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対話304 森下 伸也, 宮本 孝二, 君塚 大学 『パラドックスの社会学』

2010.03.16.23:07




個人的読みやすさ:B
読書時間:1時間


 しかしながら複製技術は、芸術を享受する態度も大きく変化させた。「気がむけばいつでもどこでも楽しめる」という弛緩したこの感覚が、「この作品に接することができるのはいまこの瞬間だけだ」という緊張にみちた感覚にとってかわり、芸術作品をヒマつぶしのための消耗品や一種のアクセサリーと見る態度が、荘厳な宗教的儀式に立ち会うときのような厳粛な雰囲気にとってかわったのである。その結果、芸術作品からはかつての強烈な神秘性がうしなわれることになった。ベンヤミンはこうしった現象をアウラの消滅とよんだ。(p.201)


 最近ちょこちょこと社会学の本を読む機会が増えてきた。思えばそれほど敷居が高いはずのない社会学を何故今まで遠ざけていたのか(社会心理学という側面からは読んできてはいたが)よくわからないけど、この本はパラドクスという視点からまとめたという点で面白いアプローチである。内容も平易でほとんどよくわからない、ということはなかった。

 特に面白かったところが二点。一つは上記に引用されている箇所の部分で、物事の一期一会性というもの。色々なものが再生可能な現代においてはなかなかこれを確保することが難しくなってきているのは事実で、だからこそよくわからない一回性のセミナーとかに皆高いお金を払ったり、人との対話などをもうけてくれる場所に結構なお金を出すのかもしれない。過去においては再生可能にさせてくれるもの(たとえばCDやビデオなど)がものすごく価値を持っていたのだろうけど、現代の日本においてそれは逆転してしまっているのだろう。

 もう一つは自然科学と社会科学の違いについて。筆者によると、社会科学は予言をすることでそれ自体が破られてしまう、という性質を持っているらしい。それは人間を取り扱うからであり、つまり再現性が保障されない、ということである。
 自然科学の学者と社会科学の学者がいまいち仲良く見えないのは多分この点に対する価値観が大幅に違うからであると予想されるが、再現性の観点でいえば生命科学、特に人間の脳などを扱ったものは結構面白いポジションに立たされているのだろうなと思う。
 脳は可塑性を持っているから、確かに毎回同じ入力をすれば確実に同じ結果が、ということは出来ないし、環境のアフォーダンスを認識してしまったとしたらそれに対してのメタ視が働き、次回は違う行動を取れる確率が上がる。つまるところ、自分のパターンを対象化することで、自分とそれを切り離すことが出来るようになるわけである。
 その切り離しのパターンが、つまり自己へのメタ視の性質についてを研究するのは自然科学的でもあり社会科学的でもあり面白い領域だし、個人的にはそこの中間らへんのことを研究領域にしていきたい。っていつの間にか自分の話になっているが。

 パラドックスという言葉もなかなか興味深く、確かにまったく知識がない状態で望めばすべてこの本にあげられた事例はパラドックスに見えたのかもしれない。しかし本をちょこちょこ読んでひねくれはじめると素で「え、別にパラドクスじゃなくない?」と考えてしまう自分が存在するわけで、パラドクスではない正常な状態というのは絶対的なものではなく、ある程度社会的な常識に関係したものではないか、と思うに至るわけである。多分何を言っているのかよくわからないと思うが、これは自分でもよくわかっていないのだから仕方がない。

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