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対話136 大木 英夫『ピューリタン―近代化の精神構造』

2009.06.01.07:59



充実度:A
読書時間:40分

僕らは知らず知らずのうちにピューリタニズムの影響を受けている。
こう思えただけでも本書を読んだ価値はあった。
本書によればピューリタニズムは新しい宗教の形であり、それは思想と呼ばれるものである。
つまり、ピューリタニズムは他の宗教を括って否定するのだけど、そこから逃れるために自分と宗教を区別する存在なのだと僕は勝手に読み取った。

ピューリタニズムというフレームワークで世の中を見てみると、見慣れた風景が違和感を生じさせる何かに見えてくる。
こういう視点を提供してくれる本は貴重であり、一度読んでみたらよいと思う。

ちなみにこの本を読むキッカケになったのはこの本が大学の授業で課題図書の一つになっていたからなのだけど、やっぱり人気教授がおすすめするような本にはずれはない。今回はこの本を選んだが、時間があるときにそのほかに薦められていた本も読んでいきたいと思う。


最後に、この本のレポート用のドラフトをさっと書いてみたので、何か指摘があればありがたくお受けします。

4.大木英夫『ピューリタン』(中央公新書)を読んで、ピューリタニズムの現代的意義について考察する。

 現代の日本に生きる人々は宗教と自身とを切り離してしまいがちである。
ピューリタニズムと聞いても17世紀のピューリタン革命を想起するだけ人がほとんどであろうし、現代においてピューリタンという勢力が、しかもそれが日本において力を持っているとは到底想像し得ないものであろう。

 しかしながら、現代に対してピューリタニズムが及ぼしている影響は計り知れない。
ピューリタン的思想をその国家建設の根本に持つアメリカ合衆国だけではなく、一見関係のなさそうな日本においても同じことが言えるのである。
なぜなら現代のグローバル化や民主主義というような風潮から、個人における思想にまで、ピューリタニズムで尊ばれていた教義を見ることが出来るからである。
 
 ピューリタニズムのそもそもの現代に及ぼした最も大きな影響として、宗教を世俗化させたということが挙げられよう。
つまり「脱」宗教化させたのがピューリタニズムである。
これには若干の語弊を含んでおり、実際ピューリタニズムをただの一つの宗教であるとくくることも出来るのだが、ピューリタニズムはアングリカニズムに代表される国王絶対主義や受動的服従と言った要素を「旧宗教」という形で自分たちとは明確に区別をつけた。
アングリカニズムなどの古い宗教観とピューリタニズムの立ち位置を相対化して見ることによって、アングリカニズム的な古い要素とピューリタニズムの新しい要素を切り離して示したのである。
その結果、ピューリタニズムでの教義は「宗教」ではなく「思想」と呼ばれるものに変形を遂げた。
これがピューリタニズム的な考えが現代社会に蔓延した一つのきっかけである。
アングリカニズムなどの宗教に対しての攻撃性を内在するピューリタニズムは、自分自身がアングリカニズムと同じ宗教というように括られるのを避けなければならなかった。
つまりピューリタニズムは、宗教という古来より人間と共にあった概念をある程度ステレオタイプ化して脇にどけ、違う名前を使いながら何食わぬ形で現代の生活に溶け込むことに成功した宗教なのである。

このことはピューリタニズムがアングリカニズムの一つの要素である「偶像」を嫌ったということからも言うことが出来る。
ピューリタニズムはまず第一にその思想を大事にしていたため、偶像的なものは必要がなかったとも言える。
とにかく、そのシンボル性を排除することによって、自分たちが「宗教」という括りの中で攻撃を受けないよう身を隠すことに成功したのである。
 
 ではそのピューリタニズム的な思想がどのような現象を現代にもたらしたのか。
その一つとして挙げられるのがすでに述べたように宗教否定である。
これは科学の発展という側面もその一つの原因として考えられるが、そこにピューリタニズムの影響がないと言い切るのは早計であろう。
ピューリタニズムは「宗教」という括りと「思想」という括りを分け、自らを「思想」の側とすることで宗教でいながらも宗教を否定することを可能にした。
もともとピューリタニズムは思想の重要性を元にするものであるため、宗教的とみなされるシンボルを必ずしも必要としなかったというのがその背景として考えられる。
また、大木が指摘しているように、そこには宗教を歴史的に見るピューリタニズムの性質が関連しているということもあるだろう。
歴史の上に宗教を載せて考えることによって、宗教の相対化に成功したという見方も出来る。

 また、このようにして現代社会の根本部分に侵入したピューリタニズムであるが、思想を元にしているが故に人間の思想に対する権利が拡張されてきたという点も見過ごせないだろう。
人権といえば現代社会を形作る有力なファクターとして機能しているが、そもそも人権が尊ばれるようになったきっかけとなったのはピューリタニズムの信じる自由である。
現代人、特に先進国にとっては人権の大切さなど今更言うまでもないが故にあまり検討されることもなく浸透しているが、これが人類の普遍的価値観でないのはキリスト教文化圏と対立するイスラム教文化圏などを見れば明らかである。
ピューリタニズムはそれ以外を宗教という形で相対化しているが、ピューリタニズムそれ自体は思想という形でそこから逃れているため、案外にこれには気付かれにくい。
このようにして、人権という面からもピューリタニズムの思想を見出せる。
 
 さらに、現代社会で非常に力を持っている会社にもピューリタニズムの影響があるということが出来る。
現代の会社の特色としてあるのが果て無き成長主義、能力主義、そして契約主義である。

  現代の資本主義における市場では、企業は常に成長していくことを望まれる。
新しい価値を創造していきつづけなければその企業は時代に取り残されてしまうからである。
これはピューリタニズムの「摂理への果て無き探求」に被るところがあるように思われる。
ピューリタニズムにおいて、現代というのはミレニアムにおける準備期間に過ぎない。
ということは摂理というものはミレニアムに到達するまでは永久に発見できるものではなく、準備期間においてはそれの探求を常に要求されるのである。つ
まり市場主義原理自体そのものがピューリタン的キリスト教の性格をはらんでいると言えよう。

  能力主義に関しても成長主義と同様のことが言える。
現代の雇用においては企業が就職希望者の能力や適性を測り、会社に向かえいれるか否かを決めるというのが一般的になってきているが、それが古代より続く習慣でないことは明白であろう。
実際に、企業内におけるグローバル化はますます進んでいるが、これも特に出生を問うことなく能力という中身の部分に重点を置き、そのためにはその土地を離れ移動することも厭わないピューリタニズムの特徴である。
また、会社という場面に限らずとも、大学での勉学や芸術活動のために、地方を出身とする者が大都市に出向いたり海外へ向かうということはもはや日常的な風景となっている。
そこには思想というものを尊重し、出生などで自分の行く教会先が決まるといったような古来の習慣を否定するピューリタニズムの契約主義が見て取れるのである。
 
 こう考えてみると、現代というのはピューリタニズムの思想の影響下にあることは間違いがないということが言えるであろう。
それは直接的に関係のあるアメリカ合衆国だけではなく、日本を含めた現代の潮流という現象である。
このようにして、ピューリタニズムは現代において多大な意義をもたらしており、現代というものを把握するためにはまずピューリタニズムによる思想に現代社会が少なからず影響を受けていることを認めることが現代を見つめなおす上で求められるだろう。


 
 

 

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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