スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

対話363 ロバート ボスナック 『ドリームワーク』

2011.08.21.12:00



読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:C


 サイバードリームワークのとても重要な点は、コミュニティを作るという側面です。オーストラリアのアボリジニーのある部族は、「朝のニュース」と呼ばれるしきたりで、目覚めるや否や自分たちの夢を互いに言い合います。そうすることで、部族、文化、共有されている宇宙に属しているという感覚が回復されるのです。
(p.155)


 最近、というか昔から人間が「イメージ」というものをどのように扱ってきたのか、どのようにみなしてきたのかということに非常に強い興味がある。

 昔から夢占いとかその類のものには興味があったのだけど、最大の要因としては高校生のときぐらいからうっかり手を出した「イメージ・ストリーミング」という手法に携わることになったからだろう。これは起きながら夢を見るテクニックのようなもので、心理学的にいえばユングの能動的想像法のようなものだと思っていただければあまり間違いではない(むしろかなりそのまんまともいえる)。これを足掛け大体5年くらい、やったりやってなかったりした過程で、イメージが持つ力だとか、それをどうやって意味づけしていくことでその人の歴史、ひいては人間の文化が形成されていくのかということを体感的に理解していくことが出来た。僕が「イメージ・ストリーミング」などの持つポテンシャルを十分に発揮できているかはさておいて、確かにイメージには人間の能力の根幹に関わる部分に強い影響を与える力があると思う。

 とはいえ、イメージを利用する手法は夢に限らず、いたるところで歴史上用いられてきたわけだけども、最近はその辺の影響力が弱まっているといえると思う。いや、より正確にいえばイメージ自体の能力を人びとが過小評価しているというより、イメージを用いた文化(イメージの持つ力をあがめる文化)が衰退していっているのかなと思う。夢占いやらは結局サブカルチャーの粋を出ない印象があるし、もはや人びとは夢やらイメージの「お告げ
」によって行動を規定したりは一般的にしない。

 しかしイメージの持つポテンシャル自体は衰退していないため、それを現代に適合させる形で生まれた手法、および環境コミュニティの如何によってはイメージは再び人間の中心文化に舞い戻る可能性があると僕は考える。というのは、夢は己の価値観に働きかけるものだ。人生に色づけをしたり、意味づけをしたり、前兆や道しるべをもたらす効果がある。加えて、イメージ能力自体は技能の習得や他者の理解にやりようによっては繋がるわけであり、今大事なのは職人芸的に限定的な場所で用いられているイメージを、さらに一般的に、よりわかりやすい形で、より使いやすくシンプルに広めていくことなのだと思う。特に「その当人にとって意味があると感じられたイメージ」を頼りに人生に意味を見出すというプロセスは、主観的な価値を見失いがち(だとされる)現代人にとって実は予想以上にマストな能力なのではないかと思う。

 イメージはどうしても主観的な世界を扱うため、それを扱う場合サブカル的なコミュニティだとか、ともすれば宗教的で排他的なコミュニティになりやすいなとは思うが、その辺のさじ加減を調整しながら現代に根付くイメージ文化というものを考え続けてみたい。

②emには「in」「into」の意味もあり、「embody」は(ある形体の中に)「統合する」,「組み入れる」「包含する」という意味も持つ。
 これらを、夢を扱うという文脈において理解するならば、夢の中に経ち現れてくる目に見えぬイメージを、体(方ちぃ)を具えたものにならしめる(具体化する)、つまりイメージに体(形)、を与える、という意味とともに、その夢の中に組み入れられる、夢の中に含まれるといった意味合いもあることを忘れてはならないだろう。夢の中に入り、現れてきたイメージのさまざまな側面に入り、そのイメージに体(形)を与えていくプロセスを、身体性を伴って体験することこそがドリームワークでは重要なのである。
(p.14)

夢主(dreamer;「私」とは異なる、夢を作り出している知られざる要因)は、追いかけられる自我と追いかける犬との両方を作り出したわけです。夢全部を生きるためには、夢を両方の観点から体験しなければなりません。
(p.33)

ユングの体験は落下の体験でした。彼はもう一つの世界に降りていったのです。彼が訪れた世界は、下の世界です。形式的には、意識が覚醒状態から入眠時状態へと落ちていくことに相当します。
(p37)

 最初に言ったように、想像力によるあらゆる作業の中心をなす要点とは、類似を見る能力です。観察しながらそれが何と類似しているか考えます。現在、最もよく使われる類似は、子ども時代に求められるもので、発達心理学と呼ばれています。
(p.46)

治療者は、自分の身体感覚を深く自覚している必要があります。というのも、体とエロス的なものとは密接に結びついているからです。(中略)患者と寝てはならないのは、それが、重大な錬金術的誤りを犯すことになるからで、それは不道徳よりもさらに悪いのです。それは個人的なものと原型的なものの混同です。
(p.57)

抵抗は、注意が離れる(distraction)ことによって顕わとなります。気が散る瞬間というのは、無意識的な要素が注意をひきつける時点であり、心的なエネルギーが覚醒している意識から漏れ出てしまいます。
(p.63)

自我は単なる客に過ぎません。
(p.94)

 ヤローム Yalom (1995, p.422)は「ある夢を調べていくと、グループでの心理療法は促進される」と主張しています。また、夢を用いることはグループの結束力を促し、自己開示を助長します。
(p.129)

 第3の世界があると、コルバンは、幻像(visionary)の伝統を持って主張しています。間(between)にある世界、中間、媒体(medium)の世界。それはイメージの世界であり、精神の世界よりは具体化(形を持っている、embodied)されており、肉体の世界ほどは物質的ではありません。それはサトルボディの世界と呼ばれるようになりました。
(p.131)

彼らはいいます、「カンガルーを見つけたいのなら、カンガルーよりもカンガルーらしくなくちゃだめなんだよ、そうでないとカンガルーは決して見つけられないよ」と。
(p.134)

 抗精神薬が重要でなくなるというのはありませんが、われわれが今直面している恐怖は精神病理学的な手法では解決できません。恐怖といううのは、世界によってすっかり脅かされていることへの直接的な反応でもあり、それはもっともなことです。このことは、心理療法が精神額的精神医学の劣ったオマケというイメージのもとから脱しうるということを意味しているのです。
(p.172)

 しかし私には、夢が中心であって解釈が偶発的なものである。私はイルマの夢を精神分析の創造神話(creation myth)と受け取りたい。
(p.199)

comment

Secret

twitter
プロフィール

×÷

Author:×÷
はらわたに秩序。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。