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対話307 福島 章 『天才、生い立ちの病跡学(パトグラフィ)―甘えと不安の精神分析』

2010.03.18.14:56




個人的読みやすさ:C
読書時間:1時間

 「偉大な音楽は、そのいわんとするところをじかに感じさせるだけのすぐれた想像的特質をもつべきだ」と信ずるコーリン・ウィルソンは、バッハを愛する一女性を「感情に身を任すことを恐れているからではないか」と否定的に診断した後、自身は「何もないのならバッハでも結構だが、ベートーヴェンやマーラーのほうが良い」と、はなはだ冷淡な態度を示している。安部公房氏は『他人の顔』の中で「音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんはよき利用者」と自認する主人公に、次のようにいわせる。

 思考を一時中断させようと思うときには刺激的なジャズ、跳躍なバネを与えたい時には思弁的なバルトーク、自在感を得たい時にはベートーヴェンの弦楽四十奏曲、一点に集中させたい時には螺旋運動的なモーツァルト、そしてバッハは、何よりも精神の均衡を必要とする時である。(p.122-123)


フロイトの精神力動的観点から見た芸術家、文芸家の精神分析を集めたもの。構成が面白く、前半パートが主にヨーロッパの作曲家、後半パートが日本の文筆家なのだが、文筆家のほうが平均的に見て長文(特に三島と夏目)であり、作者はよほどこの二人に関心があるのではないかと穿ってしまう。

 まあそれはともかくとして、普段僕はあまりフロイト的な分析本は読まないのでこれはこれで面白く読むことが出来た。
特に面白いなと感じたのは引用にも入れたような「その音楽を聴いたとき、どのような精神状態を得ることが出来るか」についてで、これが果たして科学的に本当にそんなことが言えるかは結構怪しい気がするけど、すくなくともラベリング効果でそういう効果を出すことは出来そうだ。こういう一種の信仰が流布すればまるで音楽をサプリか何かを取るように摂取する時代がくるかもしれない――ここまで書いたところで、よくかんがえたら「ヒーリング」だの「リラクゼーション」だの、そういう戦略はとっくのとうにとられていたことに気づいた。

 また、細かいところだけどそれぞれの文筆家の学者によって性格がかなり違うというのも、当然といえば当然かもしれないがなかなか面白い。筆者いわく、三島の学者はエキセントリックというか、ものすごいカオスな感じらしいのだけど、中原のような作家の場合は比較的温和で理性的(?)な方が多いのだという。その文章に、特に研究者になりたいと思わせるくらい惹かれている人間を集めてみれば、性格的に有意な勢いで差がでるのはこれまたある意味当然のことかもしれないけど、なかなか刺激的。

 精神分析的なところからちょっと離れてみると、各人物のバイオグラフィーが一面的ながらさらっとわかったのがよかったようにおもう。特に最近僕は文学からもクラシックからもちょっと離れつつあるので、また再び興味を抱かせてくれるには充分なくらいだった。とりあえず当面はバッハの色々な曲を聴き、そして川端の『眠れる美女』を読みたい。あと、ここでは分析されていなかtったけど、久しぶりに安部公房の小説をがっつり読んでみたいという気持ちにも駆られる。僕が安部公房のことを考えるなんて今思い返せば高校の時以来のことであって、あの時の僕は今日という日まで死んでいたのだろうか?

 まったく、この本はやや古いということもあって色々と懐かしい気持ちにさせてくれる。最近こそあまり読まなくなったとはいえ僕が心理学のことを学ぼうとした最初期はやはりフロイト的な文章を読んでいたし(あの頃からいまいちしっくりこなかったが)、文芸を一番読んでいたのも高校生の時である。Amazonを見る限りこの本は今に至るまで読み続けられてきた本というわけではなさそうだけど(実際僕が読んだ経緯は母が読んでいたものを貸してくれたからだ)、そういう本だからこそもしかしたら読者をタイム・スリップさせるような効果があるのかもしれないなとおもった。

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