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対話396 西尾維新 『鬼物語』

2011.12.19.15:27



読書時間:1時間半
個人的読みやすさ:A


「色々足りないって気がするんだよな――誰かに何か、抜け目なくやられてるような――今までみんなで頑張って誤魔化していたことを、うまくやっていたことを、暗黙の了解で見過ごしていたあれこれを、さながら重箱の隅でもつつくかのように、端から端まで徹底的に糾されていっているような――」
(p.272)


 幻想の破壊。

 このブログは読書感想文というよりは読んだ本から何か考えたことを書いたりすることを主な目的とするブログなので鬼物語についての言及はここでは書かない。今ここで書きたいことは、この本で描かれているような、「共同幻想の破壊」つまり「今までの物語の破壊」ということが、この世界では割と頻繁に起きている――それどころか、むしろ世界とはそれの繰り返しなのではないのかということの指摘である。

 人が1人いれば物語は生まれるけど、それが受け入れられないと共同幻想としての物語にはならない。でも、一度共同幻想となった物語はそこそこの耐久力を持ってこの世にとどまる。少なくとも特に何もないで自壊するほど弱いものではまるでない。

そんな共同幻想としての物語がどのような時に破壊されるのかといえば、当然外部からの情報である。宗教にたとえてみよう。1人の思想家が今までついていた宗派から分離して、自分自身の物語=宗教をつくろうとする。そこに誰かが共鳴して入る。この時点で共同幻想は成立する。成立した共同幻想はしかしまだこの時点では教祖と1人の信者という2人の間でしか成り立っておらず、しかもこの宗教に対する社会的な視線が厳しい日本においてその耐久性はまるでない。

 だからこそ、もっともらしい理屈(脳科学的な説明ももちろんこのうちに含む)やら内側に引きこもって社会と断絶するやら、ありとあらゆる技法をつかってその共同幻想を保とうとする。もはやこの関係性において、主役は教祖でももちろん信者ですらなく、その関係性の中で産み落とされた共同幻想そのものである。

 しかしそれはおそらく社会的に、というか普通に考えていつまでも耐久し続けるかといえば疑問である。そもそも人数が多くなればなるほど外からの耐久度がもろくなるのが幻想である。内側からは暗黙の了解で見逃されていたものでも、大きくなればなるほどボロも大きくなり、それは外部からの格好の餌になる。そしてだんだんとその物語は破綻していく。

 これをずっとずっと繰り返しているのが文化というものなのではないかと思うし、哲学はこのサイクルに乗ってしまわないようなものを探求しているように僕の目には映る(哲学という言葉ですべてをまとめてしまう我ながらこの強引さ!)。その外からの指摘を無粋ととるかそうではないかは各個人に任せる問題として、僕自身はこの「幻想解除」「解呪」という営みについてもっと今後も思索を深めていきたい。


「(前略)恩を返してもらったというよりは、更に恩を着せてやったという感じかな……、随分な厚着だね、鬼のお兄ちゃん。でもまあ、ちょっとはすかっとしたか」
(p.57)

 報告することが恋人同士、パートナー同士の誠意という気もするけれど、それって単に、話して僕が楽になりたいだけというような気もするし……、罪(?)を告白することで、相手に『許す』という負担を強いるくらいだったら、僕の胸にしまっておいたほうがいいのかもしれない。
(p.57-58)

「状況ね……、ああ、そう言えば聞いたことあるぜ。現代ではある程度は、天候を操ることができるって……、飛行機とかで雨雲を移動させて、無理矢理晴れさせたり、無理矢理曇らせたり、雨を降らせたり……、まあ遺伝子操作ほどでないにせよ、どこか人間の領域を超えた技術って気がするのは確かだ。それが『奇跡』って意味の、裏っかわかな」
(p.88)

「神様というのは、そういう意味では勝手なもんじゃの――信じる者は救われるとか言って、信じる者しか救わないのじゃから。」
(p.95)

「悪魔と遊べば悪魔になる――ならば。
「神と呼ばれれば神になる。
(p.100)

「信じる者は救われるというさっきの言葉は、存外、救われたから信じるという、後出しジャンケンのような形で語ったほうが、ひょっとすると真実には近いのかもしれん。
(p.113)

「つまり、吊り橋の上だったり何だったり、命の危険を感じる状態に追い込まれると、生物は子孫を残そうと、恋に落ちやすくなる、とか。
(p.155)

「生活にパターンを作ると危険だというのが、お姉ちゃんの持論でね」
(p.217)

「だけどね、これは何も怪異の話に限ったことじゃなく、日常生活全般について言えることなんだけど、誤解を解く努力をしないというのは、嘘をついているのと同じなんだよ。
「『誰にどう思われてもいい』『誰にどう思われたって構わない』という、一見自由奔放で尊重すべき振る舞いは、『誰だって騙してやる』と言っているのと同じだ。
(p.242)

「色々足りないって気がするんだよな――誰かに何か、抜け目なくやられてるような――今までみんなで頑張って誤魔化していたことを、うまくやっていたことを、暗黙の了解で見過ごしていたあれこれを、さながら重箱の隅でもつつくかのように、端から端まで徹底的に糾されていっているような――」
(p.272)

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