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対話378 キリアコス・C. マルキデス 『メッセンジャー―ストロヴォロスの賢者への道 』

2011.09.17.22:14




読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:C


「では、悪魔は天使よりずっと人間的なんですね」と私は言った。
「もちろん。天使が人間の姿をとることはめったに見ることがない。彼らはほとんどの場合、力として、システムとして存在する。悪魔は人間の姿を取る」
(p.242)


 この比喩は面白い。天使を単純に「幸福」、悪魔を「不幸」と捉えたとき、確かにそういう性質があるかなという気にさせてくれる。

 どういうことか。
つまり、人が幸福にある時、それは個人によってなされたのではなく、その人を取り巻く全体の環境、いわば生態が良いレベルにあるからなのである。
人間という個人は実のところ、周囲に隔絶されて存在しているわけではまったくなく、その人の取り巻く環境を含めたうえでの「一個人」だというのはもはや色々な人が言っていることなので僕の中でも常識化してきてしまった感があるが、つまり自分を真に良い状態に導くのはその全体性なのだ。

 1人の他者によってなされる幸福というのは、多くの場合最初は天使に見えたとしても、いとも簡単に悪魔となり得る。全体のバランスが崩れている状態で1人の人間に頼ることは単なる依存であり、それは悪魔に付け入られる隙でもある。同時に、たとえ天使のような人が自分の元を訪れたとしても、自分が依存することによってその人を「悪魔化」させる結果へと導くだろう。

 もちろんシステムとして悪(もはやその場合手がつけられない)、という逆のこともあり得るが、しかし「何が幸福か?」を考えたとき、そのシステムという全体性をなくして幸福を得るというのは非常に難しい。よって、個人という単一のものに頼るのではなく、システムをどう改善するかというところに話を持っていかないと何事もうまく進まない。
 その過程として人に頼ることはもちろん是とするべきだが、結局は自分というシステム全てに働きかける必要があるという目的を見失ったとき、天使だと思っていた他者すらも悪魔と化させるような、そんな力が働いてしまうに違いない。

「スピリチュアルな道を行く者にとって名声とは罠なんだ!」と、彼は名声に潜む危険性について警告をするように言うのであった。
(p.26)

「私が理解できないのは、セラピストが、なぜ自分のものでない、聖霊から与えられた生命のエーテルと引き替えにお金がもらえるかということだ。無料で与えられているものは、無料で奉仕すべきなのだ」
(p.42)

 根源に帰るというエレメンタルの傾向が、カルマの法則を可能としている。
(p.66)

「憎しみや嫉妬のエレメンタルが蛇のように見えるのは、私たちの文化背景ではそのような連想をするからだ。蛇や他の動物には固有の邪悪な性質はない。エレメンタルの姿は、その人の持つ言語や、その人がどこから来た人かによって異なる」
(p.71)

「では、左手に美しいオレンジを持っているのをイメージしてみなさい。できるだけ完璧な形で頼むよ。右手でちょっとひっかいて、匂いをかいでみて。オレンジの香りがするかね。手の中にしっかりと持って、なるべく現実に近いものをイメージするように。これで、物質世界に誕生するかも知れないエーテル体のオレンジのモデルをつくり上げた。次のレッスンまで毎日、一、二回、数分かけて、マインドを使って何か物質をつくってみるように。集中してやるんだよ。そして、できるだけ完璧なものに仕上げるように。でも、ちょっと警告していこう。言うことを全然きかない犬のエレメンタルをつくってしまった弟子が一人いたが、そのような間違いをしないように」
(p.78)

 良い意図を持った無神論者のほうが熱狂的な信者よりもスピリチュアルな問題を議論しやすい、と言ったことが前にあった。
(p.83)

「他人のカルマを受けるのは、それを望んだ時だけだ」とタスカロスは繰り返して言った。
(p.112)

「サイキック界の鍵となる特徴は、どの原始も自分の光を発しているということだ。太陽とか人工的な光源から光が来る三次元とは違う」
(p.148)

ユダは裏切り者ではなかった。分別のつかない愛弟子だったのだ。
(p.167)

注意しなさい。本当の祈りは言葉ではない。言葉だけでは意味がないのだ。役に立つための行動と、そのための準備が重要なのだ。真理の探求者として毎晩、数分間、自己分析をするのも、本質的には祈りなのではないだろうか。しかし、自己分析はマゾヒスト的な傾向や罪悪感があったりしてはいけない。真理の探求者が、罪悪感を持ったり、自分は罪深いと思った瞬間、彼は他人を助けるような状態ではなくなる。
(p.254)

 私たちが以前出会った時に説明したことがあるが、物質界、サイキック界とノエティック界で、私たちは相対的な現実を経験する。これらのさまざまな現実は、私たちに理解を可能とする感覚を与えてくれるのと同時に、究極の現実では存在しない悪の感覚も与えてくれる。悪の印象は、感情と想念の世界でしか存在しない」
(p.300)

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