スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

対話314 段々と幻想に現実が侵食されていく狂気

2010.03.25.10:31




村上 春樹 『1Q84 BOOK 2』

個人的読みやすさ:B
読書時間:3時間


 (前略)銃は自動車と同じで、まったくの新品より程度の良い中古品の方がむしろ信頼できる」(p.72)


 あるいは、徐々に現実がほどけていってしまうという現象。

 ついにBook2に入り、いよいよ現実がほどけていってしまっている作中舞台。現実は糸でつむぎまくってつくった織物のようなもので、それは普段均衡を守っているけど、ある表紙にそれがほどけていってしまって、宙ぶらりんな状態になってしまったりすることがある。そしてそのほどけた一本の糸の上を綱渡りしていって、果たして僕らは落ちずにいられることが出来るだろうか?

 現実と幻想、これは僕の人生の中でもかなり大きいウェイトを占める問題だ。真実はいつも一つ、というのはある有名な少年探偵の言葉だけども、しかし例えば織物の形は一緒であれど紡いでいる糸は違うかもしれないし、紡いでいる糸は一緒でも形は違うということはあり得るだろう。

 僕が幻想というものの存在を強く感じ始めたのはイメージストリーミングというものをやり始めてから、というのが一番要因として大きい。イメージストリーミングは簡単にいってしまえば幻想を強化する一つのメソッドだ。幻想と現実の最も大きな違いはリアリティなのだけど、しかし幻想はメソッドによって強化することが出来てしまう。例えば寝入りのときに現実と見間違えるほどの幻想を見たことはないだろうか?あるいは現実と同じ精度の夢を見たことは?あまりにも強いリアリティを持った幻想というものは確かに存在する。ただ現実との区別をつけるためにそれが弱められているだけだ。

 1Q84は幻想の世界だ。最初はまったくもって現実の世界の様相を呈しているのに、いつの間にか幻想の世界に入りこんでしまっている。現実が壊されるのではなく、現実が幻想に引き継がれていってしまう。幻想は現実の対立軸にあるのではなく、その延長線上なのだ。だから途中まで気づかないし、気づいてしまったらもうそこは幻想の世界で、その一本の糸の上に読者たる僕は立たされている気分になる。果たしてそこで落ちずにいられるだろうか?

 幻想を人が嫌うのは(あるいは好むのは)、そのセーフティーネット性の脆弱さがあるのかもしれない。現実とみなされているもの、あるいは共同幻想は地盤としてはかなり堅い。色々な人の糸が絡みあって、そしてそれが地盤を形成している。そこで足を踏み外すことはあまりない。たまに一気にそれがほどけてしまうこともありうるのだけど。

 幻想は、特にそれが個人のものであればあるほど紡いでいる糸は少なく、そこではサーカス団のピエロのようにバランス感覚が求められる。幻想とサーカスというテーマが結びつき易いのは案外この辺にあるのかもしれない。幻想の上に立つことは不安定で、土台は不完全だ。しかし、自分しか踏み込むことの出来ない地盤が――たとえそれがどんなに細くても――もっているということは、その上でバランスを取っている人にとってはとても神聖なことなのだと思う。

 小説を読んだときとそうでない本を読んだときでは僕の感想の書き方は大きく変わっている。この文章はまったくパラフレージングされていないし、あっちこっち僕の思考はいったりきたりする。多分比喩も行き過ぎているし、糸という言葉に僕は意図の意味を込めすぎているのかもしれない。でももしかしたらそれが僕が小説を読む意味であるのかもしれないし、小説の素晴らしいところはその現実の延長線上的な性格にあるのだと思う。駄文御免。

comment

Secret

twitter
プロフィール

×÷

Author:×÷
はらわたに秩序。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。