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真面目に/はじめに

2008.11.28.07:48

このサイトでは天才ワナビー(天才になりたい人)である僕が、天才になるためにやること、およびその過程を記載していく。
と言っても、まあそれは所詮前置きなので実際はもっとどうでもいいことを乗っけたりするかもしれないし、もしかしたらそのどうでもいいことが後々メインコンテンツになるという割とありがちな現象を引き起こしてしまうかもしれない。その可能性はかなり高い。
僕は過去ちょこちょこ色々なブログをやっていたけれども、そのときも残念ながらそうなってしまうことがたびたび起きたものだった……

話を変えて。
一口に「天才」と言ってしまっても、世の中には様々な「天才」の尺度があると思う。
みんながみんな違うイメージを天才に持っているわけで、人によってはMENSA(IQ150以上でなければ入れない団体)の会員のことを天才と呼ぶかもしれないし、芸術だとかスポーツだとか、その分野で特に精通した人間のことを天才と呼ぶということもあると思う。あるいはもっとカジュアルにクラスの中で頭のいい人間相手に使ったりもするよね。

ただ、その中で使われる「天才」という文言の中に、どうしても天から授かっている才能=すなわち生まれついての能力であるというニュアンスが含まれていることが多いことに僕は納得がいかないのである。
勿論世の中にはどう見ても生まれた瞬間から知能が抜群に高かったとしか思えないような人間はゴロゴロとしているわけで、その存在は否定しない。
しかし僕は凡人と天才の垣根というものは一生越えられないものなのか?という点に疑問があるのだ。

このような「天才」水掛け論の中ではしばしば「秀才」という言葉が登場してくる。
勉強などの後天的努力によって頭が良くなった、とされる人々のこととなるのかな、一般的には。
僕の考えではこれは「天才」に求められているのとは違うカテゴリーの能力が秀でていることを指している場合が多い。
陳腐な区分ですが、天才は右脳なイメージ、秀才は左脳なイメージといえばわかりやすいだろうか。

では凡人は左脳型の凄い人=秀才にはなれるけど、右脳型の凄い人=天才にはなれないのか?
結論から言うと、それは否であると思う。(これは僕の願望も多分に含まれているけども)
今までの学校教育では主に左脳型の能力を鍛えることに躍起になっていましたから、学校教育を通して秀才が生まれるのは考えてみれば至極当然のことと言える。
であるならば右脳型の能力を鍛えれば僕も天才になれるのではないか……
そう思った僕は根暗にも色々な書籍を読み漁り、右脳開発に力を注ぎ込み始めるに至るのである。

最近では僕がこんな前置きを書くまでもなくそのように認識している方が増えてらっしゃるのか、右脳を鍛えよう!(=天才型の能力を鍛えよう!)というのを目標にした書籍などをよく目にするようになった。
その中ではいかにも怪しげなアイディアを扱っていたりしているものも目立ち、右脳開発に興味がない人たちに順調に不信感を与えまくっているけども、一方確実に効果があるというアイディアも僕の経験上確実に存在している。

言うまでもなく僕は普通の人間である。いやむしろ今までの生活習慣などを見るに普通以下の人間であったのは間違いない。
前述の通り、能力開発に関する様々な書籍を読み漁ったのはいいけれど、それを実行に移さないなんてこともザラにあったし、いざはじめても続かない。3日坊主どころか1日坊主、ひどい時は5秒坊主で終わることもしょっちゅうだった。今書いてて気付いたけどわれながら結構どうしようもない状態だった。

それでも僕は少しずつ自分の中のシステムをかえていき、最近になってようやく一定のリズムを保てるようになったかなというところまできている。
僕がその経験の中から得られた知識を、またこれから得ていく知識を皆さんとシェアすることで、双方にとって利益をもたらすことの出来るサイトになったらよいなと思う。

「後天的に天才になる。」それが暫定的に僕の課した人生の目標である。
そして天から授かった生命の中で活き活きと生きることが出来れば、これに勝る喜びは多分ないと思う。

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