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対話370 波平 恵美子 (編) 『文化人類学―カレッジ版』

2011.09.17.16:40



読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:C


クマの肉を食べる饗宴は神を接待する行為としてアイヌの世界観のなかに位置づけられている。したがって、1つひとつの行為が世界観の一角としての意味づけを与えられ、神と人間との相互交渉の物語としてアイヌの人々に理解されていくことになる。
(p.171)


 何を持って文化(宗教)とするかはかなり分かれるところだけど、一つ大きな要素にこの「身体性」があるというのは結構間違いないのではないかなと思う。これは何を持って「宗教」とするかの論議にも関わる問題で、例え信じていようが信じていなかろうが、身体を持って何かの行為を行ない、そこに積極的に見出したにしろ受動的に見出されてしまったにしろなんらかの意味が付与されたのであれば、もうその時点でそれは文化(あるいは宗教)行為になるのではないだろうか。

 それは人類学的用語を使うと"Sympathetic Magic""Contact Magic"という現象を引き起こし、心理学的には条件付けのような効果を生み出す。こうした時、信仰というのは身体性を持って、当人の意志に関わらず組み立てられることになる。いわゆる信仰心をもっていたほうがその深度は高いのかもしれないが、しかし信仰心を積極的に持っていなくてもそれは「自動的に起きてしまう」というのは、日頃自分のことを「無宗教」だと思っている多くの日本人にとっては注目するべきことなのかもしれない。

 C. レヴィ・ストロース Levi-Strauss, Claude (1908~)は、インセスト-タブーを、婚姻で結ばれる集団間のコミュニケ―ションの問題からとらえようとした。つまり、自分の集団にほかの集団の女性を受け入れ、自集団の女性を他集団に送るという「交換」によって、集団は結びつくのであり、このために自集団内での性行為を行わないようにインセスト-タブーがあるとする。
(p.48)

 ところが、ここで、私たちの知覚に非常に興味深い現象がおこる。時計の針の動きを見てはじめて時の経過を経験するにかかわらず、私たちは、逆に時が経過したから針が動いたのだというふうに考える。時計の針の動きによってはじめて認知されたものを、時計の針の動きとは独立して時の経過というものがあり、それが原因で時計の針が動いたのだというふうに逆転っして考えるということがおこるのである。
(p.82)

 リーチは、今日階部分の危険性は、人間の一生についてもあてはまるとしている。私たちは人生の節目という表現を用いるが、この節目は、あくまでも人間が人為的に設定しているもので、自然状態としての人間に本来備わっているものではない。(中略)誕生や死が不浄や危険と結びつけられるのは、人間の一生に人為的に境界を設けるということと、かかわりがあるのである。
(p.86)

 狩猟採集経済が、生態系とのバランスのうえに成立する生業携帯であるのに対し、農耕は、森林や原野の植生を取り払い、地形や土壌を改変し、そのあとに栽培作物を人為的に植えていく生業携帯である。それゆえに、農耕文化は、森林の伐採・火入りによって農地化を行う東南アジアやオセアニアの焼畑農業 swidden cultivation が示しているように、自然環境の秩序を乱す可能性を含んでいる。
(p.115)

 だが、新宗教が社会の矛盾やゆがみを敏感に感じ取って人々の潜在的な欲求にこたえ、ときに時代を先どりしながらここまで勢いをのばしてきたのも事実である。から現在まで、新宗教は人の生につきものの「貧・病・争」の悩みにこたえるべく、庶民の相互扶助組織として機能してきたといえる。
(p.149)

 つまり、サカに憑かれることは、女性にとって、一時的なりとも男女の役割転換を可能にすることになる。タイタの社会で、サカに憑かれるのはほぼ女性のみであり、サカの要求するものが男性を象徴するものや、男性を通してしか手にはいらないものであるのは、タイタ社会で女性が社会的に弱い立場におかれていることの結果といえる。
(p.161)

 シャーマンはみずからが傷つき、いったん死に目に会い、そこから回復したがゆえに、その力を使って他者を癒すことができるのである。
(p.164)

こうした大きな自然環境の違いのなかで何千年あるいは何万年も生きてきたにもかかわらず、生物学的には単一の主でありつづけるという、ほかの哺乳類にはけっしておこらない状態を保っている点で、人間は得意な存在である。
(p.185)

周囲の人々は其の人に見ずも食事も与えず、確実に死ぬものと信じて葬式の準備をすることさえある。それは、ヴードゥー死によって死ぬ人を少しでも早く死者の国(快適で幸せな国と想定されている)へ送り出し、そこで再生の時を待つほうが本人のために幸せだと考えられているからである。
(p.205)

 1970年代に『医療人類学』というタイトルの教科書を著わしたジョージ=フォスターとバーバラ=アンダーソンによれば、医療人類学には次の4つの起源があり、それらは現在の医療人類学の重要な下位領域であるという。
 (1)人類の進化と適応に関する研究および人類の生態に関する比較研究
 (2)病気や治療に関する民族誌的研究
 (3)人類学者と精神科医との協同による「文化とパーソナリティ」の研究
 (4)発展途上国への医療援助の実践から生じた国際的な公衆衛生
(p.211)

 危険なのは、それから病気が感染するとかいう意味ではないことは、遺族が頻繁に死体に接することからでもわかる。考えられる解釈の1つは、第3章でも述べられているように(102ページ以下参照)、呼吸をとめた直後の身体は身体の状態からしても、儀礼的な意味においても、生きているのか死んでいるのがはっきりしない、あいまいな状態であり、そのような中間的な状態は、危険視されやすいということである。
(p.236)

それは通過儀礼がその文化における人々の世界観および社会関係を明白に示すことが多いからであり、儀礼において男性と女性との区別を明確にすることは、世界観と社会関係とを人々に確認させ補強する重要な要だということであろう。
(p.246)

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