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対話395 中村 元 『ブッダのことば―スッタニパータ』

2011.12.19.15:09



読書時間:1時間
個人的読みやすさ:B


436 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は愛執といわれる。
437 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情とである。
(p.75)


 キリスト教における七つの大罪は文化メディアの力もあってすごい有名になっているけど(傲慢・嫉妬・憤怒・怠慢・強欲・暴食・色欲)、仏教にもそれに対応するものがあるんだよという引用文。こちらはそれぞれに対応するシンボルをとった7つの大罪と違い(たとえばレヴィアタン=嫉妬のように)、メタファーを軍隊としていて、いろいろな欲望がいろんな形でどどどどどーって感じで攻めてくるのを表現しているようで面白い。

 7つの大罪と比較すると、
第一の軍隊(欲望)はマモン(強欲)と対応し、
第二の軍隊(嫌悪)は対応者なし。
第三の軍隊(飢渇)はおそらくベルゼブフ(暴食)。
第四の軍隊(愛執)はアスモデウス(色欲)とも取れるしレヴィアタン(嫉妬)とも取れる。
第五の軍隊(惰眠)はそのままベルフェゴール(怠惰)に対応し、
第六の軍隊(恐怖)は対応者なし。
第七の軍隊(疑惑)も対応者なしで、
第八の軍隊(強情)はルシファー(傲慢)に対応する。

 こうして見ると、それぞれの宗教が重要視している価値観が明確になってて、しかもちょっとゲーム的ですらある。仏教だと憤怒はそのままの形では軍隊に入らないんだなー。


45 もしも汝が賢明で、協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、一切の危難うち勝ち、こころ喜び、念いをおちつけて、かれとともに歩め。
46 しかしもしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならば、あたかも王が制服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。
(p.17-18)

261 博愛と、技術と、訓練をよく学びうけていること、弁舌巧みなこと――これがこよなき幸せである。
(中略)
263 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為――これがこよなき幸せである。
(p.50)

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつよめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことを為さないということに熱心であった。かれらが世の中にいた間は、この世の人びとは安楽に栄えた。
(p.55)

286 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。定められた時に托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くならば、執著に縛られるからである。それ故に諸々の目ざめた人(仏)は時ならぬのに出歩くことはない。
(p.68)

436 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は愛執といわれる。
437 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情とである。
(p.75)

611 身を享けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。
(p.113)

650 生れによってバラモンなのではない。生れによって非バラモンなのではない。行為によってバラモンなのである。行為によって非バラモンなのである。
(p.117-118)

修行僧よ、たとえばニラッブダ地獄は一つのアババ地獄に等しい。修行僧よ、たとえば二十のアババ地獄は一つのアハハ地獄に等しい。修行僧よ、たとえば二十のアタタ地獄に等しい。修行僧よ、たとえば二十のアタタ地獄は一つの黄蓮地獄に等しい。
(p.121)

796 世間で人が勝れているとみなすものを「最上のもの」であると考えて、諸々の見解にとどこおり、それよりも他のものはすべて「劣っている」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。
(p.149)

805 人びとはわがものであると執著した物のために憂う。(自己の)所有したものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅すべきものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。
(p.151)

812 たとえば蓮葉の上の水滴、或いは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。
(p.152)

832 (特殊な)哲学的見解を保持して論争し、「これのみが真理である」と言う人々があるならば、汝はかれらい言え、――「論争が起っても、汝と対論する者はここにはいない」と。
(p.154)

870 「快と不快とは接触を縁として起る。接触が存在しないときには、これらのものも存在しない。生起と消滅ということの意義と、それの縁になっているもの(接触)を、われは汝に告げる。」
(p.160)

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと観相と星占いを行なってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や 医術を行なったりしてはならぬ。
(p.168)

1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、――これが避難所にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死の消滅である。
(p.192)

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