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対話325 それに時間のかけた量が私という人格を形成する

2010.04.16.22:06




伊豫谷 登士翁 『グローバリゼーションとは何か―液状化する世界を読み解く』

個人的読みやすさ:C
読書時間:30分


しかも「われわれ」の範囲は、必ずしも、言語や習慣や宗教などの共通性によるものではありません。むしろ、境界の画定の過程で、共通の言語や共通の祖先などの神話が創りだされたのです。明示的であれ潜在的であれ、外からの恐怖によって生みだされた共通の敵に対して、集団意識が強化されてきたのです。こうした「われわれ」は、ネーション(国民)と呼ばれます。(p.67)


 ブログの更新も久方ぶりになる。
多少弁解気味にいうと、その間僕は暇していたというわけではない。
ある団体の代表になったり、春学期がついに始まったり、その授業が面白すぎたりと、我ながら(彼女ができないという点以外は)充実した日々を送っていた。

 で、その面白すぎる授業の一つが今回取った「グローバリゼーションと社会」というやつで、あんまり今までこういう国際関係的なものを取ってこなかった自分としてはいろいろと新鮮な着眼点が多くてそれだけでもすでに面白い。
加えて、その教授は今回の授業を持ってICUの授業を受け持たなくなり、完璧に上智の教授になるとのこと。
なのでそういう意味での特別感もある。
なんだか最近そういう教授の例ばかり見ているのだけど、はたしてうちの大学は大丈夫なのだろうか?


 さて、本書はその授業で用いられているものの一つである。
読み終わってみて、同時に配布されている別の英語で書かれた教科書と本書の読書スピードの違いが半端ないことに気づき、「ああやっぱり日本語で書かれた文章はいいなあなんだか今学期は英語のreadingばっかりだなあ」ということを思わずにはいられないが、それはまた別の話。
この本を読んで強く感じたのは、自己と他者の差別化、という観点の話に関して。

 引用部分にもあるけど、人は敵をつくるのが割と好きだ。
敵、という言い方がちょっときつすぎるようなら、自分とは別の存在、つまり他者を必要とすることが多い。そしてそれは自分という存在を規定するためのものでもある。

 国家という単位がうまく活性化しているのも、当たり前といえば当たり前なのだけど、他国というものがあるからである。
他国があるから自分の国のアイデンティティが生まれる。それがなかったら別に僕は日本に住んでいることに対して特に特別性を感じなかっただろうし、多分横浜に住んでいるということに少しの特別性も感じないだろう。これは大学に入って多くの外国人、横浜出身以外の人と会話することによって充分に実感することができた。

 しかし現在、国家だとか県だとか、そういう地域性での人を分割する威力が相対的に見て落ちてきているような気がする。
別にまったくそれがなくなったと主張するわけではないし、これからそれが消えうせるとも特に思わない。少なくとも僕が生きている間は僕は日本人であるということを強く意識しつづけ、横浜人であることをほんの少し意識し続けるだろう。別にそれは構わないし、自分にとっては些細なことだ。
 ただ、この”グローバル化”された世界の中では、それらの地域性の差異はより強調されるのと同時に、その社会的効力は落ちるだろう。

 では、何が代わりに強調されていくのか?

 それはもっとソフトウェアの部分、つまり思想だとか研究対象だとか趣味だとかなんとかかんとか、そういったところの共通のコンテクストだ。
 僕は横浜という土地がたとえば好きだし、今いる大学も好んでいる。日本という国もかなり気に入っていて、ちょっと自分はそれにフリーライドしている負い目すら感じる。

 でも、じゃあどういう仲間と気が合うかといえば、それは場所という空間による属性なのではなく、思想だとか研究対象だとか趣味だとか、今まで自分の時間を捧げてきたものに近しいものを感じる仲間なのだと思う。

 本書でも言及されていたように、”グローバル化”はテクノロジーの発達による空間の支配によってもたらされてきた。
だからこそ、空間の属性である地域性というものは完全に克服されることはまずないけれど、相対的には人を結び付けるうえで効力が落ちてきたのだろう。
 しかし”グローバル化”の時代においても、時間は空間ほど制圧されたものでは決してない。僕たちは空間に比べれば時間というものに、正しくいいように振り回されている。
 ゆえに時間を注ぎ込んだものというものに、より価値を感じる。
それを共有するということは空間性に比べてより確固としたつながりをもたらすのに違いない。

 近い将来、もしかしたら学習効率をものすごく高める何かが普及したりして、学習に対する時間というものが今よりも克服された時代がきたとしよう。
 そのとき「同じ知識、趣味、思想を持ってつながる」という意識は今よりも下がるのかもしれない。




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