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対話367 J.M. シュピーゲルマン 『能動的想像法―内なる魂との対話』

2011.09.06.11:37



読書時間:1時間30分
個人的読みやすさ:C


 この試みにおいて、われわれは、神秘家や詩人と再度触れ合い、「心理よりも魂を、感覚よりもイメージを、全体性よりも個別性を、論理と認識よりも美とイメージすることを、意味よりも事物を、知識よりも知覚を、真理よりもレトリックを、人間よりも動物を、自我よりもアニマを、なぜ (why)という質問よりも何 (what)と誰 (who)という質問を、より高く評価するようになる」でしょう。
(p.80)


 僕がやっている「イメージ・ストリーミング」の源流ともいうべきユングの能動的想像法について書かれた本。
ユングの能動的想像法はユング自身が重視していたにも関わらずあまり有名ではないが(おそらく臨床心理学専攻の学生でも知らない人は結構いるんじゃないかと思う)、「イメージ」をどうやって日常に溶け込ませ利用するか(調和するか)を考える上ではかなり重要な本ではないかと思う。

 ユングの考えた能動的想像法はイメストに比べてイメージ上の対話と対決が重視されていて、より意識的・音声的なのだが、これもイメスト的に踏まえれば応用テクニックの一つと考えることができる。実際、締めの部分で河合隼雄が述べているようにこのイメージの利用法はイメストに比べて難易度が高い。というのも、言語を使ったイメージというのは、僕の経験上意識が介入しやすく、どうしても恣意的になりやすいからだ。イメージが自発的に、その意識を持って会話するようになるためには相当レベルにそれが独立していないと難しい。

 興味深いことに河合隼雄が一般人向けに応用した”能動的想像法”はほぼ完全にイメストで用いられる手法と同じである。河合隼雄はここから精神分析的な手法に結び付けていたようだ。ただ、他のイメージ研究ではイメージを自由に浮かべるというその行為そのものに治療効果があるとされている。いずれにせよ、イメスト的手法(あるいは能動的想像法)はそこまで人口に膾炙しているとはいえないものの、今ある瞑想などと並んで、生活に取り入れやすいという観点においても、今後さらに注目を浴びてライフスタイルに根ざすものに徐々になっていくに違いない。

 この本は、C.G.ユングがジグムント・フロイトと最初に決別したときに発明もしくは発見した能動的想像法という方法について、および私自身によるその技法の発展、つまり、文学の分野へのその導入と、それが「心理神話学」という新しいジャンルを生み出したことについて述べています。
(p.ii)

 老婆心ながらつけ加えておくと、能動的想像の相手としては、実在する人を選んではならない。内的現実と外的現実との混同を起こしてしまうからである。たとえば、。自分の親とか恋人とかを相手にすると、そこに自分の願望がまじってきて、その結果を実際に生じることとして確信したりしてしまう。
(p.7)

 しかし、そのときフレイ先生が「能動的想像法を解決を与えるとか、解決法を示すものとしてではなく、方向を示唆するものと考えてはどうか」と言ったことは、今も記憶に残っている。
(p.13)

 芸術家自身が自らの作品によって癒される、ということも自明のことと言っていいほどであろう。自己治癒の努力のなかから作品が生み出されてくる、と言っていいだろう。
(p.17)

 心理療法のことを考えはじめると、宗教、哲学、芸術、科学などといろいろなことを考えねばならなくなり、しかも、「~とは異なる」と言いつつ、相当な重複を認める、とい苦しい態度を取らざるを得なくなってくる。
(p.24)

 湯浅氏は「存思」について、@現代の心理学的観点からみれば、それはさしあたり、無意識領域から生れるイメージを経験する一種の能動的想像 active imagination の技法である、と言うことができる」と述べている。つまり、ユングが今世紀になって自ら考え付いたと思った「能動的想像法」は、東洋においては、文献に現れているものでも、すでに三世紀に行われていたのだ。
(p.28)

 そのいちばん大きいところとして、ユングの場合は、西洋の近代自我の確立を前提として、能動的想像法を行なったこと、そこに必ずしも「宗教的」イメージの出現を前提としないことが指摘されるだろう。
(p.31)

 このようにして、あなたは自分の無意識を分析するだけでなく、あなたの無意識があなたを分析する機会を与えることになります。このことにより、あなたは意識と無意識の統一体を次第に創ることになるのです。
(p.38)

 シュタインプレッヒャーのやり方をみると、ユングの能動的想像法と「指示的空想法 (guided fantasy)」と呼ばれる多くの方法とを対比して考える必要があります。この後者の方法は治療者や師が瞑想すべき特定のイメージを与えたり、従うべき指示を与えたりするものですが、ユングのやり方はむしろ「魂のことは魂に語らせよ (Let the soul speak for itself)」(テルトゥリアヌスの有名な言葉)というものです。
(p.42)

 この能動的想像法の概論を終えるにあたり、この方法を試みることで得られる効用を要約しておきましょう。
(1)被分析者は分析者にあまり依存しないですむ。
(2)無意識の意図を知るのにあまり夢に依存しなくてよい。
(3)意識が広がる。
(4)(略)要約するなら、この方法はユングの経験したものを自分の力で確かめることのできる理想的実験方法である。
(5)この方法により全体性、人格の統合、超越的機能に達することができる。
(6)ユングの「超越的機能」についての論文の終わりの文章を引用するなら「この方法は自分の努力で自己解放が遂げられるものであり、自分が自分の自己でありうる確信を見つけるためのものである」。
(p.43)

 能動的想像法を行なう人々(『真のユング派」)は、行なわない人々(「真のフロイト派」ないし「転移に介入する人々」)に比べ、高いレベルのものが時に必要とされると言われています。
(p.45)

 能動的想像法は錬金術の「精神の結合 (unio mentalis)」の段階を非常によく果たしますが、「結合 (conjunctio)」(肉体との結合)と「一なる世界 (unus mundus)」(世界との結合であり、その体験である)は部分的か、あるいは一時的にしか生じないというのが私の意見です。
(p.49)

 この要約では能動的想像法のプロセスには次のような四つのステップがあることを述べています。(1)心を空にする、(2)ファンタジーのイメージが自然に現れるのを待つ、(3)書いたり対話を行なうことによってファンタジーの登場人物たちにかたちを与える、(4)ファンタジーの素材に対して倫理的な対決を行ない、その結果を実生活に反映する。
(p.61)

 病んでおり、ノイローゼであり、世界に大して適応していないのは、もはや心理療法を受けている患者個々人の魂ではなく、病気なのは世界なのです。
(p.76)

 彼は彼の書簡集のなかでこのことをみごとに述べている。彼は、能動的想像法は、理解することへの欲求(すなわち、意識を高めるための努力)と美への欲求(美しく、心を満足させる表現)の双方を含んでいることを認めたのである。(中略)しかし、ユングは、能動的想像法は芸術の領域ではなく、心理学的な目的をもつものであることを主張して止まなかった。
(p.90)

 ご存じのように、ユングは能動的想像法と芸術との間に厳格な区別をおきました。前者の目的は芸術作品の創造ではなく人格の創造です。
(p.111)

 私は、ユング派の分析かが神話的な物語を書くとき、その結果生まれるこの主の作品を最初「心理神話学」という新しいジャンルと呼びました。
(p.113)

 しかし、心理神話学においては、解釈は――作品の上にあったり、離れているのではなく――その芸術そのものの一部なのです。もし解釈が作品の一部ではなく、プロセスの前進に貢献しないならば、それは無用のものであり、破壊的でさえあります。
(p.115)



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