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対話310 池田 光穂 『実践の医療人類学―中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』

2010.03.19.13:01




個人的読みやすさ:C
読書時間:1時間20分


別の角度からいうと、世界保健機関以前には、病気の欠如態が健康であると理解されていたものが、病気の欠如態意外に健康があるという形で積極的に獲得されるべき属性として登場したのである。この健康概念の延長上にあるのが、近代医療批判としての「医療化」論である。(p.69)


 以前読んだ医療人類学の本よりも、さらに詳しい実体験に基づいて書かれた医療人類学の書籍。ここで取り上げられた国はホンジュラスなどの僕のあまりよくわからないところが中心だったのでその点で理解度が落ちたが(これは人類学系の本を読んでいるときによく起こる現象)、以前よりも俯瞰的に「医療人類学とは何か?」について考えることが出来た。

 特に刺激的だったのが、医療人類学を通して、現代僕らが受けている近代医療そのものを相対化することが出来る、という点であった。近代医療はもはや日本において生活に根ざしているので、むしろそれを受容しないことに非難があるくらいだし、実際に僕が薬を飲まなかったり病院に行かなかっただけで周りからは非難の目で見られたり新生物を見るような目で見られることもしばしばである。僕は病院が嫌いなのだ(とかいいつつ今治験のボランティアなどやっていますが)。

 筆者もそのような考えを持っていたようなのだけど、しかしながら実際に現地へ向かったときにもう一つの医療人類学の側面が顔を出さざるをえない直面にぶつかるという。つまり近代医療と現地の医療に対する考えの調和である。実際に近代医療が発達していないところでは状態が酷いということもままあるらしいのだけど、そういう場合でも近代医療をすんなりと受け入れる地域ばかりというわけではないらしいのだ。むしろよくわからないものとして疎まれたりすることもあるらしく、サルベージ人類学のように「押し付け」にならないようにどうやって近代医療を伝えるか、という点についても充分に考察の余地があるだろう。なにせせっかく苦労して現代的な簡易トイレを作っても、相変らず使われないということもあるそうなのだから。

 もっとも、現地の人々全員がそういう考えを持っているわけでもなく、時によってば近代医療というのは憧れの的であったり、その流れで現地の医療を否定するような人もぽつぽつ出始めているらしい。そういった動きは勿論地域の時性によって大分変わるのだろうけど、この医療という水の流れがどのように未来にルートをつくっていくのか、その動きには興味が湧いた。

 ちなみに、現代医療を受容できるのはその地域でやはり都市部の人のほうが多く、そういった場所のほうが理解度が高い。また、そこで育った子どもも現代的な医療を学びその後都市部のその地域に還元するので、実際は農村部などにきちんとした現代医療が流出するのはまだ時間がかかるといえそうである。

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