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対話381 藤岡 喜愛 『イメージと人間―精神人類学の視野』

2011.09.18.17:02



読書時間:1時間
個人的読みやすさ:B


インクプロットに対して、成人型は解釈的であり、幼児型では知覚的であり、同時に自由連想的でもある。
(p.35)


 上記の引用はインクの染みから何を連想するかという臨床心理的には比較的有名な例のあれの話なのだけど、この解釈と知覚(連想)という対比は何が大人と子供を分別しているかを考える上で面白い。

 すなわち収束と拡散。解釈は分析でありそれは言語化であり、そのイメージを殺して冷蔵保存するということである。逆に知覚はそこから解釈に移らない限り、得られたそのものは生気を得続ける。イメージは殺されることもなく庭のもとで遊び続けて、最終的には庭も越えて自分でも回収出来ないところに遊びに行ってしまうかもしれない。

 人間はイメージの動物である。イメージを他の動物が持っているかは僕にはわからないが、恐らく人間と同じレベルで持っている動物はいないだろう。人間の本性は、実のところその頭の中を、そして身体を流れるイメージそのものだ。それを統制するためにイメージに寄生している人間の表層=意識は解釈を与えたり、分析をしようとしたりする。本体たる混沌としたイメージ自身は言語によって調教され、時として絞め殺されることもあるだろう。

 天真爛漫な人を見るとどこか「人間的」な感じがするけれども、あれはその人がイメージの持つ自由さを体現しているからかもしれない。人間のエネルギーはイメージから成り、恐らくその本体はそこにある。意識は脇役であるべきであり、それが前に出張ったときにこそ悲劇が起きるのだろう。

 
 文化の独自性に対応したヒトとなりの、その独自性を捉えるほどに、投影法が敏感で精密だとは認めがたい。要するに、文化人類学者の期待にかかわらず、投影法の感度は鈍いのであった。
(p.46)

 この例は、中心的イメージとは、たとえば何であり得るかを端的にしめしている。それは、彼女の無理をあえてかなえてくれた母親の姿、それを当然として甘えている自己の姿である。こうしたイメージは、当時に蓄えられたまま意識にはのぼらなかった。しかも彼女のイメージ界の全体の運動は、この中心的イメージに合致するように運動していた。そうして現実において恋人に去られるという破局に直面した。
(p.91)

 いいかえれば、FとHとの対応の仕方は常に"アソビ”を含んでいる、このアソビこそは精神と生命を存続させる本質的な性質であると私は考えている。
(p.111)

 ハーローは、オヤから隔離して育てるということが、どんなに大きなもんを赤ん坊から奪ったことになっているのかを、痛感するようになる。檻の中で育てられたメスザルや、人形をあてがわれて育ったメスザルは、成長しても、正常な性行為の姿勢をするものが一頭もなかった。オスに近づこうともしないし、毛づくろいをしたりしてオスの注意をひくことや、仲間としての親密さを示す行為もしないのである。
(p.132)

 これまで、イメージはヒトの行動を指導すると述べてきた。人は刺激に対して反応するだけではない。大きい見通しのもとに、時には気高い目標をさえ持って、自分が行なう個々の多くの行動を、統制してゆく。
(p.140)

 コクマルガラスのメスの順位は、メスが体が小さく力も弱いということもあって、群れ全体の中で下位に甘んじなければならない。(中略)ところがめあいの季節になって、下位にあったメスの一羽が最上位のオスにみそめられてつがいになった。それから24時間とたたないうちに、彼女が大統領夫人であって、だれももう白い眼で見てはならぬということが、群れの全員に伝わった。
(p.164)

 ゴリラやチンパンジーの社会では、ニホンザルのジュピターのような強烈なパーソナリティーはむしろ影をひそめるらしい。
(p.174)

 本章のはじめにのべたように、「ヒトとなり」がすなわちイメージの世界そのものである、とするなら、ヒトとなりの進化はただちにイメージ界の進化でもある。
(p.179)

 これまで述べてきたように、イメージは、個人がそれぞれの能力に応じて自分でつくるものである。それにみおかかわらず、イメージの融通性が、イメージの収斂を可能にする。また、あることについてのイメージには、つねに個人的独自性と外界模倣性の二面性がある。この二面性は、私たちが生物として、本来もっている、あそび(latitute)」のあらわれである。
(p.191)

 平衡店移動のきっかけになったイメージはあるにしても、悟りや回心は、イメージそのものではない。だからこそ、人をして、教えて悟りにはいたし得ないのである。教えうることは、せいぜい、きっかけになったイメージについての情報を教えうることにとどまるのである。
(p.219)

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