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対話359 田口 ランディ 『コンセント』

2011.08.19.21:33



読書時間:2時間
個人的読みやすさ:B


「うーん、なんていうかなあ。あれも一種のシャーマンかもしれないわね。すごく理知的で制御された現代風のシャーマン。シャーマンって語源はシベリアのツングース族が『興奮状態にある人』をサマンと呼んだかららしいの。でもね、興奮状態になって忘我の状態で仕事したのは大昔の話で、最近のシャーマンはもっと冷静で知的なの。そういや山岸君って、ちょっと朝倉さんと似てるかも」
(pp.197)


 巫女だとかシャーマンだとか魔女だとか、そういう現代では割と葬られてしまった感のあるファンタジーサイドの住民は今どこでどう暮らしているのだろう?と考えてみて、まず真っ先に思いつくのは「人里はなれたところで静かに少数で暮らしている」ということだ。

 これは割と正しい認識だろう。実際にシャーマンは現代社会と隔絶されたところにいる。いや、完璧に生活そのものから現代社会と呼ばれる要素を切り離しているかどうかは知らないが、それでも自然がより豊かなところ、自分が地球とコネクトしやすい環境で生きているのは間違いないだろう。シャーマンは敏感であるがゆえに、あわただしくて騒々しい都会のような環境ではきっと生きていくことはできない。その人自身は生きていけるかもしれないが、シャーマンとしての属性、人格は都会ではきっと発揮することができない。にぎやかさが彼らの感受性を奪ってしまうかもしれないし、なにより自然がなさすぎてきっと大いなるものから切り離されてしまう感覚に陥だろう。僕は別にシャーマンでもなんでもないのでその辺の詳しいことはよくわかんないけど。

 そしてこれはシャーマンに限らず、その他(僕らにとっての)ファンタジーサイドの住民に割合共通している性質であるだろうなと思う。こういうファンタジーサイドの住民を、便宜上1)古典的ファンタジーサイドの住民と名づけることにしよう。

 それとは一線を画すのが2)現代的ファンタジーサイドの住民だ。引用はこの本の主人公が現代的ファンタジーサイドの住民なのではないかという作中人物の話なのだけど、僕はこの現代的ファンタジーサイドの住民に非常に興味がある。古くは(別にまだ古くないか?)アメリカなどでネオ・シャーマニズムだとかその辺の用語で説明されていた彼ら。週末のワークショップだとかでシャーマンを疑似体験してみたり、コミュニティを形作ってみたり。

 神秘的な要素というのは理屈はどうであれ、多くの人間になんらかの影響を及ぼすのはもはや確定的だと僕は思う。ただ、最近は科学の力が強くなったりしているから、たとえば最近では「疑似科学」を布教している指導者として、新しいファンタジーサイドの住民が登場してきている。もちろん、占い師は昔からファンタジーサイドの人間だ。僕らはまだまだ以前としてファンタジーサイドと接触を繰り返しながら、サイエンスサイドと往復運動をするように(時には重複するように)生活を繰り返しているのだろう。

 人は死んだ瞬間からもの言わぬ存在になる。もの言わぬ存在は自分を映す鏡。兄のことを考えるたびに、私は自分のことを、自分の過去を、自分の人生を思い知る。抜け落ちてしまった記憶を思い出さなければならなくなった。
(pp.35)

「どんどんお線香を焚いてください。線香ってのはね、昔から死体の臭い消しのために焚かれていたんですよ」
(pp.36)

ねじ込まれた新聞はなかなか抜けない。抜き取っていると配達の少年の苛立ちが伝わってくる。少年の憎悪が新聞の束を通して漏れている。(いけない。こんなものにシンクロしていてはいけない)
(pp.49)

欲望の餌食になってやる。支配されてことは支配することと同じだから。
(pp.67)

驚いた、私はすでに国貞に依存している。恐ろしい。だから人との関係は危険なんだ。
(pp.85)

「いやだ。傷つくのは俺の権利だ」
(pp.119)

人間の心を覗こうとする人たちには独特の癖がある。人を思い通りにできるという傲慢さを、モノワカリの良さで隠した偽善的な雰囲気。
(pp.133)

説明しているとだんだん落ち着いてくる。どんなことも言語化すると陳腐になる。その陳腐さが救いなのかもしれない。
(pp.162)

「そうだ。人間の心は異物を吸収し、消費することによってエネルギーを得ているんだ。肉体のシステムと心のシステムは相似形だ。あらゆる異物を取り込み、それによって発電する。異物とはつまり外的刺激だ。人間が感じる五感はすべて異物なんだ」
(pp.207)

「シャーマンたちはね、神に出会う人間は必ず禊を経験すると言うの」
(pp.235)

「不思議だよね。死んだ人間に関わる人々はなぜか優しい。それに比べて、生きている人間に関する人は、歪んでいるよね。」
(pp.241)

「最近はなんでもかんでもトラウマで説明できると思ってる奴が多いけど、それは一般人のOSで精神が動いてる場合だ。ウィンドウズで動いてる精神はトラウマで解説できるが、マックで動いてる精神にトラウマは応用できなかったりする。そして、最近、確実に新しいOSで動く奴が増えてるんだ。そいつらはすごく感度がいい。新しい処理能力をもっている。だが、このOSにはまだマニュアルがない。使えるアプリケーションもないんだ。だから故障していると思われたり、不良品扱いされる。発展途上だからだ。試作品なのかもしれない。」
(pp.250)

「もう治った。なんだか風邪をひいてから調子がよくなった。身体の大掃除したみたいな気分なんだ」
(pp.258)

 毎日が発見の連続だもの。面白くって笑いが止まらない。
(pp.317)
 
 ああ、そうか。憑依人格によって振動を変換するのは、きっと彼女の自我がこの変換作業に絶えられないからなのかもしれない。だから別人格を借りているのだ。そうやって、この凄まじい地のエネルギーを変換して人々のプラグに流し込んでいるのかもしれない。
(pp.324)
 
 感謝とはこれほどの快感だったのか。
(pp.326)
 
 「よく覚えておきなさい。大切なのは場所です。場所を探してそこに行けばいいのです。正しい場所に立てば人は必ず正しい行いをするのです」
(pp.328)
 
 自我がひ弱な「コンセント」は狂人にされていく。ちょっと自我の強い「コンセント」は私みたいに取り繕いながら苦労して生活していく。どちらにしても社会に適応するのに苦労する。変人扱いだ。
(pp.334)


 
 

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