、別にそんなに飢えているわけではない……はず……

 色々と世代的に、というかクラスタ的についていけないこともあったし(そんなに僕は服にお金かけられないです……)、キャラクタ的にメールに☆とかつけられない人間もきっと僕以外にいっぱいいると思うんだけど、女友達はそこそこいるけど彼女とかにはなかなか発展しないよねーという人にはおすすめなのかもしれない。

個人的に参考になったのは自分の状態に気をつけるということ。なんか20年くらいこれが自分にとってのナチュラルだったのであまり不自然に思っていなかったのだけど、気を使っていない部分が結構自分にあったことに気付いた。もっと野生の状態から文化化されるべきなのだろう。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話274 斗鬼 正一 『目からウロコの文化人類学入門―人間探検ガイドブック』

2010.01.24.11:17




個人的読みやすさ:A
読書時間:40分~50分


 分類はすべての思考、行動の基礎である。人は動く動物であり、すべての行動が行われる空間が、分類、評価され、行動が決められていなければ、いちいち考え、決めなければ鳴らず、どうにも行動しようがなくなってしまう。自由というのは実は、ある意味で人が生きていくうえで一番困ることなのであり、空間に関しても文化は、いちいち考えなくても済むように、頭の省エネを可能にしているのである。(p.44)


文化人類学に関する入門書、というよりはどちらかというと紹介書といったほうが近いかもしれない。

 この本の中ではいくつかの興味深い文化に関する指摘と、たくさんの興味深い事例が紹介されている。
文化を相対的に見るにはやはり自国の文化に浸かっているだけでは難しいわけであって、そこでフィールドワークの重要性などが増してきているのだろう。

 個人的には穢れ・汚れという概念(文化が加わっているものを美しいとし、そのままのものを汚いというすること)、境界という概念、非神経質であることこそ国際化の条件ということにはっとした。野生であることはやはり文化の前では汚いことになるわけで、勿論あえて文化へのカウンターカルチャーとして野生というものは文化に取り込まれて生きていくことは可能なんだけど、前提的には文化というものが先にくるよう僕らは教育されているのだなと感じた。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

去年の読書を振り返ってみて

2010.01.22.18:03

 最近のこのブログはほとんどただの読書日記といってしまってもよいくらい僕が何を読んだかばかり書いていたのだけど、
今ちょっと冷静になって振り返ってみると1年の読書日記目標である365には届かず、300にも行かなかった結果になった。

 正直365は僕が数日以上サボることを含めてもかなり甘く設定したほうだったので、
行かなかったのはちょっと意外なところ。
原因はでは何か、と考えたところ、やはり僕の気まぐれさというか、何日も何も読まない日が出来てしまうことにあると思う。

 本を読むか読まざるか、というのは結構その日の気分によって、そしてその直前の習慣によって決定されていることが多いように思う。
僕が本をごりごり読んでいたときは結構差が激しくて、読む日は3~5冊読む、読まない日はまったく読まないという形になっていた。
ONとOFFがしっかり出来ていて良いといえば良いのだけど、ただOFFの怖いところはそれがだらだら続くと読書習慣自体がおざなりになってしまい、しばらくぶりに本に目を通したらその疲れ具合に愕然となるということがあげられる。それは丁度今の僕のように。

かといってまったく本を読みたくないときは本当に読みたくないわけで、こんな風に10日以上何も読んでいませんみたいな状態を作らないようにするためには、どこかの場所に対しての条件付け、そしてその場所に自分がちゃんと訪れるかの設定をよく考えたほうが良いのだと思う。

思えば去年は前半のほうが圧倒的に本を読むペースが早かった。
これは去年の後半から読む本の内容がだんだんとアカデミック方面にシフトしていった(比較的、という意味で……)というのもかなり影響は及ぼしているだろうけれど、
それとは別に去年の後半から僕が友人とルームシェア、という形で大学の近くに住むことになったというのが大きいと思う。

以前の僕は電車の中が主な読書時間だった。
電車の中で僕にすることは他には睡眠くらいしかなかったし、電車の時間以外はあることに結構きつく拘束されていたので、その切り替えがうまく出来たのだと思う。

しかし電車=本という動機付けが引越して以降、うまく働かなくなってしまった。
こうなったとき、僕が取るべき行動としては「あらたに場所と読書をリンクさせ、そしてそれは自分が毎日関わる場所にすること」ということを考えるということだったのだけど、今まで特に意識することなく読書に励んでいたためそれを怠ってしまった。
そういうような背景があって、現在の僕はあまり本を読まなくなってしまったのだと思う(まあ冬休み明けてから気が抜けているというのもありますが)。

とはいえ、せっかく本が早く読めますよーとか自己主張をしているので今年も本はもりもり読んでいきたい。目標読書日記数500超えくらいの勢いではやっていきたい。
あと、別に僕はよく考えたら読書日記をつけたくてこのブログを始めたわけではなかったので、これからは読書以外のこともどんどんと書いていきたいと思う。

今年も皆様よろしくお願いします。




対話273酒井 邦嘉 『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか』

2010.01.22.17:52




読みやすさ:C
読書時間:1時間半


 文法というと、何かきっちり決まっていて動かしがたいもののように思えるかもしれないが、実際は、千変万化する。個々人でも文法の使い方に差が見られrばかりか、方言や世代の違いを考えると、同じ日本語とは思えないほど変化がある。「言葉は生きている」と言われるが、単に言葉が変化するのではなく、文法そのものも変化するのが特徴的である。(p.21-22)


認知言語学に関する授業を大学のほうで今とっているので、その参考になればと思い手に取った本。

僕はそもそも言語学の基礎からなっていないので、僕が吸い上げられた情報量はちょっと少ないような気もするのだが、
それでも今までほとんど関心のなかった領域に、多少なりとも関心のある脳科学という視点から切り込めたことによって少しその理解がすすんだような気がする。

僕としては真ん中らへんの言語学に関するところが大きい部分が読みにくく、後半の脳の機能に関するところが比較的読みやすかった。もう何冊か言語学の本を読んで、なんとなく頭の中で今どういう議論が交わされているのかの全体的な輪郭をつかめるようにしていきたい。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話272 ルートヴィッヒ ウィトゲンシュタイン 『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』

2010.01.22.17:41




個人的読みやすさ:B (手記なので)
読書時間:1時間過ぎ


私にとって最良の状態とは熱狂の状態だ。笑うべき考えを熱狂は少なくとも部分的に食いつくし無害なものにするからだ。(p29)


また再び更新にかなり間が空いてしまった。
やはり僕は何か特別なことが起きてそれまでの習慣が崩されてから元に立て直すのにかなり時間がかかるようだ。
年始から海外へ久しぶりに行ったのだけど、あれ以降ブログも含めて色々なことを立て直すのにてんやわんやしたりする(他にやることが少し増えたというのもあるが)

さて、この本であるが率直にいって素晴らしいと思う。
僕にとってのヴィトゲンシュタインとは、良く聞く名前だけど実際にどんなことをしていたのかというと……な人物であり、彼自身にそれまで興味を強く抱いていたわけではない。しかしそんな人間にもこの本を読めば彼に対して強く興味を持つこと請け合いである。それほど彼の手記には面白いフレーズが詰まっているし、堅苦しい世間(?)のイメージだけではなく彼が人間らしさをちゃんと持ち合わせていることもここから発見することが出来るからだ。

特に僕としては前半のほう、彼の個人的な生活が見えている部分に非常に関心を持った。
後半の宗教的思想に関しては僕にカバーできる部分がちょっと少ないということもあってそこまで何かを発見することが出来なかったけど、ちょっとでもヴィトゲンシュタインの名前に興味があったりなかったりしたらぜひ読んでみると良い本だと思う。



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はらわたに秩序。

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