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対話327 現代における教養とは何か

2010.04.19.00:21



山形 浩生 『新教養主義宣言』

個人的読みやすさ:C
読書時間:30分


 ……いかがですかなお殿様。なかなかいいエンディングだろう。もちろん人生はマカロニウェスタンではないんだけれど……いや、どうかな。ただ、そういうエンドマークのつけかただって、ひょっとしたらあるかもしれないんだよ。(p.112)


 新しい時代の教養とは何か、ということは結構個人的に大きな関心ごとの一つだ。
僕は一応教養学部に通う学生なのでそれはある意味当然のことなのだけど、
ネットやリアルではしばしば「教養の意味」みたいなのを問われることが多くて、
そのたびにいろいろと考えさせられている。

 人によっては「そんなのいらねーよバーカ」みたいな人もいるし、あるいは反対に「日本は専門ばかり育ててて、専門バカ集団しかいないじゃねーかターコ」みたいな人もいる。

 僕のスタンスはどちらかというと後者、というか、僕はいまいちプロフェッショナルになろうと思えない人間だ。
たとえば僕の一応の専攻である心理学にしても、僕が魅了されるのはむしろその学際性であって、ついついそちらの側面にばかり引きずられ、いろいろと中途半端になっているというのも否めない。
 理想としては一つの専門を持ったジェネラリストである、ってどっかの文章で前読んで深く納得したのだけど、
あんまりジェネラリストでいようとすると僕の場合専門がかけ消えそうになるので、バランスをとるためにもう少し何かを集中してやったほうがいいのかもしれない。ふむ。

 ではさて何が教養なのか?という僕としての回答なのだけど、この間取った授業で教授がいいことを言っていたのでそのままパクって載せてしまおう。

教養とは英語でいうとリベラルアーツであり、その人の知的な不自由に対して自由をもたらすもの。


 なるほど、というアイディアである。リベラル(自由)というのはつまり知的な不自由からの解放を示しているのか、と僕はその時結構ふつうに感動した。うまいこといいやがって!

 そう考えてみると、確かに教養を学ぶということはそういうことなのかなという気がしてくる。
その対象についての多くを知っているわけではなくとも、そのコンテクストくらいは共有できる。
その態度と、その態度を形成する上で必要になる知識みたいなものを教養と呼ぶのであろう。

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