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対話400 ウィリアム・ハート 『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法 』

2011.12.21.16:50



読書時間:1時間
個人的読みやすさ:A

――でも、心は全身にあると?
 そうです。全身に心があります。からだ全体にです。
(p.37)


 無意識というのは現代社会においてまったく神みたいな扱いを受けているし、みんな神みたいに利用しているなあというのが最近の雑感なのだけど、その無意識の表出において「身体」を挙げて、それを観察することで無意識とうまく向き合うようにする、というヴィパッサナー瞑想の基本姿勢は面白い。特に僕みたいな「無意識≒夢などのイメージ」と捉えてような人間にとっては弱い視点だったため、ひとつの価値観として採用する価値があるなと思う。

 また、概念としてその価値観を採用しようとする際(この場合であれば無意識=肉体)、体験ベースでそれを実感できるスキルの存在が必要不可欠だ。ちょっと前の投稿でも挙げたのだけど、「直観なき概念」は空虚である。ある意味宗教というのはこの直観の部分を瞑想などに代表されるプラクティスによって、そしてそこに宗教的な意味での「概念」を付与させることを目的とした機構とみなすことができるだろう。尤も、宗教的な側面しか「概念」の中に含まれていなければ、それはやはり盲目であり危険性を大いにはらむことにはなると思うが。

 瞑想をつづけていると、あるときから力まずに精神集中ができるようになる。(中略)もう施設の不備など気にならない。規則はかえっていい味方であることがわかる。
(p.7)

この道は自己浄化の道でもある。いたずらに知的好奇心を満足させるのではなく、はっきりした目的を持って自分の内なる真理を見つめてゆくのだ。自分自身を観察していると、はじめて自分が反射的に反応していることに気がつくだろう。
(p.18)

ブッダの教えを修行するためには、かならずしも仏教徒になる必要はない。
(p.20)

だれでも病気になれば病院にいきます。だが一生病院にいるわけではない。病気を治すために病院に行き、健康になったら病院に行きます。だが一生病院にいるわけではない。病気を治すために病院に行き、健康になったらまたもと通り働くでしょう。同じように、心の病を治すために瞑想コースへ参加するのです。心が健康になったらまたもとの生活にもどり、自分のため社会のために働けばいいのです。
(p.22)

 ブッダは物質世界がすべて、パーリ語でカラーパという「分解できない極小単位」から構成されていることを発見した。(中略)ところが実際、ものはみなカラーパという微粒子から構成されており、そのカラーパはたえず生まれては消えるという。つまり、連続的な波動の流れ、絶え間ない微粒子の流れ、これが「もの」の究極の真相なのである。
(p.32)

 ブッダはからだを観察しながら、心も観察した。そして、心が意識(ヴィンニャータ)、知覚(サンニャー)、感覚(ヴェーダナー)、反応(サンカーラ)という、大きくわけて4つのプロセスから成り立っていることを発見した。
(p.33)

運命というと人間の力ではどうにもならないもの、あらかじめ各自に課せられた天命、というような意味になる。しかし、カンマの原義は「行為」であり、自分の行為が自分の体験の原因になるというのである。
(p.44)

――苦しみを体験することによって人はたくましくなり、人間として成長するのではないでしょうか?
 そうですね。実際、この瞑想法も苦しみを使って心のきれいな人間を作ろうとしています。しかし、それも自分の苦しみを客観的に観察できるようにならなければうまくゆきません。苦しみに執着しているうちは心の清らかな人にはなれないし、苦しみから解放されることもないのです。
(p.50)

瞬間的な心の反応が無意識にくりかえされてゆくうちに、一瞬一瞬つよくなる。やがて、あからさまな欲求や反発になり、さらに執着となる。つまり、執着というのはつかのまの反応が大きく成長していったものにすぎない。
(p.60)

 「自己」という幻想の消滅、いっさいの苦悩の消滅です。「涅槃」(ニッバーナ)という言葉はもともと、炎の消失、を意味します。
(p.71)

 世俗の暮らしをする一般人が、正しい言葉と正しい行為を修行する方法は、つぎの「五戒」を守ることである。
 1 生き物を殺さない。
 2 盗みをしない。
 3 性的なあやまちを犯さない。
 4 嘘をつかない。
 5 酒類をとらない。
(p.83)

――正しい性と間違った性があるということですが、その違いは何ですか?意思が問題なのですか?
 そうではありません。生活の中で、性というのは正しい位置付けをされるべきです。それを抑圧してはなりません。むりに抑えれば緊張が高まり、むしろ問題を引き起こします。しかし一方で、衝動のおもむくまま、誰かれかまわず交渉をもつことは、欲望を野放しにすることです。(中略)魂の成長を妨げない健全な性の姿、それは、ひとりの男性とひとりの女性が高いに相手だけを生涯のパートナーとする関係です。
(p.88)

――肉食はシーラを破ることになりますか?
 いいえ、自分で生き物を殺して食べるのでなければ。たまたま肉料理が出され、ほかの料理同様に食べるなら、それだけではシーラを破ることにはなりません。
(p.90)

このような、いわゆるESP(超常感覚)の体験は、精神集中がかなり深いレベルに到達したことを示しているに過ぎない。そういう体験はあまり重要ではない。
(p.107)

――バランスを保って、無になれ、ということかと思っていました。
 心のバランスが取れていると幸せになれる。無になるのではありません。バランスのとれた心は前向きな心です。
(p.114)

 人生は動き出してしまった。そこから逃げることはできない。
(p.134)

ヴィパッサナー瞑想の最大の目標は、いかにして反応しないでいるか、いかにして新しいサンカーラをつくらないか、を学ぶことである。
(p.137)

――自分がつくり出した間隔ではないということはどうしてわかるのですか?
 それはテストをすればわかります。ほんとうの感覚かどうかあやしいと思ったら、2つ3つ命令を出して、自分に暗示をかけてみるのです。命令にしたがって感覚が変化するようならば、その感覚はほんものとはいえません。
(p.139)

人生のパターンを、後ろ向きの「反動」から、前向きな「行動」に変えていくのです。
(p.141)

 浄化のプロセスを始動させるには、文字どおりなにもしてはいけない。
(p.155)

――精神分析とヴィパッサナー瞑想を比較するとどうですか?
 精神分析では、強いショックとなって心の条件づけをしたような過去の出来事を思い出させるのですね。ヴィパッサナーでは瞑想者がみずから自分の心の深層、心の条件づけが実際に生じるところにまで至るのです。精神分析によって思い出すような過去の出来事はからだの中になんらかの感覚を刻みこんでいます。全身の感覚を平成な心で観察してゆけば、何層にも積み重なった無数の条件づけが一枚一枚はがされては浮かび上がり、つぎつぎに消えてゆきます。ヴィパッサナーは心の条件づけの根元にはたらきかけるので、はやく用意に自己を解放することができるのです。
(p.184)

またヨガにヴィパッサナーを取り入れても構いません。たとえばポーズを取って、同時に全身の感覚を感じるのです。ヨガだけをやるよりもずっと効果が上がります。ただし、マントラやイメージを使ったヨガの瞑想法はヴィパッサナーと相いれないものです。そういうものとヴィパッサナーを一緒にしてしまってはなりません。
(p.198)



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