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対話293 サンドラ ブレイクスリー, マシュー ブレイクスリー『脳の中の身体地図―ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ』

2010.02.28.23:15




個人的読みやすさ:C
読書時間:1時間10分


 コーチたちに言わせれば、この段階の人々に運動イメージ法は禁物だ。学習しようとしている運動に必要な、基本的な運動マップができあがっていないからである。ひとつのスキルが実際に筋肉と関連付けられるまでは、メンタル・プラクティスはできない。イメージできるのは、以前にやったことがあって、最低限の能力を身につけている運動だけである。たとえば、遊び半分で激しいピアノ協奏曲をガンガンとかき鳴らすことは想像できても、そもそもピアノが弾けないことには、メンタル・リハーサルをしても何も得るところはないのだ。
 イメージが有益な手段となるのは、運動が流れるように滑らかで、無意識に行われ、同期化、同調されたときである。(p.103)


 脳内地図では各感覚器官はどの程度の割合を示しているのか、を擬人的に描いたホムンクルスというものがある。僕の脳内地図に対する認識は正直その程度で止まっていたのだけど、この本を通じて脳内地図の面白さはそれどころじゃない、脳ってもっとももっと面白い、ということが痛烈に伝わってきた。この本によればそもそもホムンクルスにも2種類あるらしい。運動野と感覚野。勉強になる。

 色々と面白い箇所があったのだけど、特に興味を惹かれたのは拡張現実のあたりかもしれない。
ある研究ではアバターの中であっても、交渉に身長の高低差が関係してしまうというという報告もあって、
新しい科学技術&人間の認知、というトピックを掘り進めたい人にはオススメの本。

 あと、ミラーニューロンに関する記述がいちいち面白い。なんでも人間と他の動物をわけるのはミラーニューロンだとか?
ミラーニューロンについては良く考えたらまともに本を読んだことがなかったので、これを機にもっと詳しく調べてみたい。
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対話292 池谷 裕二 『脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?』

2010.02.28.11:36




個人的読みやすさ:A
読書時間:50分


 つまり、重要なことは、ストレスを解消するかどうかではなく、解消する方法を持っていると思っているかどうかです。(p.71)


 脳科学者でありながら非常に面白いエッセイを書くことで主に僕の中で評価の高い池谷さんの本。
ここ最近あんまり彼の本に触れていなかったということもあるけど、この本も様々な驚きと発見に満ちていたと思う。

 特に引用したところは今までの自分の認識と違い、それでいてしっくりくることだった。
今現在僕はメンタルヘルス問題に関する団体に属し、そこで一応副代表というポジションを取らせていただいている関係上、ストレスというものを考えることがよくある。
どのような方法を取ればストレスの解放に繋がるのか?それをいかに簡単に日常に取り入れるような仕組みをつくるか?
そこに今までフォーカスして考えていたけども、とりあえず「解決法がある」ということを知らせるだけで問題は好転する。これは大きな発見だ。

 面白い部分はそれだけじゃない。特に終盤らへんで描写されていた未来の科学技術と脳科学の発展の関連性。すなわち拡張現実だったり、バイオフィードバックだったりの部分。もう少し引用しよう。

 極論を言えば、小学校で算数や国語を教えるのと同じように、義務教育として「アルファ波の出し方」を教えるのも、面白いかもしれません。科学的に「自制心」を持たせる訓練ができれば、未来の世界で、犯罪が減るのではないかなどとも考えています。(p.225)


 科学技術の発展は間違いなく僕らの生活をよくも悪くも変える。ここでSTS(科学技術と社会)上の問題もたくさん出てくるだろう。けれども結局のところ科学技術の発展は僕らの生活に食らいこんでくると思うし、上記の引用のような世界が生まれたってまったく不思議ではないのだ。僕としては、その新しい世界にいざ直面して拒否反応を示すより、今から想像力を働かせてどのような世界になっていくのかを心の中に描き、実際にそれに直面したときに受け入れるなり反対するなり自分なりに理性的に反応できる準備をしておくことが大事になるのかなと思う。

対話291 佐藤 泰正 『速読の科学』

2010.02.22.16:33




個人的読みやすさ:B
読書時間:20分


その結果、読書速度は大いに向上したが、はじめから速い読み手の速度進歩率は、つねに高かった。(p.167)


 僕の生まれた年に発行されたらしい速読本。
この潜在意識の活用をうたった本が全盛期の時代としてはやや古臭く、なおかつ速読のスケールが小さいように見えるけど、最も実用的というか現実的な速読、というとおそらくこの程度を示すのだろうということがわかるよい指標だったように思える。

 速読に関する本は僕もちょこちょこ読んでいるので全体的に被る知識が多かったけども、それでもこの本のようなちゃんと測定と評価を統計的に行っている本が同じことを言っていると説得力を感じる。たとえば上に引用した部分もそうだし、女子のほうが訓練後の改善度が高いというデータ(p.191)、訓練をする前にトレーニングをする意義や効果を話し合った場合の効果の上昇について(p.168)、小学三年生までは音読のほうが読むのが速いという見解(p.91)などもなかなか興味深い事柄であった。

 精神的に速読を促すためにはこの本の内容はあまりにもごてごてしてたり不恰好だったりするのだけど(そもそも統計的な基礎知識がないとわからないところがちょこちょこある)、無意識本か何かを読んであまりにも高い目標設定をつくってくじけたあとに、この本を読むと別に自分が特別劣っているわけではないんだな、という風に認識できてよいかもしれない。

対話290 佐々木 宏幹 『シャーマニズム―エクスタシーと憑霊の文化』

2010.02.21.20:47




個人的読みやすさ:B
読書時間:30分


 "シャーマニズムとは、通常トランスのような異常心理状態において、超自然的存在(神、精霊、死霊など)と直接接触・交流し、この過程で予言、信託、卜占、治病行為などの役割をはたす人物(シャーマン)を中心とする呪術-宗教的形態である。”(p.41)


 シャーマニズムに関連する本を読んでいると、いつも人間の持っている可能性について驚きを感じずにはいられない。
そしてそのたびに、その人間の可能性というのは少なからず”その人が属している環境から来ている”という事実に直面することになる。

 何が人をシャーマンたらせているのか、という問題を考えることは僕にとって非常に有意義だ。
大体のシャーマンは何らかの霊的な体験を得て、そこから先は文化によって修行をしたりしなかったり、そんなことをしながら社会にシャーマンとして定着していく、と僕は思っていた。実際この本でもそういうような指摘があるし、別にそれ自体は事実だと思う。

 ただ、シャーマンを考えるときに司祭との比較、というものが本書では持ち込まれていて、それが僕のシャーマンに対する洞察を一歩進めたものにしてくれる。

 シャーマンはそれ自体が神聖な直感を持っていたり、何かを降ろす力(possesion)、または霊的に旅をする力(ecstasy)を持っていたりする。それに対して司祭というのはもっと社会的な装置としての色が強い。別に彼らは霊的な経験を得ている必要は必ずしもないし、トランス状態になって何かを降ろしたり旅したりする必要も多くの場合ない。

 それはつまり、シャーマニズムの合理化、あるいは産業化に近いのかなと思う。
シャーマンというのは選ばれた人しかなれないものであることが多いし、実際彼らの能力は何か違うものがあるとみなされている。だから珍重されるし重宝されるし尊敬のまなざしを得たり蔑視されたりする。
 でも、彼らの価値はそれだけではない。彼らのポジション自体が社会的に必要とされているのである。つまり、トランスの能力があるなしに関わらず、なんらかの異世界と繋がっている、という権威自体が求められている、ということである。そこでその権威としての存在として、司祭というものが流行を極めるに至る。

 社会に何故そのような権威が求められているか。それはなんだかんだいって、人間が人間を超えた判断基準だとか、存在を必要としているからくるからなのだろう。人間を超えた判断基準は決定をより簡単にさせてくれるし、プラセボ的な意味で病を治したりすることもある。
 特殊な力を持っている人がいればそれはそれでよいことなのだけど、そういったような人がいなくても人は社会的にそういった人物を創り上げることで、様々なことに対処をしているのである。そしてその後、シャーマンのような文化が社会的に迫害され、司祭が力を得るという様々な文化で見られるようなある種の逆転現象が発生するに至るのかなと思った。

対話289 山田 雅夫 『スケッチは3分』

2010.02.21.18:12




個人的読みやすさ:A
読書時間:30分


 モノを描く場合の原則は、「最も手前の部分から描きはじめる」です。手前の部分は、自分の目にもっともよく見えているわけですから、そこから着手するのがふつうです。(p.140)


 イメージについて日ごろ考えていると、やはり実際に絵を描いてみるというのがどうしても意識に上がってくる。しかしながらもはや僕にとって絵を描くというのは半端ない敷居の高さを醸し出しており、うかつに近づくことすら出来やしない。んではどうすんべか、というところで筆者は「絵を描くということに対してそこまで敷居を高く感じる必要はないし、一つ一つに時間をかけなくていいんだよ」と言ってくれる。

 本書の中で、これが最も言いたいことなのだろうと僕は思う。
 スケッチというと「数時間以上かけて描かなければいけないもの」というパラダイムを変えてくれるという点で、この本は相応のインパクトがあった。
 僕は一つの動作をずっと長い間続けていることはあまりない(小さい頃やっていたカードゲームだけは別)ので、スケッチのような時間のかかりそうなものに対する抵抗感があったのだけど、この本はそれを見事に払拭してくれる。そして僕はこう思うのである、「僕にもスケッチをすることが許されているのか」と。
 
 この本を読んですぐさまスケッチをしたくなったというわけではない、でも自分の人生の可能性としてまだまだ絵を描くということが許されている、そのことを確認できたことがこの本を読んでみた最大の収穫だった。

着想のための読書は内容定着にも役立つ?

2010.02.21.00:50

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 先日、読書をしながら着想したことをtwitterにポストして書くともの凄く面白いよ!ということをブログの記事にしたのだけど、これはもしかしたら内容の定着にも大きな影響を及ぼしているのかもしれない。まだ2日しかチャレンジしていないので確信は特にないが、実際今日読んだ本は結構細部のほうまで印象に残っていたりする。

 エビングハウスの記憶曲線の通り、時間が経てばその細部の部分は結構忘れてしまうことも多いのだろう。でも多分次に読んだときに思い出せる質はやっぱり今までより高い気がするし、そもそも読んでいるときの質感がいつもと異なる感じがするのだ。

 多分これは読んでいる最中にアウトプットとして出そうと意識することで、細部の部分により注意深くなり、読書を一方通行のコミュニケーションと認識しないことからきているような気がする。また、アウトプットをしようとすると途中途中で今自分がそこから何を得られたのか自然に確認するようになっているから不思議だ。

 勿論他の要因も考えられる。今日読んだ魔女と聖女に関する本では途中字面を追ってるだけだと理解度が低いかなと思い簡単に映像化しながら読み進めたからそれの影響もあるのだろう。ともあれ、これからしばらくはアウトプット型の読書を意識しながら本と接していきたいなと思う。何よりそれが僕にとっては楽しい読み方なのだ。

対話288 池上 俊一 『魔女と聖女 ヨ-ロッパ中・近世の女たち 』

2010.02.21.00:17




個人的読みやすさ:B
読書時間:50分


 彼女は一三五三年から二十三歳でなくなる一三八〇年まで、数限りないエクスタシーを経験したようである。彼女は「拒食症」であって最低限の食事しかとらず、また、一日おきに、睡眠時間を一時間以下におさえていた。したがって彼女は、恒常的に感覚麻痺状態であり、そのことがエクスタシーにおちいりやすい体質をつくっていたのであろうと推測される。(p.96-97)


 引用はシエナのカテリーナという人の記録なのだが、これまたもの凄い人間もいたものである。今であったらこんな人は速攻で精神鑑定を受けて精神病棟にぶちこまれるのが常だと思うが、彼女の時代においてはこれも一つの人格として存在することを許されていたわけだから、昔のほうが人格のバラエティがあったのかなとも思わなくも無い。

 さて、シエナのカテリーナの症例は人類の可能性という点でもの凄く興味深いのだけど、それ以外にもこの本には多くの面白い内容が宝箱のように詰まっている。
 中世ルネッサンス期における女性崇拝と女性蔑視の流れは過去においてだけの動きではなく現在でもたとえばネットなどである程度認められる動きのように思えるし、抑圧された性がどのような歪み(この定義も現代における僕だから言えることだろう)を作り出すかというのも非常に興味深い点である。
 また、男性本位の世界観の中で女性グループの世界観が確かに存在し、それが歴史上にところどころスキマを縫うように噴出しているというのも面白い。地球でたとえるなら男性的価値観が地表、女性的価値観が地中で、たまにそれがマグマのように出てきて一つの山を作ったり作らなかったりする。そんな情景がこの本を読んでいる中で生まれてくる。

対話287 岩井 寛 『森田療法』

2010.02.21.00:00




個人的読みやすさ:A
読書時間:40分


 患者のなかには、しばしば、子どものように自由に振る舞うのが森田療法の「あるがまま」でしょう、などという人がいる。「あるがまま」の理念については後に触れるが、”したいようにする”のが「あるがまま」であるのではないのである。(p.25)


 森田療法の考えはユングと対立する、ということを以前誰かから聞いて以降ずっと森田療法に関する書物を読みたいなと思っていて、それから半年くらいたってやっと実現した。なかなか思ったことが現実になるのには時間がかかったりするのだなあと思う。

 結局読み終わってみてもユングの思想と対立するところがどこかイマイチわからなかったのだが(強いて言うなら西洋医学的な考えに対する対立概念があるのは感じたが、ユング個人の思想と特別対立しているかというと?)、とにかく驚くべきなのはこの本の読みやすさ。「あるがまま」などのような概念をうまく用いることで、人間はどのような状態で病み、それに対してどのような認知をもって接すれば良いのかが非常にわかりやすく記載されている。

 僕も東洋思想の影響を少なからず受けているので、病を病として正常とは完全に別個のもの、として切り離すには抵抗があるし、ましてやそれを否定するということは自分にとって良い影響を及ぼすとは思っていなかったので、森田療法に流れる思想はそれほど抵抗なく読み取ることが出来た。この本を読んだかぎりでは森田療法の主な対象は神経症のような印象を受けたけど、それを通じて思うのは、やはり特定の凝り固まった思想や思考が自分よりも上位にきてしまうと、そこに待ち受けているのはバラエティ豊かな狂気と悲劇なのだろうなと思う。そういう意味で、何かの考えに固執しようとする態度は非常に黒魔術的だ。

対話286 マーク・ブキャナン 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』

2010.02.20.12:53




個人的読みやすさ:D
読書時間:1時間半


 つまり、より正しくは、「システムは個々の要素と、それら要素間の相互作用に基づいて、初めて完全に理解することができる」とすべきだろう。さらに、要素間の相互作用によって組織全体としてのパターンが生じる場合がしばしばあり、しかもそのパターンは個々の要素に原因を帰すことができない、と理解することも大事だ。(p.298)


人間の脳や組織、インターネット、それらをネットワークシステムとして捉え、そこから考察を進めるという形で本著は進んでいく。

 スモールワールドの概念や脳との関連性など、びびっとくることはいくつもあったのだけど、この本を読んだときの体調とかも影響しているのか今一頭の中に入ってきづらかったというのが正直なところ。アマゾンのレビューなどを見てもそこまでものすごく知識を必要とする感じでもないし、この定着のなさは一体どこから来たのか我ながら謎だ。

 着想自体は面白いと思うし、この本は多分<着想するための読書>としては最適なものだと思うので、ころあいを見てもう一度一から読み直してみたい。

theme : 読んだ本。
genre : 本・雑誌

着想のための読書は面白い

2010.02.20.02:00

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 着想のための読書は面白い。

 僕の読書は一定周期で変わっていて、確か去年の今頃は読みながらマインドマップに書いていた。その前は本に直接自分の着想したことを書いていたし、去年の後半くらいからは面白いと思ったところに付箋を貼って、あとでブログで引用するついでにそこ等辺を見返すようにしていた。

 そんな風に実験的に読み方を変えるということをやっていると思うのだけど、自分を着想させる媒体としての読書、というのは一味違う面白さがあるのだなとここ2日くらい思う。
 大学が冬学期に入ってから、つまり12月くらいから、僕はあんまり本を読まなくなった。というよりは色々なことを言い訳に読めなくなったといったほうが近いのかもしれないが、それは今思うと僕が読書から着想させるための媒体、としての性格を少しずつ捨て去っていたことが影響していたのだなと今なら考えられる。あの当時は情報を抜き取って、それに対するリフレクションを行うということを主にやっていた。それはそれで読書のスタイルとして悪くはなかったのだけど、やはり自分に着想させる読書とは少し異なっている。

 自分に着想させる読書というのはつまり、その本を読むことで今まで自分が考えていなかった、あるいはまとまっていなかった概念が自分から自然と生み出されるような状態にさせる読書ということである。それはその本の内容を自分なりに噛み砕こうとした結果なのかもしれないし、そこから連想したアイディアだったりするのかもしれない。その動きは実際の対話におけるものと非常に似ていて、やはり読書に至っても対話スタイルで読んだほうがより意義深い時間を味わえるのではないか、と思う。まあ討論形式のクラスよりレクチャー形式のクラスのほうが面白いという人もいるではあろうし、やることによっては着想ばかりしていても仕方が無いということもあるので、これは完全に僕の好みと興味関心領域によるものなのかもしれない。

 ともかく、読書の面白さがよくわからない、という人はとりあえず自分がそこから何を着想できるか?という視点で読んでみると面白いかもしれないよ、ということだけはいいたい。着想ってどうやるのさ、と聞かれると僕も自分の意識を超えて出てくることなのでよくわからないけど、インプットを増やしていけば自然に出てきそうだとは思うし、念じていれば3日後くらいには自分が着想モードになっているかもしれない。とにかく、本とは知識を得るだけに使うものではないし、筆者の意見を批判的に見るだけに使うものではない。第3の、そこから自分が何を発想するかにも使うことが出来る媒体なのである。そして自分がそこから出てくるアイディアに多少なりとも驚きを感じたのであれば、そのアイディアが元のアイディアと指して変わらないものであっても、当人にとってはとっても大事なことなのだと思う。

対話285 神永 正博 『学力低下は錯覚である』

2010.02.20.01:21




個人的読みやすさ:A
読書時間:45分


 昭和45年も平成17年も、男子の4人に1人は工学系に進学しているのである。(p.67)


僕らの世代といえばゆとり世代であり、世間ではアホの代名詞とまで目され、同級生の間でもそれを自虐的に言う人が結構いたりする。僕は基本的に無意味なほどポジティブに物事を考える傾向にあるのであんまり深刻視はしていなかったが、それでも実際僕らの受けた教育が今までとの教育とどのような差をもたらしているのか?という点には結構興味があったので、この本も読み始める前からかなりの興味を持っていた。

 結論から先にいうと、僕らの教育の内容が質に影響を与えたどうこういうよりも、そのときの社会的背景の影響のほうが大きいよね、ということが色々なデータを基に書いてある。たとえばそれは人口数と大学の受け入れ人数の関係だったり、理系離れと女性進学率の関係だったり、工学系と医学系のバリューの時代差だったり、理系から金融などへの文転だったりなのだが、こういうのを見ていると数学を使うってのは存外に面白いことなのだなと思えてくるから不思議だ。
 この本を読んだ最大の収穫は数学に対する僕の偏見が一部解消されたことにあるのかもしれないとすら思えてくる。

 時代の背景はやはり刻々と変わるものなので、個人的には日本の大学にいってバリューを出そうとするよりも、例えば海外の大学にいってバリューを出そうとするほうが(行く大学にもよるけど)日本においてはそのバリューを発揮しやすいのではないかなとも思う。日本といえば何故か海外の大学に留学していることがものすごいステータスになるような学校だしそれはうちの大学においてもそうなので、むしろその世代に入ってしまった僕らとしては真剣に海外など学ぶべき場所を換え、それを持ち帰ることで社会に還元するという一昔前に流行った所作を再び行うべきなのではないかという気すらしてくる
 それが大学への留学という形態を取るのか、バングラディシュでの社会企業を通じての学び、となるのかはまだよくわからないけども。とりあえず海外のそこそこ以上の大学にいったほうが「競争」というものを強く意識できる確率が高いというのは間違いないことなのであるし。

theme : 読んだ本。
genre : 本・雑誌

対話284 小森 陽一 『研究する意味』

2010.02.20.00:19




個人的読みやすさ:B
読書時間:1時間

 新しいことをやろうとすれば、かならずコンサーバティブな勢力に批判されたり、拒絶されたりします。そのときに、コンサーバティブな勢力がもっているツールを全部マスターしていることを見せることが重要です。向こうがもっているツールをこちらが向こう意以上につかいこなせることがわかると、向こうもひるみます。新しいことをやろうと思えば思うほど、伝統的な学問についてよく知っていることが必要になるのです。(大澤, p.106)


 主に人文科学、社会科学の学者から集めた「研究する意味」について、本著では記述されている。多少分野に偏りがあるのではないかと思ったが、普段あまり接しない学問領域の人が何を考えその学問に従事しているかを断片的ながらも知ることが出来たのはとても興味深いことだった。特に身体から色々なことを研究されているという大澤真幸さんのテーマは個人的に興味をそそられる。また機会があれば彼の著作も読んでみたいところ。

 さて、この本を通じて僕が得た教訓はかなりあるのだけど、むしろそれ以上に僕がこの本を読んで感じた反発心、みたいなもののほうが自分にとってより有意義であるような気がする。
 例えば学者であるということは性格の悪い人間であれということなのか?
いわゆるクリティカルシンキングを持つことは非常に大事なことだけど、別にそれは性格が悪い必要はまったくもってなく、それは単純に性格のよさとクリティカルシンキングを両立するスキルがないだけのことなのではないかと僕は捉えてしまう。
 また、全体を通した印象として、なんとなく「ああ、世代が違うのだな」という違和感を持つことがかなりあった。古典を読めよ、というような指摘は研究者になろうとするなら当然のことなのなので別になんとも思うことはないが、例えばリベラルアーツを否定している箇所とかはリベラルアーツに対する理解あるいは実行が足りないのではないか、とか。

 あれ、気付いたら僕は金子勝に対する反発ばかりしていますね。読んでいるときは他の人にも同様に違和感を感じたりしたのだけど、彼の意見はなんだかんだインパクトがあるということなのかもしれない。

 そのほか日本の研究の現状として面白かったこととして、日本は映画だとかのメディアを研究する力がまったく育っていないという件が挙げられる。今のところあんまり受け入れ口がなさそうだけど、何とかこの分野に関連した研究をしていれば将来メディア研究が育ち始めそうなときに職を得たりする可能性が高まるのかな、とか我ながら軽薄極まりない。

 ちなみに本著の中では文系のドクターまで行く人は日本では今のところそうそうおらず、故に文系の研究者になりたければなるべく早くドクターを取ることが職を得る鍵であるみたいなことが書いてあったことには驚いた。尤も、この本が創刊された2003年からはすでに7年(!)経過しているわけで、今はもうすでにだいぶ状況が異なってしまっているのだろう。残念。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話283 榊原 洋一 『「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか』

2010.02.19.23:07




個人的読みやすさ:B
読書時間:30分


 さらに自明のこととして扱った一段目の論法についても、後でまた触れるが、小学校中学年までの子どもでは、音読をしても前頭葉の血流が増加しないことが分かっているのである。(p.119)


 副題が脳機能イメージングで何がわかったか、ということなのでどんな内容なのだろうと思い読み進めていたら、一般的に取り扱われる脳科学的なものと実際の脳科学の研究のギャップみたいな色が濃い内容だった。知識の整理という点では非常に読みやすく、いくつかおぼついていない自分の知識がこれを読むことでよりクリアになったと思う。

 特に僕が疑問だったのは、脳内の血流量の増加が結局のところ何を意味しているのか、ということと、脳機能イメージングでは何が今のところ主にわかるのかということだった。脳内の血流量の増加に関しては違う文献で読んだとおり(また僕の感覚の通り)、単純に血流量の増加=頭が良くなる、と一般的に信じられているようにはならず、筆者は熟達したピアニストではむしろ脳内の血流量の増加率は下がることを引き合いにだし、むしろ不器用な動作をしたときに血流量が上がるということを指摘している。つまるところ、血流量の増加は自分にとっての未知に出会ったときに発生するものであり、それこそが到達すべきポイントではないのだということであろう。

 これには同意するが、しかしそうすると一つ疑問が出てくる。今回の引用に出した「小学生中盤までは音読をしても脳内の血流量は増加しない」ということである。これは一体なんでであろうか?日常的に音読をしているから特に血流量が上がらないという解釈はちょっと弱いような気がするし、やはり根本的にこの時期までは認知プロセスに差があるのだろうか?音読をすると成人であればおおむね血流量が上がるという報告を見る限りその可能性は高そうではあるが、もう少し調べていきたいところ。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話282 新宮 一成 『ラカンの精神分析』

2010.02.19.22:55




個人的読みやすさ:C
読書時間:1時間10分


 ラカンとブルトンに共通しているのは、人間を、別の現実に向かって押し広げようという意思であろう。社会的な能産性に基づく自我同一性とは時限の違う存在を、人間のなかに見出そうとする情熱であろう。(p.24)


 以前ラディケの「ラカンはこう読め!」という本がべらぼうに面白かったので、ラカン関連の本を読んでみたいと思い評判の高い神宮先生の本を読んでみることにした。

 この本を読んでとにかく気付いたのがラカンのアイディアの「人に着想させる力」である。彼のアイディアは映像的な部分が多いと個人的に感じていて、そのせいなのかこちらもラカンに触発されてなんらかの着想を得ることが多かった。尤もそれはラカンのアイディアをそのまま飲み込むのが難しいため、自分なりに咀嚼し吐き出しているというだけなのかもしれないが。いずれにせよその力を持っているという意味で、この本は非常に素晴らしい本であると思う。

 知識としてのラカンのアイディアとしては、感覚的に理解できるところもあれば1回の通読ではちょっと飲み込みずらいかなという部分もあるのが正直なところ。自分における他者の存在だとか鏡としての他者、というアイディアはそれなりに理解できたような気がするが、特に黄金数らへんの解説には少し僕の理解が追いつかなかった(面白い着想というのはわかるが)。

 この辺は他の本も読みながらさらに理解を深めていきたいところなのだけど、原典の翻訳はものすごくわかりづらいという評判なので究極的には僕はフランス語をやらなければならない。英語もままならないのにフランス語って!昔からフランス語には興味があるので機会があったら是非学びたいところではあるが……

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

twitterの呟きをくっつけてみた

2010.02.19.00:41

記事の隣にツイッターの呟きをくっつけてみた。
割と素でコメントすることが多いので、なんとなく恐縮の至りなのですが、まあそこは置いといて。

ブログのほうの記事には読書メモか、ツイッターに上げた着想をもうちょっと深めるときに使おうかと画策中。
自分が果たしてそんなことをするのかという問題はおいといて、これで両方とも共存できるような境地。

対話281 波平 恵美子 『医療人類学入門』

2010.02.17.21:41




個人的読みやすさ:B
読書時間:1時間ちょい


つまり、現代医学のカウンター・パート(対抗物)となれるような、強大でより体系化された医療体系を人類がもはや持たなくなっているために、現代医学の属性を相対化することが次第に困難になってきたということである(p.18)


最近狭い範囲ながら医療というものに関わる機会が増え、
もともとシャーマニズムなどに興味があるということもあって、俄然僕の医療人類学に対する興味は増している。

この本はそんな僕の「医療人類学ってなんじゃい?」という素人丸出しっぷりにも結構対応してくれ、
なんとなく医療人類学の対象としているもの、そして意義みたいなものがわかってきたような気がした。

特に僕がこの本を通じて実感したのが、医療というもの、そして健康というものの近代性だ。
今僕らがイメージする医療というものも健康というものも、基本的には近代に生まれた概念らしい。
違う本に書いてあったことだが(確かプラセボ関係の本)、
今でいうところの医学が出てきたのは17世紀とかそのへんなわけで、
日本だと理系ということで一つにくくられがちだけど、この辺の歴史の変遷を調べてみるというのも多分オカルティックに楽しいに違いない。


しかし冬の寒さがマジ半端ないということもあるのだけど、
twitterをやっているというとblogの更新がものすごい勢いで減るという一つの良いサンプルみたいに最近なっている。
もうtwitterの書き込みをブログに飛ばせば良いのではないかとすら思っていまう。しかしやり方がよくわからない。悲劇。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話280 ダニエル・ピンク 『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』

2010.02.05.13:17




個人的読みやすさ:B
読書時間:40分


「精神面が中世的な人は、事実上対応のレパートリーが倍になるので、豊かな視点で世間の人々と交流でき、多様なチャンスを手に入れることができるのだ」
 別の言葉でいえば、偉大な人は中世的なのである。(p.216)



 これからの社会でどのような持つものが求められるのか、そしてそうなるためには何に注目してどうすればよいのかについてが書かれてある本。

 この本を読んで、僕自身将来をどのようにデザインしていくかの大まかな見取り図くらいは描けたような気がする。多分、僕自身の性格傾向からいってマニュファクチュアな方向には向かないだろうし、論理論理している職場でもきっと窒息死しそうだ。かといって芸術家になるほどの芸術力はまるでないわけなので、やはり新しいことをつくっていくしかないのだろう。そのための手段として何が正しいのかというのはとりあえず置いておいて。


 それにしても最近の気力の足りなさの一因は読書不足になるような気がする。ちょっとずつ胃袋を拡張させるような調子で本を読むペースをあげていきたい。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

対話279 草加 大介 『軟派の作法』

2010.02.05.12:57




個人的読みやすさ:A
読書時間:20分


恋愛関係には、最高も最低もないと知れ (p.37)


 またものすんごい軽い上に知人が見たら「何読んでるの」といわれそうな本だが、恋愛において自分とはまったく違う思考法を持っている人が書いた本、というだけでもかなり面白い。

 僕がこの本を読んだからナンパをしはじめる、ということはおそらくあまりないと思われるが、読んでいて気付かされたのは恋愛に纏わるしきたりだとか文化的な概念とか、そういうものが自分の思想の意識しないところに巣食っていると認識できたこと。

 あんまり社会的な制約にとらわれていないつもりで、実際かなりとらわれてしまっている。この本を読んでいるとなんだかそんなことを思い始める。

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