スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

対話305 茂木 健一郎 『脳と仮想』

2010.03.17.13:15




個人的読みやすさ:B
読書時間:30分


 一角獣や、麒麟のように、現実に対応するものがない仮想の生命力はそれなりに強い。現実とは別に、。そのような仮想の世界を構築しておけば良いからである。その一方で、現実と正面衝突する仮想の寿命は儚い。(p.44)


 その存在があまりにも有名な、一部には悪名高い、茂木氏の著作。確かこれで読むのは2冊目か3冊目なのだが、僕の場合これをエッセイ集として読めば特に気になることもなかった。

 彼がクオリアや仮想で説いているのは、人間の意識など定量化できないものを無視して話を進めようとするな!という近代科学に対する反発であり、彼のポジションはファンタジーというよりはアンチサイエンスに近く、その点では僕も似たような気持ちを持っているので割と同意。ただ、人の意識に迫るためには様々なアプローチがあるわけで、クオリアの重要性を認識することは大事だけども、それをもって科学的に物事を進めることは(茂木氏も了解済みだろうが)否定するべきことではないな、と読んでいて実感した。

 本文中では上記の引用部分に強い関心を持った。すなわち、どのような仮想が生きやすいのか?という疑問である。
僕はこのような感じの問題を考えたとき、思わず人が模範とする理想像について考えずにはいられない。

 おそらく、もっと前の時代には、あるいは地域によっては、現実とかけ離れた人物が理想像、規範像として挙げられていたように感じるのだ。例えば、尊敬する人は、敬愛する人はイエス・キリストであるといったように。イエスは一応存在した人間ではあるけれども、同時に宗教的な神秘性を深く背負い込んだモデルでもある。いつからかはわからないけど、人はこういう存在を自分の規範であると堂々といわなくなったんじゃないか。それはもしかしたら宗教否定が激しい日本において、というだけなのかもしれないけど。

 では代わりに何が理想像として台頭してきたかというと、坂本竜馬など「実在したしそのように伝記や資料には記されていた」とされる人物である。昨今、竜馬を扱った媒体はもう数え切れないほどで、僕の周りでも竜馬を崇拝視している人は少なくない。けれどもその構造を考えるならば、イエス・キリストと坂本竜馬にはかなりの共通点があるように思うのだ。ただ、前者は宗教というレッテルが差し込まれるのに際し、坂本竜馬への崇拝に対しては世間的な圧力が加わることはほとんどないように思う。両者とも現存していないという時点で仮想の存在。しかしその仮想の中にも、社会的戦略を考えたときに明確に違いが存在しているのだ。戦略として、現代ではさも坂本竜馬をモデルにしたほうが社会的に素晴らしい、というような規範みたいなのがあるのではないだろうか。まあ僕はキリシタンでも坂本竜馬ファンでもないのだが。

comment

Secret

twitter
プロフィール

×÷

Author:×÷
はらわたに秩序。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。