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対話343山口 昌男 『文化人類学への招待』

2011.06.16.16:04




個人的読みやすさ:C
読書時間:2時間


人類学にはいつもそういう傾向がありますが、象徴的二元論にはちょっとピンとこないところがあります。どこか抽象的なところがあって、日常生活のあれこれを説明するのには役に立たないから、おとぎ話みたいなものだということをこの間申し上げました。そのかわり、目に見えない人間の深層構造に光を当てるのに有効である。人類学には絶えずそういうおとぎ話的なところがあるが、そのために、かえって、ふつう眼前にない、我々を深いところで操っている文化の匿れた動機を説明するのに有効なのです。(pp.81)

「もの」という言葉について、建築家の原広司さんが二年か三年前に強調して私たちの共感をよんだことがあります。われわれが現在まわりに見ている「もの」は、われわれにとって密接なつながりを失ってしまった、いわゆる事物の物にすぎない。しかし、かつて「もの」という言葉は、「ものの怪」という言葉などにもあるように、本来精神的な意味をたっぷりと含んだ言葉であって、ある土地のいろいろな事物と密接につながった、全体の中の一つとしての「もの」であった。(中略)ですから、女が交換されるとか簡単に言ってしまうと非常に憤慨する向きもあるけれども、かえってこのほうが交換される人や物が威厳を与えられているということがわかってくると思います。(pp.104)


 大学5年目にして今更専攻を心理学から人類学に変えたのは良いものの、僕のやろうとしている範囲がかなり心理的な側面が強いということもあり、では王道的な文化人類学の本とは何ぞや?とふと思ってみた僕の目の前にあった本がこれである。
いわく、人類学は扱うテーマが非常に多岐に渡っているとのことで、そういう意味での入門書とははたしてなんなのか?というのは非常に微妙なところではあると前置きをしつつも、しかしこの本でなんとなくどんな雰囲気なのかを一部感じることは十分にできると思う良い本。

去年までの自分がそうであったように、人類学という学問についてまったくよく知らないという人がおそらく日本では大半だと思う。というか日本に限らず、割と世界各国でそんな感じな気もするし、特に人文系・社会科学系の学部がない大学などでは関わる機会はほぼないだろうから、それで知らないというのも無理からぬ話である。
そもそも人類学は役に立たない。いや僕的にはものすごい役に立っているけども、たとえば経済状況とかに直結するような学問では(特殊なケースをのぞいて)あまりないと思う。
だからどうしても集まるのは好事家的な人ばっかりになるし、必然的にマイナーなアカデミックコミュニティの中でもさらにマイナーなポジションに位置したりすることになる。

 僕としてもそんなマイノリティ性が好きだから人類学に魅了されたというところは少なからずあるので別にそれに対してそこまでの危機感みたいなのはないのだけど、せっかくなので人類学がほかの学問とどう違うのか、どう特殊なのかについては触れておきたい。
まあ触れておきたいといっても最初に引用した箇所で大体の説明はすでに済んでしまっている。
すなわち、少なくとも現代における文化人類学の位置づけは西洋的二元論に対するカウンターであり、ありのままをなるべく記述するというある種現象論的な性格を持つということなのである。

 それが何を意味しているかといえば、人類学の、狭義の意味での、非科学性である。ここでは別に狭義の意味でのとかそういう保険をかけなくていいのかもしれない。事実、社会科学にカテゴリされながらも、少なくないケース上で人類学は人文学と扱われる。量的な方法を使わない人類学が社会科学にカテゴリされているのは、ひとえにそれが社会科学に対してのアンチとして機能しているからであり、それを分離させることが社会科学に対して不利益になる可能性をはらんでいるからなのではないかと思う。

 この辺に関してはまったくそれに類する書物を読んだこともないし、知人と意見を交わしたこともないので完全なる僕の妄想になるわけだけども、でもそれほどはずしてはいないだろう。というのは、たとえば哲学における現象学というのはある種アンチ哲学として機能している(していた)わけである。
現象学というのは非常に繊細なフィールドだと僕は認識していて、大げさに言ってしまえばあれは思考するということに対する反抗というか、身体性を置いてけぼりにしたことに対する反発であるのかなと僕は今のところ捉えている。思考するというのがおそらくはそれまでの哲学のざっくりとした印象)現在でもそういう印象だと思うが)だったわけなのに、現象学はそれに対して異議を唱えた。だからどちらかというとちょっと別カテゴリに入れられそうな思想、と受け取られてもおかしくない要素を含んでいて、しかしながらそれでもなおアンチとしての機能を哲学の内部にとどまることで発揮しているのである。

 社会科学における人類学も似たようなものなのではないかと思う。実際、現象学的人類学という言葉もどうやらあるようだし、両者の親和性は僕がちょっとだけつまみ食いしてみた印象としてはなかなか高い。ただでさえ言及されない人類学という分野の中で現象学とのつながりをたとえば授業内で学生に指摘する教授がどの程度いるのか、という話はまた別の話になってくるし、人類学にはそのほかの側面もある。
僕は少しその点についてこだわりすぎなのかもしれない。

 いずれにせよ、人類学は質というアカデミック的に不安定とみなされがちなものを扱いながら、今までと違う入射角で物事を見ることに取り組む学問である。
ゆえに、研究者自身が感じる驚きというか、その何かはかなりライブリーなものなのではないかと特にフィールドワークという名目での経験がない僕も勝手に期待している。
少なくともこの1年間はこの学問になるたけ全力で取り組むことにしているわけだし、その時に感じるものの質をできる限り下げないような接し方をしたいなと思う。

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