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対話194 詫摩 武俊, 鈴木 乙史, 瀧本 孝雄, 松井 豊 『性格心理学への招待―自分を知り他者を理解するために』

2009.09.20.15:35



読書時間:1時間

大学の授業で使う教科書を前もって読了。
ただ、教科書ということで全体を俯瞰視するような構造になっており、今一こまかいところの記憶の定着というところまでは一回読んだだけでは厳しい印象。
ともあれ、性格心理学という今まであまり着手してこなかった分野の全体像を軽くつかむことが出来ただけでもとりあえずは収穫になったと思う。

この本に書かれていたことで最も興味をひかれたのは躁鬱に関してである。
この場合の躁鬱というのは精神疾患という域まではいかない、性格的な傾向としての躁鬱である。

僕は自分のことを躁鬱的なところがあると日ごろ思っている。
躁鬱というと大それているけど、気分が高いときと低いときの差がそれなりにあるというだけだ。
別にそれをもって何かの病気になっているとは思わないし、こういうのは誰しもがあるのだと思うけど、そもそも躁鬱の傾向を持っている人は躁状態になったあと、必ずそれと同等のレベルの欝状態になるのだろうか?

この考えは、僕の中でひとつのブレーキのような感じになってしまっている。

人間の性格とかそのときの状態というのは食事や身体の状態、心理的な要因が大きく影響していると思うので、条件さえそろえばいつでも躁状態(ないしは欝状態)になるということは普通に考えられるし、現に私はいつでも躁状態にある、とかなんとか雷に打たれて生還してきたどっかのおばちゃんも言っていたような気がする。

また、欝になっている人全員が必ずそれと同等の躁になるとはあまり考えられない。
欝のまま沈んでしまうことも多そうだ。

にも関わらず、僕は躁状態になることを若干恐れてしまっているかもしれない。
これはある種自己防衛的な健全な考えなのかもしれないけど(舞い上がっている状態でショックを受けるより、最悪を想定しておいたほうが良いだろうという考え)、もしかしたら人間の性格というのは僕の今の持っているパラダイムでは測れないものがあるのではないか?

そんなことをこの本を読みながらぼんやり考えた。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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