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対話383 加藤 恵津子 『「自分探し」の移民たち―カナダ・バンクーバー、さまよう日本の若者』

2011.09.27.19:55



読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:B


 一方、「○○語を話せる人とコミュニケートしよう」とはじめから決めてかかっていると、その言語を話せる人全員が、自分にとって出会ったり話したりする意味や価値があるかのように見えがちです。実際には、彼らの中には、コミュニケートするとこちらの身が危ない人々もたくさんいるにもかかわらず。そしてより危険なことに、現地人の間で愛想を尽かされ、誰に対しても対等な位置に立てない人々ほど、「○○語を話せる人とコミュニケートしたい」人々に近寄って行きます。他に何の取り柄がなくても、生まれた時からその言語を話しているというだけで、自分が無条件に優位に立てるからです。
(p.168)


 1年程度留学をした身としてはこれは痛いほどにわかる。
自分自身、まず英語を話したいなーと思って留学しにいったので、割と積極的に色々な人に話しかけにいった。
その中で、特に日本人同好会みたいなところに来る外国人は日本好きが多く、文化や話題もある程度共有しているので非常に話しやすい。必然的に、そこに来る人との絡みは増えることになる。

 ただ、ある程度そういうグループにいると、なんとなくその現地の人たちがどのような評価を彼らにしているのかがなんとなく見えてくるようになる。だからといって別にその人たちが駄目とかそういうわけではなく、そもそも英語もろくに喋れないような状態でいった僕こそアメリカにおいてカーストの最下層にいたことは疑いない事実なので他人のことを言っている場合でもないのだが、それを差し置いてもやや「変わった」人、また「アジア人、日本人女性だから」という理由でハンティングしにきているようなアメリカ人をちらほら見かけ、幾分うんざりしたりし、また同様に、似たような視点を持っている自分自身に気づかされ、やや嫌気が差したりしたわけなのである。

 話題が合う、つまり文化が合うということはコミュニケーションにおいて必須条件なのでそういう戦略が悪いとは微塵も思わないし、次に海外に行くときもおそらく同じ方法を取るとは思うが、しかし全員ではないけども何人かは「こいつが日本にいたら絶対に話さねえわ……」という人が当たり前にいるわけで、そういう人たちと英語が喋れるというメリットだけをもって交流するのにはやや難色を示したい次第である。

 さらに言えば、日本はカナダにとって「女性一時滞在者専門」の供給国である。「学生」を供給する上位国では、韓国も中国も欧米諸国も、男女ほぼ同数を送り込んでくるのに対し、日本からの渡航者では常に、女性が男性の2倍以上である。
(p.25)

それではなぜカナダを選んだかというと、圧倒的多数が、他の英語圏との間で「消去法」をしているのである。
(p.37)

 トロントを選ぶ若者にもう一つ特等的なのは、「ヨーロッパ」「ニューヨーク」「文化」「芸術」への志向である。そしてここでも、カナダやトロントそのものに惹かれるというよりも、他の国、他の都市とイメージが似ているから、トロントが選ばれるのである。
(p.41)

 こうして見るとバンクーバーは、その自然の豊かさや健康的な生活にあこがれる人、その中で思い切り勉強や仕事をしてみたいという人を引き付ける半面、トロントその他の街に比べ、その街に強い執着や関心を持たない、日本とは劇的に異なる環境を味わいたいとは思わない、そして比較的、英語力に自信のない一時滞在者を引き付けやすいようである。
(p.42)

 だが逆に、日本にいる時、働くことはなぜあんなにも難しく、ストレスに満ちたものだったのだろうか。一つには自分が、「暗黙の了解」をふくめて社会のさまざまな仕組みを熟知しており、そこにからめ取られていたからではないだろうか。
(p.53)

 つまり、海外生活に「偶然」を求めないことです。「偶然」を求めれば、あなたの化のう性は数億にも分裂して霧散してしまいます。そうではなく、海外に渡る前にこそ、自分の中でもっとも輝く部分を見つけてください。他人の体験談を渡り歩くのは止め、苦しくても自分の中の声に耳をすませてください。
(p.66)

 そもそも「英語が上達しない」と思ってしまうのは、「何をするのに充分な英語か」があいまいだからです。
(p.103)

独身・単身で、まず楽しみのために短期滞在や一時滞在をし、その延長としてカナダで暮らそうとする日本人の若者は、これら多くの移民候補者とは、スタートラインからして異なるのである。
(p.109)

 「日本から逃げる」のは悪いことではありません。逃げたいような環境にいるのに、そこから出ずに不幸な人生を続けるのは正しい生き方とは言えません。
(p.122)

 これは一個人のストーリーだが、薬物が簡単に手に入るBC州の事情、そして薬物の誘惑は、他の日本時に知事滞在者にとっても同じである。「やりたいことが見つからない」または「やることがない」日本人の若者にとっては、薬物は、もてあました空虚な時間を埋める刺激物に簡単になりうる。ましてその人が何かから「逃げてきた」、何かを「忘れたい」のであれば、薬物の誘惑はさらに大きいだろう。
(p.125)

 これはカナダ人のティーンエイジャーの間にもあり、上述の晴海さんも、カナダの高校生はなぜみんなクスリをやるのかという問いに対し「ピア・プレッシャー」と即答している。だがカナダ人の場合、これが働くのは高校「まで」なのである。
(p.128)

 事実、2008年6月にバンクーバー日本国総領事館で開かれた「留学生メンタルヘルス・セミナー」では、日本人留学生に関わる学校・事業関係者70人ほどを前に、3人の日系の医療専門家が報告やアドバイスを行ったが、ここでカナダ人の聴衆の1人から、「最初から精神的に問題のある留学生があまりに多い。日本政府はスクリーニング(選別をしないのか」との声が上がったほどである。
(p.132)

日本人女性の国際結婚の多さはしばしば「ガイジン崇拝」の現れであるかのように語られるが、少なくともカナダ人の場合、第一の理由とおして挙げねばならないのは、若い日本人男性の絶対数不足である。
(p.136)

言い換えれば、社会の中でどれほど周縁にいる現地人にとっても、一時滞在者は、言語能力、市民的ステイタス、そして時にジェンダーにおいて、ほぼ100%自分の優位性を保証してくれる相手なのである。
(p.139)

加藤 彼は自分とつりあっていると思いますか?教育、家族背景、友だちの顔ぶれ、精神年齢とかの面で。
宏美 「カナダにいる私」とはつりあっていると思う。
加藤 具体的にはどういう状況のことですか?
宏美 言葉[ができない]、外国人であること、あと基本的に権利がない。
加藤 どういう権利がないのですか?
宏美 日本であれば当然、働ける。好きなところで働いたり、好きな長さだけ勉強したり、選挙権もある。こっちでは保険[BC州医療保険のことか]もない。
(p.142)

ここで皮肉なのは、日本社会の結婚規範(「何歳までに結婚しなければならない」)に反感を持ち、海外に出てきたはずの女性が、現地人男性が相手となると、一変して結婚志向、専業主婦志向になることである。
(p.149)

 総じて言えば、海外で「結婚未満」に陥る人々には、「結婚によってすべてを変えなければ」「そのためには同居し、子どもを産まねば」という発想があるようである。日本にいても同じような行動を取る人もいるだろうが、同時に、日本にいればそのようなことはしない人が、海外に来て、価値の低下、キャリアプランの行き詰まり、ロマンスと見まがう機会などに行き当たるうちに、いつの間にか自分の人生の目的を追うことを放棄し、社会の周辺にいる現地人との関係にすべてを賭けているケースも多いと思われる。
(p.151)

コモン・ローは、日本における「事実婚」「同棲」「内縁」の後ろめたいイメージとはまったく異なり、少なくとも12ヶ月間継続して事実上の婚姻関係を持って暮らしたカップルが、州政府に申請できる、夫婦と同格の法的関係である。
(p.154)

 カナダ政府は2008年3月の時点で、親権に関する620件以上の国際誘拐を扱っていたが、うち日本との間のケースは29件で、国別の未解決事件数においては最多である。このことからカナダ政府は日本政府に、ハーグ条約への批准を強く求めており、日本政府もこの要請を受け入れる方向にある。
(p.160)

 なお、他の主要な民族集団に比べ、今日にいたるまで日系移民の「人数が足りない」最大の理由は、「呼び寄せ移民」をしないことだろう。
(p.184)

 また、たとえ関心を持つ場合でも、移民は一時滞在者の目には「異質な日本人」として映るようである。
(p.197)

 こうして多くの一時滞在者は、「コミュニティ」に入ることなく、それはつまり「日系人」としての自覚を持つことなく、カナダで個人的な模索を続ける。永住権を取ろうと取るまいと、彼ら・彼女らは「日系人」ではなく「日本人」なのであり、「コミュニティ」の一員ではなく「個人」なのである。
(p.200)

 一方女性には、基本的に、男性に護られるべき「ユニークで美しい日本」を体現する役割が期待されていたと考えられる。
(p.206)

 こうして西洋化が女性にも及んでいく中、「英語」も「女性」と強い連想を帯びるようになっていく。その最大の理由は「女子への英語教育」の興隆であり、これには二つのルートがある。宣教師たちによるミッション系女学校と、津田梅子の英学塾である。
(p.207)

(ちなみに私の勤める大学は、受験の段階からして男子が女子に比べ目立って少ない。なぜかと思うか、ある日乗り合わせたタクシーの運転手さんに聞いてみると、「そりゃおたくの大学は、英語ってイメージがありますから」。実際には当学では、英語教育プログラムはカリキュラムのごく一部にすぎず、しかも「英語で」調査や発表のスキルを学ぶためのものなのだが、若い男性が「男のコケン」のためにそこまで英語を避けねばならないとしたら、なんと気の毒なことか)。
(p.210)

長時間労働、滅私奉公といった「男並み」の労働者に女がなることを目指すのではなく、男が「女並み」になることを目指すべきという、社会学者・上野千鶴子による一連の議論があるが、素子さんの辞職と海外渡航は、まさに「我慢して男並みになる」ことへの拒否と、「女並み」の最大活用といえる。
(p.219)

 だが全体的に女性インタビュイーたちは、仕事上の限界や、親や世間の「目」の息苦しさ、結婚へのプレッシャーへの息苦しさについて多く語るとしても、人生のパートナー(候補)としての日本人男性への不満を語る人は、思いのほか少ない。(中略)よってもし、国際恋愛・結婚に強い関心を寄せる女性がいるとしたら、それは「日本人男子を避けたい」からというよりも、「今は日本を出たい。それには恋愛や結婚が近道(または唯一の道)」と考えているからと想像される。
 上の議論がそう的外れではないことを示してくれるのが、『mr partner』(ミスター・パートナー、1988年創刊)という女性雑誌である。
(p.220-221)

 しかし実際、日本人女性が海外で多くの現地人男性から「愛されている」か、あるいは「うわべだけでない好意的な対応」をされているかは疑問である。同時に、日本人女性のすべてが、交際相手の欧米人男性を「うわべだけでなく」「愛している」かも疑問である。
(p.223)

「日本=女性」のイメージを、近代以降の欧米でもっとも浸透させたもう一つの主要原因は、歌劇『蝶々夫人』(1904年、ミラノ・スカラ座で初演)だろう。芸者とアメリカ海軍士官という、明らかな「無力者と有力者」の組み合わせ、そして女性は心身を捧げた上、棄てられても不平を言うどころか自殺してくれる、というプロットが、当時の欧米で好まれたことはもちろん、今日に至るまで上演が途絶えたことはないというのは示唆的である(この歌劇の欧米での人気は日本にとって「名誉」であるらしく、NHKの「ニューイヤー・オペラコンサート」では、毎年必ずこの歌劇からのアリアが演目に載る)。(中略)この歌劇の生成自体、まさに「欧と米」で、想像上の日本人女性が男性たちの間でリレーされ、性交の末に「殺されて」いった結果といえる。
(p.225)

だが、ここでいう「やさしさ」とは何か。たとえば女性のために男性がドアを開けるといった、ある程度のしつけを受けた男性が皆、条件反射的な行為は「やさしさ」だろうか。カフェや図書館で「日本人?英語を勉強しているの?」と、女性にだけ話しかける人は「やさしい」だろうか。初対面で「家に来ないか」と女性だけが言われ、性行為に誘われることは、「やさしくされる」ことだろうか。
(p.229)

だが憲法で男女平等が謳われ、どちらにも同じ内容の権利と自由が保障されている日本を、上に描写した社会と同列に「男性中心主義」とすることには、違和感がある。
 代わりに有効と思われるのが、「家父長制」である。
(p.235)

女性はヨコに行きやすいけど、タテに行きづらい。男はタテに行く機会はあるけど、ヨコは……あんまり行けない、脱落になる。
(p.239)

興味深いことに、日本で深夜労働に辟易した慎一さんが、その「日本的な、男らしい」働き方を武器に、カナダ移民への道を獲得したのである。そして本人も、カナダで残業することを苦にはしていない。なぜなら日本では人々は「モノを買うために働いてる」けれど、「こっちの人は余暇を楽しむために、自分の生活を楽しむために働く」、つまり二つの社会のでは「働く」意味が根本的に違うと思うからである。
(p.244)

韓国や中国はまた、国民一人ひとりが抱くナショナリズムの強さでも日本を上回るとよく言われるが、留学も移民もしない日本人男性は、自分の生まれた国土に執着するという意味で、これらの国の男性たちよりはるかにな諸なりスティックだといえる。
(p.246)

近代になると、目標達成のために懸命に働く産業労働が入ってきたけど、それでも日本人自身は、欧米人が感じるほど労働が苦役ではない。自分たちのことをワーカホリックなどとは思ってもいないでしょう」と言う。
(p.264)

 もう一つ、日本に生まれ育った者が「シティズン(シップ)」概念を理解しにくい背景には、何を持って「一人前」とするかにおいて、日本では政治活動よりも経済活動が重視されることもあるかもしれない。
(p.288)

あるいは同じ北米人でも、アメリカ人のセルフ=エスティームの平均値は、カナダ人のそれより高い――あるカナダの心理学者によれば「危険なほど高い」――から、アメリカ心理学を基準として「セルフ=エスティームが低い」人々を問題視するのは、それこそ問題だろう。
(p.303)

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