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対話369 ドナルド・A. ノーマン 『誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論』

2011.09.06.12:29



読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:B

可視性 目でみることによって、ユーザは装置の状態とそこでどんな行為をとりうるかを知ることができる。
よい概念モデル デザイナーは、ユーザにとってのよい概念モデルを提供すること。そのモデルは、操作とその結果の表現に整合性があり、一貫的かつ整合的なシステムイメージを生むものでなくてはならない。
よい対応づけ 行為と結果、操作とその効果、システムの状態と目に見えるものの間の対応関係を確定することができること。
フィードバック ユーザは、行為の結果に関する完全なフィードバックを常に受け取ることができる。


 こういう話を聞くと漠然とAppleを思い浮かべてしまうあたりそろそろ林檎信者になってきたのかもしれない。いや僕は普通に窓使いですが。どうしても周りにアップルユーザーが多いと洗脳されていくなー。僕も次パソコン買うときはマックにしようとか思ってきているし。

 さて、人間にエラーはつきものではあるが、そのエラーが起きるかどうかは広い意味での「環境」によって左右されるというのが本書の趣旨であろう。この辺の考えは本文中での指摘にあるようにアフォーダンスの概念そのまんまを導入している。特にデザインを考える際にアフォーダンスの理念はとりわけ有効なのだろうと思う。

 目に見えるデザインに限らず、自分の生活習慣についても同じようなことが言える。すなわちライフスタイルのデザイン。自分の生活に何かエラーがあるなと思ったときは、一度そのデザインについて疑ってみたほうがよい。

 そのとき、上記のリストに沿って考えてみるのも面白い。
人間の生活習慣レベルともなるとさらに状況は複雑になると思うが、逆に上の条件を満たそうとしてもなかなか満たしづらい場合は、何が阻害要因になっているのか(たとえば過去の習慣だとか記憶が阻害しているのか?)を考えることはそこそこ有用なことだろう。

 だんだんと真実は明らかになってきた。私は、ヒューマンエラーや産業自己の研究をするようになった。そしてわかったのは、人がいつでも不器用に行動するとは限らないということだった。いつでもエラーをするわけではない。人がエラーをするのは、その物がよく考えられていなかったり、デザインが悪かったりするときなのである。
(p.v)

 できることのすべてが目に見えていて、コントロール手段とその表示が自然な反応づけを十分に利用しているとき、その道具は使いやすくなる。
(p.38)

 叙事詩の記憶に関する古典的な研究は、アルバート・ベイツ・ロード (Albert Bates Lord)が行なっている。彼は、ユーゴスラビアで今なお口承文芸の伝統を守っている人々を見いだした。そして、叙事詩を学びそれを村から村へ旅しつつ朗唱する「話の歌い手」は、暗唱しているのではなく、実は、韻やテーマや話の筋や構造やそれ以外の特徴などに従うようにその場で急いで作り上げながら、その詩を採光性しているであるということを示した。
(p.98)

 時には、可視的にできないものもある。その場合には音を入れるようにすればよい。音は他の方法では伝えられないような情報を提供することができる。
(p.164)

 スリップの中には行為の類似性から生じるものもある。また、外界のできごとがその行為を自動的に引き起こしてしまうというスリップもある。私たちのもつ考えや行為が意図していなかったことを思い出させて、それを実行してしまうこともある。このようなスリップは、乗っ取り型エラー、記述エラー、データ駆除型エラー、連想活性化エラー、活性化消失エラー、モードエラーの6つに分類することができる。
(p.172)

 心理学者がよく研究してきたのは、日常の作業ではなかった。研究の対象とされたのはチェスとか数学のパズルとかで、よく考え努力しないといけないものだった。
(p.202)

 ミステーク、それもとりわけ状況を解釈し損なったことによっておこるミステークには、気づくまでにずいぶん時間がかかる。
(p.208)

フィッシュホフはさまざまな状況を提示して、被験者にそこで何が起こるかを予測させた。彼らの予測が正当と一致したのは偶然程度の確率でだった。次に、他の被験者の人たちを対象とし、同じ状況を今度は実際に起こった結果の記述とともに提示した。そして、その結果がどれくらいありそうなことだったかを判断させた。すると、実際に起こった結果を知っているときにはそれがもっとも起こりそうだと判断され、他のことは起こりそうもないとされた。実際の結果がどうだったかを知らないときには、それぞれの選択肢のもっともらしさは、まったくこれとは異なるように判断されていたのである。ことが起きてしまった後から振り返れば、いったい何が当り前のことなのかを判断するのはずっと容易なのである。
(p.210)

 微妙なものではあるが、多くの事故の中で目だってくるのが社会的圧力である。(中略)社会的な構造がどうなっているかを知ることは物理的な構造がどうなっているのかと同じくらい、ミステークを理解するためには本質的に重要である。
(p.210)

デザイナーがすべきことは以下のようなことだろう。
 1 エラーの原因を理解し、その原因が最も少なくなるようにデザインすること。
 2 行為は元に戻すことができるようにすること(すなわち、"undo"できなくてはならない)。そうできないとしたら、元に戻せない操作はやりにくくしておくこと。
 3 生じたエラーを発見を変えてみるべきだ。それを使っている人は作業をしようと試みているのであって、そのために不完全ながら目標に少しずつ近づいてきているのであると考えてみること。ユーザがエラーを犯していると考えるべきではない。ユーザの行動は望んでいることに少しずつ近づこうとする試みであると考えること。

 もっとよいものもある。それは産業工学の創始者の一人のドボラクによって苦心の末開発されたドボラクキーボードである。ドボラクキーボードは学びやすく、タイプ速度もだいたい10%は速くする。しかし、その程度の改善ではキーボードの世界における革命を断行するだけの価値があるとはいえない。何百万ものタイプライターも改造しなければならない、現在実際に行なわれているということ自体が強い制約となって、変化をさまたげるのである、その変化が改良につながるものであっても。
(p.242)

 何か問題が起こると、人はそれに焦点を集中してしまい、他の要因には目を配らなくなりがちである。
(p.270)

 デザイナーの問題に戻ってみたい。時間と経済的な圧力がデザイナーにのしかかっているということはすでに述べた。ここでは、二つの致命的な誘惑について述べる。これらの誘惑は、軽率な人を誤らせてしまい、また、製品を過度に複雑にしてユーザを混乱させることになるのである。私はこの二つを、なしくずしの機能追加主義と誤ったイメージの信奉と呼んでいる。
(p.281)

 なしくずしの機能追加主義は一種の病気は、すばやく対処しなくてば致命的になる。
(p.283)

 道具は単に私たちが何かをするのは簡単にしてくれるというだけではなく、私たちが自分自身や社会や世界を見る見方に多大な影響を及ぼしている。
(p.345)

 ハイパーテキストは、文章の体系のなさをまさに活用し、文章の体系のなさを活用し、アイディアや考え方を意のままに並べることができるようにしたものである。筆者はとにかく自分のアイディアをポンと投げ出して、それを関係していそうだと思ったページにくっつけてしまうのである。
(p.350)

 しかし、私たちが暮らしている生活場面における毎日の作業で、そのような問題が生じないのは、私たちは外界から切り離されて生活しているのではなく、外界と緊密にインタラクションを行ないつつ、外界の情報に依存しながら、「外界と結びついた (re-emnbodied)」認知処理を行っているからといえよう。
(p.400)

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