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対話197 一青 窈 『明日の言付け』

2009.09.21.19:50




個人的読みやすさ:B (言葉は平易だけども詩を介している分戸惑う)


サークルの友人から貸して頂いた本。
一青 窈さんというとものすごい有名人で、僕も確か中学生の頃はいくつか曲を聴いていたような記憶がある。
あの頃は『大江戸ポルカ』とか、『金魚すくい』が好きだった。

中学生からだいぶだった今でも、一青 窈さんの詩には面白みを感じる。
ただ、最初それを読書として捉えて読んでいたので今一読み方がわからず、惜しい読み方をしてしまっていたように思う。

ただ、途中から「ああ、これはイメージとして読めばよいのだな」ということに気付き、
入ってくる文字情報を最大限映像に置換しながら読むようにしたら格段に面白くなった。
普段詩とかを念入りに見ることが最近なくなってしまって嘆かわしい限りなのだけど、
このような読み方をすれば今でも十分楽しむことが出来るとわかっただけでもよかった。

なお、ちなみにこの文字情報を映像に置換しながら読むということは学校の友人に教えていただいた。
彼は中学生くらいからその読み方で読んでいるらしく、小説などだと特に速く、色濃く読むことが出来るという。
僕はフォトリみたいな情報処理みたいなのばっかりやっていたのでこの点は大いに反省。
せっかくイメージを鍛えているのだから(最近はさぼりがちだが……)今からでもその遅れを取り戻せるように色々な読み方を生活に根付かせていきたいなと思った。

なんか僕の本の読み方についての記事みたいになってしまったが、彼女の詩で印象的だったものをひとつ引用。

どうしてみんな
はっきりするものばかりをあてにするのだろう


詩というのは個人内言語としての役割が大きいと思っている。
自分が改心の出来だと思った詩でも、他人にとってはあまり評判が良くないということがよくあるけど、
それは自分が書いた詩の中に、目には見えないかたちで様々なイメージを内包させているからなのだ。
そして、それは言葉を省略している分、普通の文章よりも色濃く現れるのだろうと思う。

他人と通じ合っている以上、僕らは『はっきりするもの』を使用せざるを得ない。
この現代社会においてはいわんをや。
だからこそ、はっきりしないものの価値を、自分にしか伝わらないようなものの価値を忘れてしまいがちになってしまっているのだと思う。
詩というプラットフォームは特にビジネスパーソンになったときに置き去りにしてしまうものだと思うけど、
それはそのまま共有世界から個人内世界への切符を失うことにもなってしまうのではないだろうか?

僕は彼女の詩を眺めながら、
そういうようなことをぼんやりと思う。

theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

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