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対話156 河合 隼雄『ユング心理学と東洋思想 (河合隼雄全対話)』

2009.06.21.10:17




読書時間:30分

ユングが東洋思想に影響を受けているのは明らかなのだが、その東洋思想とは一体なんだろうかという視点を軸に、西洋と東洋の違いをざっくりと語った対話集として僕は読んだ。

興味深かったのが西洋と東洋における神話の違いである。
西洋においてドラゴンは倒されるべき存在であり、東洋においてはしばしば畏敬の念をもたれる存在であるが、筆者らはドラゴンを想像物とみなし、そこに無意識との対決を選ぶ西洋と無意識への憧憬を持つ東洋の態度の差を見出している。

また、鬼という言葉は(中国語か日本語かは不明だが)「帰る」という意味を含んでおり、これはフロイトの無意識観と一致するところが大きい。


それに、ご存じでしょう?フロイトは、無意識、つまり抑圧された潜在意識を描写するのに”なんとかしてかえりたいと、いつも、希い続けているもの”とか”なんらかの、ゆがめられた形で、帰ってくる”とか表現していますね。つまりフロイトが、用圧された意識減少について語るとき、彼は同時にまた――もしこれを神話的観点から見れば――いわゆる文明開化の社会から排除され、追放されたものたちについて言及していることにもなります。(p.119 強調は引用者による)


神話や宗教、夢、脳科学というのはおそらく今後かなり融和してくる分野だと思う。
せっかく教養学部ということで様々な科目を取り続けることが出来るようになっているので、それを生かして融合的に学んでいきたいなと思う。

あと、この本を読んで個人的にあまり接点のなかった「禅」についての面白い記述があったのでそれも引用しておく。

井筒――ええ、そうですねえ……。まず、われわれは二つの道程を区別しなくちゃあならない。つまり、第一過程としての上昇(つまり、修行道)と、修行が一応完了した時点から始まる第二過程としての下降ですね。上昇過程においては、すべてのイメージを切断し、排除しなくては……。日本人にとっても、このイメージに適切に対処するのはまったくの難事業でしょう。あらゆる種類のイメージが、次から次へと浮かび上がってきて、まるで、一種の、狂者の世界です。ですが、純粋に、実践修行の立場から、禅マスターたちは、初心者に、そのイメージをいっさい、忘れてしまうように、と言うんですね。原因も理由もいっさい尋ねず、ただ捨ててしまえ、気にも留めるな……と。いったん心に留めたが最後、やっかいなことになる……というわけです。もっとも、以上は、第一過程である上昇道に関してだけのことなんです。

河合――なるほど、面白いです。

井筒――しかし、いったん、至高の点”無”に到達することができたら、まさにそのときこそ、心おきなく、今度は逆に、できる限り自然に、自由に、イメージを生起させる……。そして、この場合、、この経験的現実界の事物は、ひとつひとつ、どれも皆、例外なく、”根元イメージ”となる、つまりマスター・イメージ(イメージ原型)となる。自他の存在を――要するに、見るものと見られるものの両者を、いや世界を――まさにその一点に凝集したイメージ原型、となるんですね。(p.124-125 強調は引用者による)


このことは、イメストをやる上でも示唆深いもののように感じられる。

もともとイメージ先行の東洋思想に対するカウンターとして禅が現れたと本書では指摘されていたが、確かにイメージの扱いについてはもっと深く考える必要がありそうだ。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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