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着想のための読書は面白い

2010.02.20.02:00

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 着想のための読書は面白い。

 僕の読書は一定周期で変わっていて、確か去年の今頃は読みながらマインドマップに書いていた。その前は本に直接自分の着想したことを書いていたし、去年の後半くらいからは面白いと思ったところに付箋を貼って、あとでブログで引用するついでにそこ等辺を見返すようにしていた。

 そんな風に実験的に読み方を変えるということをやっていると思うのだけど、自分を着想させる媒体としての読書、というのは一味違う面白さがあるのだなとここ2日くらい思う。
 大学が冬学期に入ってから、つまり12月くらいから、僕はあんまり本を読まなくなった。というよりは色々なことを言い訳に読めなくなったといったほうが近いのかもしれないが、それは今思うと僕が読書から着想させるための媒体、としての性格を少しずつ捨て去っていたことが影響していたのだなと今なら考えられる。あの当時は情報を抜き取って、それに対するリフレクションを行うということを主にやっていた。それはそれで読書のスタイルとして悪くはなかったのだけど、やはり自分に着想させる読書とは少し異なっている。

 自分に着想させる読書というのはつまり、その本を読むことで今まで自分が考えていなかった、あるいはまとまっていなかった概念が自分から自然と生み出されるような状態にさせる読書ということである。それはその本の内容を自分なりに噛み砕こうとした結果なのかもしれないし、そこから連想したアイディアだったりするのかもしれない。その動きは実際の対話におけるものと非常に似ていて、やはり読書に至っても対話スタイルで読んだほうがより意義深い時間を味わえるのではないか、と思う。まあ討論形式のクラスよりレクチャー形式のクラスのほうが面白いという人もいるではあろうし、やることによっては着想ばかりしていても仕方が無いということもあるので、これは完全に僕の好みと興味関心領域によるものなのかもしれない。

 ともかく、読書の面白さがよくわからない、という人はとりあえず自分がそこから何を着想できるか?という視点で読んでみると面白いかもしれないよ、ということだけはいいたい。着想ってどうやるのさ、と聞かれると僕も自分の意識を超えて出てくることなのでよくわからないけど、インプットを増やしていけば自然に出てきそうだとは思うし、念じていれば3日後くらいには自分が着想モードになっているかもしれない。とにかく、本とは知識を得るだけに使うものではないし、筆者の意見を批判的に見るだけに使うものではない。第3の、そこから自分が何を発想するかにも使うことが出来る媒体なのである。そして自分がそこから出てくるアイディアに多少なりとも驚きを感じたのであれば、そのアイディアが元のアイディアと指して変わらないものであっても、当人にとってはとっても大事なことなのだと思う。

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