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対話181 清水 義範『黄昏のカーニバル』

2009.07.17.11:46




読書時間:1時間

※この読書メモはこの小説とジョジョの奇妙な冒険第5部に関するネタバレをある程度含んでいます。

●初めてはまった小説
僕は以前は今ほどの読書小僧ではなかった。確かに本を読むことが嫌いとかそういうことはなかったけども、自分から進んで読もうと思ったことはあまりなかった気がする。
そのような状況を打破してくれて、幸か不幸か僕を読書の虜にさせてくれたのは(正確にいうと小説を読む習慣をつけてくれたのは)この本といっても多分過言じゃない。

そういえば最初に読んだときは中学3年くらいだったと思うけど、あのとき第一志望の高校の面接で好きな小説家を聞かれたらこの人の名前を言おう、と試験5分くらいまえに小説を見直して確認していた記憶がある(なお、実際の面接ではそんなことは一ミリも聞かれなかった)。

●SF小説というよりはパスティーシュ
設定的にはSF的なものが多いが、清水義範を特徴づけているのはパスティーシュという技法だろう。パスティーシュとはいわゆる模倣的手法で、パロディ的な感じで、ある題材を模倣してややユーモラスに描くというのがひとつのパターンとしてあると思う。清水義範でいえば中学の教科書に書いてあるような英会話のように話が進む「永遠のジャック&ベティ」がその典型例だろう。

ただ、本書はそのパスティーシュという彼が得意とする分野よりももっと純粋な?SF的要素のほうが強いかなと思う。そしてそのどれもが小気味よく展開されていて、読んでいてもあまり飽きることがない。僕がこの本を読んだのは今日起きた直後なのだが、それでもほとんど眠いと思うことなく読み通すことが出来た。あんまり有名な本ではないかもしれないけど、是非他人にオススメしたい本である。

●「黄昏のカーニバル」「消去すべし」が僕にクリーンヒット
この本には7つの短編小説が収められている。嫌いな作品はまずないが、その中でも2つ目の表題「黄昏のカーニバル」と最後に収められている「消去すべし」がテーマ的にも書き方的にも僕にクリーンヒットした。

「黄昏のカーニバル」ではなんというか、誰もいないところでテレビが永遠と逆再生されるというシュールというか、なんともいえないもの悲しさがやるせなさを醸し出してくれている。思うに僕の無常観的な思想とか、シュールレアリズムを好む傾向もこの小説を読んだあたりから形成され始めたのかもしれない。

「消去すべし」を今読んでまっさきに思い出すのはジョジョの奇妙な冒険第5部に登場するボス、ディアボロの存在である。「消去すべし」の主人公は生まれつきこの世のバグとして発生し、自我はあるが記憶はないというところから話がスタートする。彼はバグゆえに様々なデータ(人やもの)を消していくことが出来るのだが、元々世界に祝福されて生まれたわけではない故に最後は世界そのものに消されることになってしまう。

ディアボロもまさにそのような性質がある。ジョジョを読んだことのある人でディアボロが大好き!という人は「ディアボロの奇妙な冒険」(配布終了)の熱心なプレーヤー以外にあまりいないだろうが、僕は大好きで多分ジョジョで一番好きである。その理由は彼の生い立ちと性質にあって、彼はもともとこの世に生まれるものとして登場したわけではなかった。生まれ方が明らかに不自然だし、行動をする際はなるべく表に出てこない(通常は二重人格の片割れであるドッピオが前に出てきていて、主人格は出てこない)あたりもまるで世界の追跡から逃れているような印象を受ける。

彼は不幸なことに最後の最後でドッピオを投げ捨ててしまったためその存在を白日の元に照らすことになり、結果として敗北することになるのだが、あの時ドッピオから分離せずに行動していたらどのような結末が待っていたのか気になるところである。まあ状況から言ってふつうにそれでも敗北していそうだけど。

なお、僕のディアボロ観は「究極スタンド大全」というサイトから凄い影響を受けている。非常によく書いてあるサイトなので、これを読めば今一好かれることの少ないディアボロが好きになること請け合いである。多分。

参考までにちょっとディアボロに関する記述を抜き出してみる。

奇妙なエピソードを経て、この世界に「産まれるはずの無い者」として生を受けた赤子「ディアボロ」は、この世界の「摂理」(プログラム)に生じた小さな「過ち」(バグ)を、その精神の奥深くに宿して誕生した。「バグ」はディアボロ少年の内で「もう一つの人格」に育ち、臆病な彼を徐々に支配し、時に彼に代わって彼の肉体で偽名を名乗り行動するようになる。そして19歳のときに「矢」によりスタンド使いとなった「バグ人格」は、「K・クリムゾン」のスタンド体に宿る人格となり、コンピューターのプログラムバグのように「世界をバグらせる」能力を獲得する。(ただしコンピューターのプログラムと違って世界の摂理はあまりにも巨大且つ完全に確立され、その上自己修復能力もあるため、「K・クリムゾン」の力では世界を局所的・一時的に破壊するのがせいぜいである) そしてさらに時が経ち、「バグ人格」はディアボロの肉体と精神を完全に支配して「現ディアボロ」となり、バグ人格に支配され精神の成長を止めた「元ディアボロ少年」は、その子供の肉体と臆病な性格でボスの正体をカモフラージュする「ヴィネガー・ドッピオ」となり、以降この二人は奇妙な共生関係を保ちながら生きることになる。

また、世界のバグである「K・クリムゾン」がその精神の力で「世界を排除する力」を持つのと同様に、「世界」はその自己修復力により「バグを排除する力」を働かせ、その力はディアボロに関わる人間をディアボロに敵対するように仕向け、ディアボロに「強力な人災」を集中させる。ただし、「バグ」であるディアボロがドッピオの精神の奥底に潜んでいれば、彼に働く「排除の力」も弱まり、「強力な人災」も「軽いトラブル」程度に抑えられる。ディアボロ少年が臆病な性格になったのは、産まれ落ちた時からずっと理不尽なトラブルに遭い続けたためであり、現ディアボロが国をも裏から操るほどの巨大ギャング組織のボスになり得たのは、その身に集中する「強力な人災」(これには必然的に闇社会の住人が関わる確率が高くなる)を無敵の「K・クリムゾン」で乗り越え、闇社会でのし上がっていけたが故である。なお、現ディアボロ=バグ人格の「邪悪さ」は、元ディアボロ少年が人とのトラブルで感じ続けてきた「負の念」によって培われたものであろう。(強調部は引用者)

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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