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対話401 ジョージ・E. マーカス, マイケル・M.J. フィッシャー 『文化批判としての人類学―人間科学における実験的試み』

2011.12.22.14:15



読書時間:4時間
個人的読みやすさ:D


アメリカでは、すでに見たように、相対主義が一般的な指導概念となった。この概念が、様々な移民から形成されているこの社会に適応したのである。一方イギリスにおいては、合理性の検討が同様に一般的なテーマとなった。おそらくは比較的階級意識の強いこの社会に適合したのであろう。
(p.239)


 どんな思想もある背景から生み出されていて、その背景を共有していないところには響かない。思想はまずその前に経験が先立っていて、そのあとから思想という体系が紡がれるのだから、これは当然といってしまってもよいと思う。アメリカでいえば相対主義が出てくるのは確かに必然のように感じるし、イギリスにおいて合理性が、という指摘ももしかしたらそうなのかもしれないなという気持ちにさせてくれる。

 それでは翻って日本ではどのような思想が?という疑問が次に出てくるのだが、これはどうだろう。相対主義も合理主義ももちろん部分的には取り入れられているし、その言葉が持つ説得力はすさまじいので頭の中では採用しなくてはという気持ちになる。しかしながら人種問題への問題意識が弱い日本において相対主義がアメリカのように行われるかといえば実践ベースがかけているために無理かなと思わざるを得ないし(これから変わってくる可能性はあるけど)、かといって階級意識がそこまでない気がする日本において合理主義が……というのもちょっと微妙だ。というか日本において合理主義が実権を握ったことは少なくとも社会文化レベルでは一度もない気がする。合理主義はそのお題目にそぐわず、あまり日本では採択されない思想だと思う。

 では日本文化としての特徴はどこにあるのか?ということを考えたときに「平等思想」とかそういうものに行き着きそうな気がする。「事なかれ」とかあるいはつーかーの仲的な、テレパシーじみてる暗黙の了解的文化。経験知的な文化といってもよい。

 じゃあそこからどのような生産的な思想が生まれてくるのか?あるいはそれをどう生産的な思想とさせていくのか?というのが次に生まれてくる疑問だ。たとえば「経験知」という言葉は近年少なくともビジネス界隈で使われ始めた言葉で、ある程度何かにコミットメントすることからくる言葉にはしづらい感覚をかっこよく見せ、それを再認識させる言葉だけど、こういう風に「日本人は議論が弱い」とか「出るくいは打つ文化」とかそういう風に自虐的にあるいは嗜虐的に中傷してみせるより、そこからどのようなおいしい利点、言い換えれば「長所」を見出してうまくラッピングし、それを強化する方向にもっていくかというところに注力したほうが望ましい。短所を変えるのは難しいが、長所を伸ばすのは簡単だし確実性がある。

 日本全体が今持っている長所を改めて認識し、それを手垢のついた言葉で表現するだけではなく、今風の「なんかちょっとかっこいいじゃん」って言葉で表現したり、それを編集しなおしたりする人および技術、レトリックが今求められている。

一番気にかかるのは、彼があれほど擁護している人々、つまり西洋人の対象となってしまった人々のあいだにある政治的もしくは文化的差異区分を彼は一つも認めていない点である。彼等は、他の西洋人が書いたあらゆるテクストと同様、サイードのテクストのなかにも相変わらず独立した声を持ちえてはいないのだ。
(p.23)

つまり人類学にあっては、海外において対象を描くという伝統的にこれまで強調されてきた役割が、最近劇的な転換を迎えつつある。その場合、現代の状況にみあうように文化人類学を完全なかたちで用いようとすれば、そういった海外での転換に遅れないように自国での批判的役割を人類学が躊躇なくはたしうるかどうかが問題になってくる、と。
(p.27)

 ホワイトによれば、歴史的(あるいは人類学的)な作品はいかなるものであれプロット化、論証、イデオロギー的含意を示す。
(p.40)

 世界を見るためには宝石商人のような目がだから今緊急に求められているのであり、まさにその点においてこそ現時点での文化人類学の強さと魅力がある。
(p.45)

 1920年代から1930年代にかけて、アメリカの文化人類学は文化相対主義を、イギリスの社会人類学は機能主義を、それぞれ統一視点として進んでいった。
(p.52)

文化人類学は経験的裏づけに富み、倫理色の強い相対主義をもたらした。この相対主義によって人類学以外の社会科学研究は次のように攻撃された。つまり、科学とは一般化し法則を発見するものだと考えすぎたために、社会科学研究は人間の多様性をせばめ、無視してしまいがちである、と。
(p.53)

 第三に、最も重要なことなのだが、民族誌は、専門の人類学者が自らの経歴を歩みはじめ、それなりの評価を確立するための入門式のような行為となっている。かけだしの人類学者はすべて外国での言語、文化、生活環境の中でのフィールドワークをできたかどうかでふるいにかけられるべきだと見なされており、こういった期待にどれほどの意味がこめられているかはいくら強調してもしすぎることはない。というのも、彼らが後に何をするにしても――人類学には他のいかなる分野よりも様々な活動を受け入れる余地がある――民俗誌を書いたという仲間意識を、しばしばロマン主義的な思い出と共に、全ての人類学者が共有しているからである。民族誌の特質をめぐるこの何の根拠もない同意は、過去十数年にわたって人類学内部の激しい批判にまっこうからさらされてきたのであり、この批判は現在書かれつつある民族誌の書き方にいまでも衝撃を与えつつある。
(p.56)

世界中の民族の文化は、その民族が変動する歴史的環境のなかで自らを再創造していくにつれて絶えず再発見される必要があり、特に信頼できるメタ物語の主題やパラダイムを欠いた時代にはそうなのである。
(p.60)

機能主義は特に好んで次のような問題を明らかにした。表面に現れた経済的制度は実際にはどのように親族あるいは宗教によって構造化されているのか、どのようにして儀礼システムは経済的生産を刺激し、政治を組織するのか、いかにして神話は、荒唐無稽な話や思いつきなどではなく、社会関係をコード化して規則づける指針図であるのか。
(p.66)

クリフォード・ギアツが結局そう結論せざるをえなかったように (1973c)、人類学者は、ひとつの文化において彼の注意を引きつける何かを選び出し、そのうえで細部を埋めていって記述としての完成度を高めて、その結果彼自身の文化に属する読者たちにその記述された文化における意味について語るのである。このひいでて実用主義的な解決法にあたっては、民族誌は、うまくいけば文化的コード間の会話になるし、へたをしても聴衆の知的水準をみたすスタイルと内容を持つ一般公園を活字化したものにはなりうる。
(p.69)

これまで相対主義は、解釈の過程それ自体にたいする方法や反省であるというよりは、ひとつの主義と考えられていた場合が大方。そのため相対主義は特に批判にさらされやすかった。すべての価値システムは同じ正当性を持っていると主張する相対主義はそのために道徳的判断を不可能にしてしまったという批判や、人間科学のなかでも執拗に文化の根本から尊重したために、あらゆる科学の発展の基盤となるべき一般化の図式を相対主義はすべて無効にしてしまった、という批判にさらされたのである。
(p.73)

民族誌は、相対主義ならびに解釈学的人類学を実際に具体化したものとして、社愛しそうにみられる次のような現実観をすべて攻撃する。すなわち、西洋世界を源として広まる世界規模の同質化から見ることがいまだ特権的な利点であるために、一般化や普遍的価値を主張することはいまでも力を持っているわけだが、その力に頼るあまり文化的多様性をよく考えもしないで見落とし、還元してしまうたぐいの現実観を攻撃するのである。
(p.74)

誰が言い出したのかは知らないが、民間伝承の専門家のあいだでは、民族誌学者が尋ねるとアメリカ・インディアンのインフォーマントがアルフレッド・クローバー[アメリカの文化人類学者、資料の収集を第一の中心課題にした]の本を持ち出してきたという話や、同じような状況でアフリカの村人がマイヤー・フォーテス[イギリスの社会人類学者、アフリカのタレンシ族の研究が有名]の本のコピーを探してきたという話が多々ある。
(p.80)

だからこそ民族誌は、それが対象とした人々が置かれた歴史的文脈をこれまでよりさらに正確に把握できなければならないし、フィールドワークが通常行なわれる地域レベルにおいて、個人とはかかわりのないところで進行している世界規模の政治的、経済的システムが、いかに内在的に作動しているかを記録できなければならない。
(p.85-86)

 実験的な民族誌を共感とともに読む者にとって細部まで読むのは、何か新しいパラダイムを見つけ出したいからではなく、自分とは異なる調査研究状況から生み出された発想、修辞学的手段、認識論的洞察、分析戦略を汲みあげてみたいからである。(p.89)

 マリノフスキーの描写力、エヴァンス=プリチャードの構造分析、そしてヴィクター・ターナーの劇という枠組、これらはすべて現在民族誌を書いていこうとするうえで今でもなお強力な指針となっている。
(p.117)

サモア人の言語には「人格、自己、性格」にあたる言葉がない。われわれが言うようなソクラテス的な「なんじ自身を知れ」にかわって、サモア人は「人間関係を大切にせよ」と言う。いかなる切断面もない球体のような、閉じられ、統合された人格というヨーロッパ的イメージにかわり、サモア人の人格は数多くの面にひとつひとつカットされた宝石のようなものである。
(p.131)

 対話はモダニストの関心に合致し、彼らのあいだで普及した隠喩である。不当にもこの隠喩は、あまりに字義通りに受けとめられたり、本質的なものだと見なされて哲学的に抽象化されてしまうこともある。しかしながら、テクストの内部に多元的な声を現前させ、多様な視点から読むことができるようにしようとする実践的な努力をこの隠喩は意味してもいる。
(p.137)

 フィールドで研究されている人々による音声的語りとは別に、第三世界のほとんどの地域においては小説や文学作品が現代豊富に書かれている。そういった作品もまた民族誌と文学批評を結合させる分析対象となりつつある(例えば Fisher 1984を見よ)。
(p.147)

 そもそも民族誌において映像媒体への関心が生れたのは、1930年代にアメリカで隆盛したドキュメンタリー的な写実主義へ期待がよせられたためである。
(p.148)

 解釈学的民族誌に常にむけられてきた反論とは、現地人の観点をできるだけ豊かに描き出すことだけを優先したために、権力、利害関係、経済、歴史的変化といった「冷たい」、「ハード」な問題を除外したというものである。
(p.151)

たとえ彼等の記憶形式がわれわれのものと合致しないとしても、彼らが「歴史を欠いている」わけではないのだ。彼は、イロンゴット族のあいだで起こる反目関係の力動性を記述するために、繰り返しながら発展する歴史周期なる概念を用いており、周期、すなわち社会過程の反復とは何か、変換、すなわち歴史的に決定された変化とは何か、を問題にしている。
(p.189)

 それぞれ相異なった説明を突き合わせることによって、首狩の時期と平穏な時期が交互に入れかわっているという全体図が浮かびあがってくる。これによって、なぜ違う時期に外国から来たイロンゴット観察者が、首狩が消滅した時期に居合わせたと感じたのかがわかる。彼等が実際耳にしたのは、イロンゴット族の領域で盛衰していったスペイン、アメリカ、フィリピン政府といった権力にたいして、どのように彼等が対応したかをめぐる逸話なのである。
(p.190)

だからトドロフはこう結論づけている (p.254)。「いかなるものであれ自文化が持っている特長の相対性(つまり恣意的であること)を意識するようになることは、すでにその特徴を少し移行させていることなのである」。「[歴史]とは一連のこのような知覚不可能な移行に他ならない」。歴史に深い関心を払う民族誌がやらなければならないのは、日常生活の細部にみられる構造の移行を認識することである。
(p.201)

しかしわれわれとしては、外国で仕事をし、その後自国にもどってくる場合の方がはるかに興味深い。というのも彼等は、文化批判の発展は他所における研究と深く結びついていることを最も大きな潜在的可能性として捉え、それに従って自国で自ら置かれた状況の意義を明確にしているためである。
(p.211)

「システム」が明確に理解できるという考え方はゆっくりと消えてはてていった。このように、いまでも知的生産の資本となっているが、もはや手痛いデフレをこうむっている諸概念の余波のなかに生きているといった感覚を示す最たるものは、先に述べたように、現代を語る際に、パラダイムとなるような用語や実証的な擁護ではなくて、「ポスト」という再帰的な接頭辞を用いる慣行である。
(p.221)

ジェイムズ・クリフォード (1981)は、シュールレアリストの運動と人類学者の民族誌に共有されている現代的な「民族誌学的なシュールレアリストの態度」には三つの大きな特徴があると示唆している。第一に、「文化とその規範――美、真実、現実――が人為的成物であり、それぞれ別個に分析し、有りうべきもうひとつの構成物と比較することが可能であると見なすのは、民族誌学的態度な態度にとって決定的であり」、文化はいかに構成されたものであるかを問う現代の記号学的認識の基礎となっている。第二に、もうひとつの新年、もうひとつの社会形式、もうひとつの文化はすでに不可避的に獲得可能であるために、「他者」の研究が現代意識のなかで中心的な位置をしめるようになり、自文化にたいするアイロニックな態度がそれによってうながされた。第三に、シュールレアリストと人類学はともに、文化とは様々なかたちの解釈のなかでせめぎあっているひとつの現実であると見なすようになった。
(p.229)

芸術手法としてのシュールレアリスムは、現代生活を解放するための提言であり、文化批判を訴える言葉を用意し、さらには文化とは変更可能であり退行しうるものであるとする見方への道を開いた。しかしそれは遊戯的であり続け、社会学的な批判に根ざしてはおらず、自民族中心的にヨーロッパ人の関心にばかり焦点をあて、自らの認識論的立脚点にたいする反省を欠くきらいがあった――体系的な文化批判というよりは記号学的なゲリラ戦を行なったのである。シュールレアリストと対話することでこの世に登場した民族誌学者たちには、それでもなお二重の遺産が残されている。第一に、民族誌学的方法にひそむ批判への可能性を引き出そうとすれば、現代における現実認識とは代替可能な複数の文化的視点を常に並置させることであると人類学者は了解する必要がある。この場合これらの文化的視点は、たんに同時的に存在しているものではなく相互作用を起こしており、しかも静的な断片としてではなく人間によって構成されたダイナミックなものなのである。第二に、文化を創造的能力によって柔軟に構成されたものと見れば、民族誌学者は自分が採用した表象手続きを公開しなければならんくなり、自分が用いる書法に自覚的にならざるをえなくなる。そうすれば究極的には、自分のテクストのなかに他者自身による声(対象となった人々の声)を響かせる可能性があることを民族誌学者は気づくようになるのである。
(p.231-232)

(ロバート・カントウェル)「コミュニティにとって最も実りある態度とは、常に小さき人々から生れるものだ」。
(p.234)

 要約すると、1920年代から30年代にかけてのアメリカの文化批判が実験的であったのは、ドキュメンタリー的な表象化を目指し、しかも異文化における民族誌の対象を自国の状況に並置させるという人類学の動きが始まった点においてである。アメリカの文化批判は、同時期にヨーロッパで別個に進められていた様々な批判にみられた理論的想像力を欠いており、現実をドキュメンタリーとして記録することは技術的にはまったく問題ないと仮定していた。これこそがまさに問題であると考えていたシュールレアリストとは対照的である。
(p.236)

それらは様々な方法で独自の認識論的批判を提出している。広範にわたる理論的提言(サーリンズ)、異文化にたいする民族誌学的研究の結論の章や中心からはずれた章における認識的批判の提示(ギアツ)、異文化研究のなかで発展させた方法によってアメリカ文化を研究する試み(シュナイダー)、時宜をえた問題を正面から取り上げた作品(ダグラス)、である。
(p.259-260)

 それゆえ人類学がやらなければならないのは、おのおの固有の意味構造を露呈する文化を記述することである。(中略)異文化における意味の深層構造さえ調査できないために、人類学は自文化における理解様式を十分かつ批判的に解釈することなど決してできなかったのである。
(p.261)

サーリンズは、彼流の洒落を用いて言えば西洋(ウェスト)とそれ以外の社会(レスト)と言える区別を絶対化してしまう西洋志向の誤った分類を強化して終わっている。
(p.264)

しかし文化批判にとって最も重要な対象は、これまですでに範囲の限定されたこうした問題ではなくて、大衆文化形式や、それよりは幾分試験的なのだが、主流である中流階級の人々の生活などの研究である。
(p.278)

「人類学とは、異なるものを非情なままに集めていくことではなく、自己反省と自己成長のために文化的豊かさを用いていくことである」。
(p.339)

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