スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

対話236 大野 純一 『クリシュナムルティの世界』

2009.10.21.15:20




個人的読みやすさ:C (伝記と資料が両方入っている)
読書時間:1時間20分

「……後日、私の発言を権威として引用したりしないでほしい。私は諸君の松葉杖になることは遠慮したい。」(p.125)

いったいなぜ僕がクリシュナムルティに興味をもったのかはすでに記憶がない。
おそらく信頼できるレビューサイトで高評価を得ていたものを連続的にポチポチしていたらその中にクリシュナムルティに関する本が入っていたのだと思う。

クリシュナムルティは宗教的な人間ではあるが、従来の宗教的な手法を毛嫌いしていたという点で非常に面白い。
クリシュナムルティも他の宗教家と同じく教団のトップに一度は落ち着くものの、集団でいることに絶望して教団を解散する。クリシュナムルティいわく、宗教集団というのは真理を掲げればそれに付随して信者がついてきて形成される。しかし教祖がそこにあるということは、信者にとっての松葉杖になってしまうということをクリシュナムルティは警戒している。この点を、クリシュナムルティは西洋と東洋の比較をしながら「西洋では疑いは教義にならないが、インドにおいては古くから教えを疑うことこそ大切なことであった」と説明し、「妄信はその人の感受性を、まるでドラッグを乱用した患者のように弱めてしまう、つまるところ”鈍くなる。”」と警戒を促す。

ここにクリシュナムルティの特異さが現れているように思う。
クリシュナムルティはステレオタイプの宗教家でない人間がどのように世界と接していったのかについて、ひとつの有力な情報をあげてくれているのだろう。
そして、クリシュナムルティの宗教世界における権威否定の考えは、そのままウェブ時代の現代にも見ることができるといったらあまりに強引すぎるだろうか。

まあ、言いたいこととしてはクリシュナムルティって名前はかわいいよねってことなんですけどね。ちなみに名前はクリシュナ・ムルティで区切れているようです。あと、彼の常食がハチミツとニガヨモギっていうところになんかときめきを覚えた。


・まだまだ読んだ直後でいまいち自分の考えがまとまりきっていないので、びびっときたフレーズを引用して羅列。

「感情にとっての究極目標とは何か?それは慈愛に満ちた無執着である」(p.110)

真理は無制限であり無条件のものであり、それゆえいかなる道によろうと組織化されることはできない。また、ある特定の未知に沿って人々を導いたり強制したりするためのいかなる組織も作るべきではない。もし諸君がそのことを理解すれば、信念を組織化することがいかに不可能かがおわかりになるであろう。信念は純粋に個人的なことがらであって、それを組織化することはできないし、またそうするべきではないのだ。(p.142)

諸君は自分がどこまで進歩したか、諸君の霊的段位はどうなったかを告げられることに慣れておられる。なんと幼稚なことか!諸君の心が腐敗しえないかどうか、諸君自身以外の誰が諸君に継げることができよう?これらについて、諸君は真剣ではない。(p.150)

「高僧のかわりに独裁者たちが君臨し、儀式にかわって軍事パレードがとりおこなわれるナショナリズムが、いまや新しい世界宗教になったのだ。」(p.187)

「慈悲心とはすべてへの情熱です。愛は苦しみません」(p.231)

「学校でも家でも、私たちはしきりに恐怖の中でしつけられる。私たちの人生は恐怖によって形作られ、そして子供のころから死ぬまで私たちは恐れている。」(p.345)

彼の言う瞑想の重要な鍵を握っているのは動機の確認であり、瞑想者、求道者はまず何よりも自分の動機を確認しなければならない。(p.370)


theme : 読書メモ
genre : 本・雑誌

comment

Secret

twitter
プロフィール

×÷

Author:×÷
はらわたに秩序。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。