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対話353 田口 ランディ 『できればムカつかずに生きたい』

2011.08.17.21:27




読書時間:1時間
個人的読みやすさ:C


酒臭い息をさせて、目ですごむような男のスタイルを、今の子たちがわかるはずもない。けれども、彼らがそのような生き様を選択するのは、それなりの人生があったのだと思う。 (pp.53-54).

父の愛情は私の愛情とは言語が違うのだ、もらっていてもわかるはずもなかった。(pp.66)

ドラマを見守っていた私は思った。サイコドラマには筋書きがない。頼りになるのはそこに参加する一人ひとりの即興。(pp.76-77)

でも、イメージ、メタファー、親和、物語、そして自分以外の誰かの力を借りて、非現実の世界で死や殺人や恐怖と向き合い、そしてそれを乗り越える想像力を、私たちはもっている。(pp.79-80)

子供の母親への熱烈な愛情は、母親の想像を越えている。母性愛は子供が母を思う気持ちには絶対にかなわない。(pp.98)

いじめの本質とは関係のあくなき固執なのだ。(pp.108)

シーツの存在を熱望する人間ほど、シーツを持つ人々にとって都合がいいのである。なぜなら、熱望する人間がいれば、なぜ自分がシーツを持っているかについて考えなくてすむからだ。(pp.111)

どんな行動にも「リスク」は生じる。それが大前提だと思うことが自律的に生きるための第一歩だった。そして私はどちらかと言えば「手堅くリスク回避」する方である。大胆だけど慎重なのだ。(pp.121)

これはもうご多分にもれず、この世界の心と身体に関することの基本は「呼吸」である。ハイいらっしゃい、ではまずは呼吸ね、と言われる。どこへ行っても、誰にあっても絶対に「呼吸」なのである。(pp.135)

これまた、私のつたない経験から感じることなのだけど、自分にセンタリングして生きている人たちというのは、確かに物事や他人にこだわらない。こだわらないけど、人間的で泣いたり笑ったり、怒ったり悲しんだりしながら、だけどすぐごろんと自分に立ち返ってニコニコしている。すごく魅力的だ。逆に「私は達観しているので何物にも同時ないよ」という風情の人は、のっぺらぼうでチャーミングじゃない。(pp.141)

「やって来るものを受け止めながら手放していけばいいんだよ。どんなものでも自分にやって来るものはプレゼントだ。受け止めて手放せばいい。そうしていくと、受け止めた衝撃で流れが起こって自然にあるべき方に流れていく。」(pp.142)

もし「わかって」しまったら、私は閉じてしまうから。(pp.151)

それにしても、失うということは、なんと凄いことだろう。(pp.169)
 
「私たちアイヌは神と魂の存在を信じていたからね。すべての生き物に魂があり神が宿っている。それを信じること、一点の疑いも持たず信じること。それが力なんだよ」と彼女は言った。(pp.179)

「私たちは屋久島という自然に癒されに来ます。でも、屋久島を癒そうとしてここに来る人はたぶんいないでしょう。」(pp.192)

私たちがふだん無関心という言葉で呼んでいるのは《関心がないというスタイル》としての自己主張のことなのだよ。「関心がない」と言いながら、実はそれは「関心がないということで示す、ある種の主張」となっている場合が多い。(pp.208-209)

私はもうあっけにとられて、そして何度も力説してしまった。「みんなは、大人の世代にはない力をもってる。それは感応する力だ。豊かな時代に生まれた世代にのみ与えられるすごい能力だ。森羅万象に自分の心を共鳴させることのできる能力です」(pp.262)

父性とは、その無尽蔵に秩序を与えて切る力だ、と彼は言う。なるほどと思う。≪これ以上はダメ。悪いものは悪い。ここから先は許さない」そういう断罪する力であり、ルールであり、秩序をもって事に当たるのは父性らしい。(pp.269)

でも人は変化する。新しいものを求め続けるなら永遠の孤独な旅人になるしかない。(pp.285)

修行というのは、「自分を傷めつける退屈な行為」というイメージがつきまとうけど、実はそんな事はなくて「意外性を発見するための非日常的な行為」なのではないかと思うのだ。(pp.293-294)

「子供たちは、もっと自由に世界を偏執していいのだ」
と平井さんは言う。自分の頭で世界を偏執している。自分も他人から偏執されている。そう思えば、人の言うことなど気にならない、と平井さんは断言するのだ。(pp.301)

悲惨をリアルに受け止めてしまったら、人は発狂するしかないだろう。だから彼女たちは、器を捨てて、別の価値観、世界観に自分をゆだねるのだ。もしかしたら、神や宗教は、そのように人を解放する装置なのかもしれない。(pp.312)


僕が田口ランディに手を出したのはつい最近で、ここでは感想文を書いていないけど最初に読んだのはある友達が勧めてくれた『コンセント』だった。ものすごい個人的な感覚を大切にして本を書く人だなと思うので、性差やバックグランドの違いがある分強い共感を覚えるという類の本では個人的にはなかったけども、おそろしいほどに僕の興味・方針と一致している彼女の手を出している分野だとか、人とのつながりだとか、一つのモデルにしたいと思わせる人だなというのが今のところの印象。年代が一緒であればぜひとも仲間になりたいなと思った。仲間というかソウルメイトというか。ちょっと彼女と僕の年代は離れすぎているのでそういう関係になるのは難しいかなとは思うけども。

 彼女のエッセイを読んでいるととにかく僕は安心する。
それは多分自分の選ぼうとしている生き方があまり豊富にそのためのロールモデルを用意していないからであり、自信と勇気はそれなりにあるつもりだけどでもやはりどうしても不安で、そして田口ランディという人はそのロールモデル足りえると僕が思ってしまうからであろう。
 特に僕には自分と同じような興味分野を持っている人の中でロールモデルを見つけたことはこれまでなかった。自分が今までものすごく影響を受けた人はベンチャーの人だったり、他分野の研究者だったりしたから、より具体的に自分の望む生き方を示してくれる人の存在は貴重で、そう思える人の文章に出会えたことに感謝したい。

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