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幻想2 プレイバックする私の歴史と、登場する人間という存在

2010.04.25.11:36

aidoru.jpeg

 イメストをしていると、懐かしい風景によく出会う。
たとえば、自分の過去によく通っていた場所。小学校の頃通っていたプールのにおい、肌の感覚。小学校、その図工室。もうほとんど忘れ去っていたような記憶がふとしたときによみがえって、イメストをするということは自分の歴史を振り返るようなものなのではないかとすら思ってしまう。

 自分の記憶にある風景というのは、つまり僕の中にある言語だ。出会いは自分の内部の言語を増やし、特に場所の記憶というのはその傾向が強い。頭の中に、思い出の中に場所の記憶はいつまでも残るし、ふとした拍子にそれは飛び出てきやすい。だからこそ僕は今世界旅行をしたいと思っていて、それは自分のボキャブラリーを増やすことにつながるからだ。なんのための?たぶんそれは自分を表現するための媒介をもっと鮮やかにするためなのだろう。特にここ数日、基本的に毎日2回くらいイメストをしているだけで過去への顕著になってきているのを感じ、これからももはや忘れ去ってしまった記憶をもう一度手の中に収めるために僕は妄想の中を旅しているのかもしれない。

 さて、毎日イメストをしていて起きた変化は過去の記憶の再生だけではない。なぜこの記事の一番最初に90年代アイドルを張り付けたかといえば、それを今日イメストの中で実際に見たからだ。まあ実際はこの人そのものが出てきたわけではなくて、もっとパンチの効いたパーマの、いかにも90年代(80年代?)アイドルみたいな人だったのだけど、検索してもそういう人が引っ掛からなかったのであきらめた。

 そんな風に、人がイメージの中に出てくるなんて今までの僕にはとても珍しいことだった。
自発的に生み出そうと思えば確かに人っぽいものを出すことはできたけど、それは景色に比べて精彩に欠けるものであったし、どこか二次元的であったように思う。

 それがここ最近、いやに変なリアリティを持って登場するようになってきた。なんとなくその肉感的な要素を強く感じすぎて、思わず描写するのをためらうくらいに。こうして考えてみると、人間を頭の中でイメージするということは風景に比べてひとつレベルの違うことなのかなということを思わせる。

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