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対話315 僕と池谷裕二について思うこと

2010.03.25.13:58




池谷 裕二 『進化しすぎた脳』

個人的読みやすさ:C
読書時間:1時間20分


 海馬からでるシータ波が記憶にいいとかってよくいわれるよね。もしそれが本当だったら、海馬に電極をさして、自分の海馬からシータ波を出す訓練をすれば、効率よく勉学に励むことができるかもしれない。もしくは、仮にシータ波をコントロールできなかったとしっても、自分の脳からシータ波が出ているか出ていないかの状態が分かれば、効率的な勉強時間を知ることができる。シータ波がたくさん出ている時間は勉強して、反対に、シータ波が出てなかったら、心おきなく遊ぶとかね。(p.350)


 僕と池谷裕二という人について。

 池谷裕二という人を簡単に説明すると、東大の淳教授で脳生理学、薬学を中心に研究している人である。彼は他の多くの研究者とは違い、著作活動や講演なども積極的に行なっていて、かなり若いにも関わらず(と僕がいうのもあれだが)今までに共著も含めれば10冊以上出している。これは彼の「なるべく研究成果などを社会に伝えていこう」というポリシーによるものらしい。この点についてはバランスを取ったり社会活動を科学者がすることに偏見もあるらしいので色々と大変らしいが。

 さて、僕が一番最初に彼の著作を読んだときのことを思い出してみよう。確か一番最初に読んだのは僕が高校生の時だ。それが1年生のときなのか2年生なのか、はたまた3年生まで引っ張ったかは憶えていない。とにかく最初に読んだ本は『最新脳科学が教える 高校生の勉強法』だったのは間違いなく、そして2冊目は『記憶力を強くする』だったのも疑いはない。あの頃は今よりも明らかに能力開発に興味を持っていて、それが興じすぎて本来の勉強がお粗末になるという割とよくある罠に陥っていた頃だった。

 ともかく、それらの本を読んで、僕は「脳の性質にのっとって戦略的に何かをやることは大切なのだろう」という思想を学んだ。そしてそれは勉強法だけにとどまらず、「人間というツールをいかにすればより効果的に使えるのか?」という興味にも繋がり、結果として僕に心理学を学ばせることに繋がった。いや、それまでも心理学にはものすごく興味を持っていたから別に池谷さんの本を読まなくても僕は普通に心理学を選んでいたと思うが、その場合もっと哲学的な方面だとか、社会心理学的な方面に傾倒していたように思う。彼の影響で大脳生理学的なことを学び考えることの大切さについて考えるようになったのは間違いない。

 また、高校生の間には『魔法の発音 カタカナ英語 』も読んだ。あの頃はICUに行こうとは寸分も思っておらず、特に英語を将来喋れるようになりたいとすら思っていなかったのに、池谷裕二というラベルを見ただけで思わず買ってしまった記憶がある。その僕が今こうして英語で勉強をしているのだからなかなかちょっと運命的で興味深い。

 そして僕は大学生になってからも、池谷裕二の出した出版物を定期的に読んでいった。多分1冊2冊くらい除いてほとんど全ての本を読んだと思う。そして今日、久しぶりに昔読んだ本でもまた読んで見るかなと思い本書を手にした。特に読むものが無い場合、池谷裕二の本を読んでおけば間違いないというのが僕の中で不文律と化していたから、この本をクリニックに持ってきたことに特に疑問はなかった(言い忘れましたが、今僕はクリニックで入院しています)。池谷裕二の本であれば僕が興奮して読むことができるということを僕は何よりも知っているのだから。

 しかしてこの本を通して読んでみたとき、気づいたのは、僕のなかの池谷裕二があまりにも大きくなっているということであった。何故なら、あまりにもこの本の内容が僕の中で血肉と化し過ぎていたからだ。

 今回は久しぶりの再読で、多分僕が忘れていることも多いのだろうと期待しながら読んだのにも関わらず、「これは僕が普段思っている内容と同じなのではないか」と思わせる感覚。これに僕は衝撃を受けた。何故なら僕は本を読むのは好きなのだけど、そのプロセスがすきなのであって、結果は別に重視していない。どれだけそこから内容を覚えていられるかなどは必要に迫られなければ考えないし、そこからなんとなく自分に影響が出てくればいいかな程度に考えている。だから当然というか、この本にどのような内容がかかれているかなんて読むまですっかり忘れていたし、だからこそこの本をもう一度読んでみようという気になったのだ。

 だけど、そこに書いてあったことはほとんど僕が日常の中でおもっていたことだった。つまり、僕は本当に意識せずして、池谷裕二の意見を、さも出所が自分のもののように考え、今まで自分の考えの基盤にしていたのだ。これに驚かずしかて何に驚くべきか、というとちょっと大げさだけど、まさか無意識的に読んだ内容がここまで残っているとは理屈ではわかっていても体感ではわかってなかったのでやっぱり軽く驚かざるを得ない。なんということか!

 別に人の意見を自分の意見として吸収することが悪いとかそういうベクトルの話をしたいんじゃない。ただ僕がそれに気づかなかったという衝撃を書きたいだけだ。何故なら僕は池谷裕二という人の書いた書物は大好きだが、そこまで考え方に影響を受けているとは思っていなかったし、読み終わった内容をここまで自分が覚えているということも予想していなかったのだから。

 もっとも、本書の後半部分――イオンチャンネルだとかそこらへんの領域――はおそらく一度目の読書ではあまりなじまなかったのだろう、そこには充分な新鮮さを感じることが出来た、というか今でもちょっと難しく感じる。そこに多少しり込みと壁を感じてしまっている僕はおそらく研究者の道には結局進まないような気がするけれども、いずれにせよ考えの基盤にだ脳生理学的な考えがあるのは悪くないことかなと思っている。なんだこのまとまりの無い文章。

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