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対話195 内山 節 『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

2009.09.20.16:05



読書時間:40分

近代化が進むことによって、見えないものが見えるものになってきた。
それ自体はおそらく良いこと、というか多大なるメリットをはらんでいたことではあったけども、同時にそのめがねで見えないものが否定される結果にもなってしまった。

本書の主旨を本当にざっくばらんに言うと、こういうことになるのだと思う。
実際、本の中ではこのようなことが書かれている。

引用すると、

現代の私たちは、知性によってとらえられたものを絶対視して生きている。その結果、知性を介するととらえられなくなってしまうものを、つかむことが苦手になった。人間がキツネにだまされた物語が生まれなくなっていくという変化も、このことのなかで生じていたのである。



近代化をしたことで失われたものが多くある、というのはもはや使い古された、というかもはやそう説明すること自体も使い古されたことではあるけども、それは環境や人情味などといったことだけではないのだろう。
近代の目を持ってしまったことによって、ある種の知識が、世界が、私たちの中で失われてしまっているのだと思う。

本書はキツネがそのメタファーとして扱われていたが、これはシャーマニズムなどの呪術、宗教的行為などにも適応される。

僕は今シャーマニズムや魔女などにかなりの興味があって、それは別にオカルトかぶれたいからというわけでは必ずしもないのだけど、それらに焦点を当てることによって、現代社会では見えなくなってしまった回路をもう一度発掘することに繋がるからと考えているからだ。

古来より呪術や怪異は多大なる力を持っていた。
昔の指導者の多くが呪術師の家系であったことは様々なところで刺激されていることだ。
その視点を否定してしまう社会において、またそれを見出すことがどのような変化を現代にあたえてくれるのだろうか。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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