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対話404 地橋 秀雄 『ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』

2011.12.23.00:52

 ヴィパッサナー瞑想の効果を三つに大別してみました。
☆能力開発系
 *頭の回転が速くなる
 *集中力がつく
 *記憶力がよくなる
 *分析力が磨かれる
 *決断力がつく
 *創造性が開発される

☆経験事象の変化系
 *現象の流れがよくなる
  ・トラブルが解決する
  ・人に優しくされる
  ・健康になる

☆心の変化系
 *苦を感じなくなる
 *怒らなくなる
 *不安がなくなる
  ・根本的に解決する
 *執着しなくなる
  ・静かに達観する
(p.7-9)


 能力開発と呼ばれる分野のものを実際にいくつかやった経験を踏まえて言うと、それらの効果の多くは心理療法的な効果を伴っているということだ。

 それは別にイメージを使うものにしてもこの本で紹介されているヴィパッサナー瞑想にしてもそうなのだが、一応主眼としては能力向上だったり悟りだったり、心理療法とはまた別のところにとりあえずのところ本義が設けられている。しかしながらそこには心理療法的な、ゲーム的に言えばホイミないしはケアル、あるいはキアリーまたはポイゾナみたいな効果がある。この心理療法的な効果と、能力向上の効果の関係性に今興味がある。

 つまり、単純に心理療法的な効果をもたらすだけでも全体のパフォーマンスは向上するのではないか?
いや別にこの瞑想にしろ他の方法にしろ、心理療法的な効果以外の何かはたぶんあるんだろう。でもそれはもしかしたら心理療法的なものとなんらかの関係がある。もっといえば、心理療法的な効果のない能力開発法(とうたわれているもの)はないのではないか?あるのだとしたら、たぶんそれはあんまり効果が感じられないものに違いない。

 心理療法的な、HPだかMPだかを回復させることはそのままその人が扱える精神力の数値が増えるということだ。
回復呪文が使えるから相手のところにも無理して特攻することができるというか、そういう構図がもしかしたらこれらの技法に関する文化にはあるのかもしれない。






 ヴィパッサナー瞑想は、原始仏教の瞑想法です。仏滅後500年ほどで大乗仏教が勃興し、仏教は大きく二つの流れに分かれました。私たち日本人に馴染みの深い大乗仏教は、改革派に相当します。
(p.3)

 しかし、サマーディを完成させることは大変難しいので、現代の多くのテーラワーダ仏教の寺では、最初からヴィパッサナー瞑想の本義である「現在の瞬間の事実に気づく」仕事に着手します。
(p.5)

 カンが鈍く、直観がさえない原因は、心が混乱しているからです。
(p.11))

 例えば、典型的なサマタ瞑想のやり方で集中力を特訓し、甲子園で準優勝をした高校の野球部員がいます。それは「残像集中法」というものでした。
(p.13)

 集中力と記憶力は、どのタイプの瞑想によっても向上するでしょう。しかし、こと記憶力に関しては、ヴィパッサナー瞑想のサティの技術が際立っています。ポイントは三つあります。
 一つ目は上述の集中力を強化する流れです。現在の瞬間に徹底して集中するサティの基本技術は、記憶力を確実に増大させるでしょう。サティ(Sati)はパーリ語ですが、英語ではマインドフルネス(注意深さ、心に留めて忘れないこと)と訳されるのが一般的です。(後略)
 二つ目は、サティのダブルクリック(二打打ち)効果です。ヴィパッサナー瞑想では一瞬一瞬知覚されたものを「見た」「開いた」「感じた」「思った」……と言葉確認(ラベリング)していくので、印象が続けざまに二度記憶に叩き込まれるのです。(後略)
 三つ目のポイントは、サティの技術が一瞬一瞬の認知を正確にする点です。サティは、思い込みや先入観を排除して、ありのままの事実に気づく瞑想です。当然の結果として、見る、聞く、触れる……の知覚が正確になり、記憶の質が高められます。
(p.16-18)

 サマーディに容易に入りやすいタイプの人には、「対象と同化しやすい」「一心不乱になりやすい」「ハマりやすい」傾向がみられます。「集中する要素」「対象と同化する要素」、現状を超越しようとする「超越志向的な要素」は、サマーディにもトランスにも共通項として働いているように思われます。
(p.45)

 サマーディの合一感覚に加えて、今の状態を越えようとする「超越」の要素が働かないかぎり、本物の「瞑想」とはいえません。
(p.53)

 しかるに、サマーディには、煩悩の汚れを一時的に遮断する力しかありません。(中略)
 深遠なサマーディに没入すると、その対象になりきってしまうので、自分は悟ったという錯覚が起きるのも自然なことで、高揚した意識が比較的長く続くことはよくあります。しかしそれも時間の問題で、興奮が醒めれば、現実の出来事に対する情報処理のやり方も反応の仕方も、心の基本パターンは何も変わっていないと気づくでしょう。
(p.60)

 こうしたダンマの世界と概念や妄想の世界が混同され、ゴッチャになった状態を「無明」や「痴(モーハ)」と呼び、諸悪の根源と仏教では考えています。ヴィパッサナー瞑想を正しく修行するためには、まずこの「法(実在・真実の状態)」と「概念(イメージ・思考・妄想)」とを明確に識別する仕事から始めます。
(p.70-71)

 サティもサマーディも安定してくると、反応系の心の深層にまで光を差し込んでいくことができるのが、ヴィパッサナー瞑想の優れた点です。反応系の心は基本的に三層構造になっています。
 ①後天的な学習全般で作成されたプログラム(人生観・世界観・価値観・ものの見方)
 ②すり込みのプログラム(決定的な環境因子によって刷り込まれた反応パターン。例えば狼に育てられれば、狼の行動パターンが刷り込まれてしまう。第二の天性)
 ③DNA情報による生命の根源的なプログラム(本能や遺伝子の命令する反応系)
 いわゆる心の洗浄道で、心をきれいにしていく中心になるのは①です。
(p.91-92)

 集中を高めようと強烈な注意が絞り込まれてくると、顕微鏡の倍率があげられるように、知覚対象の精度がアップします。
(p.118)

 このように、初心者でも良い瞑想をするためには、まだ萌芽の段階であれ、七覚支のバランスをとりながら各要素を育てていかなければなりません。互いに拮抗し合い、矛盾しあう「サティ・択法・精進・喜・軽安・サマーディ・ウペッカー」の7つのファクターを統合し、まとめ上げていくのは大変なことですが、それゆえに、性格の異なる因子が絶妙のバランスで整えられた時には、あらゆる局面に対応できる巨大な力を発揮します。
(p.122)

 ラベリングは認識を鋭くするのにも、洞察の智慧がひらめくのにも必要不可欠なので、必ず訓練するものと理解しておいてください。
(p.129)

 ポイントは、かけ声にならないこと。感覚をしっかり実感し、感じ終わってからラベリングすることです。心の90パーセントは実感を感じる仕事に使い、ラベリングには10パーセント程度の配分がよいのです。
(p.130)

 さて、感覚を感じる部位はできるかぎり小さいほうがよいでしょう。
(p.136)

「無執着の心」は、原始仏教の核となるポイントです。欲望や執着があらゆる苦を発生させている、と原始仏教では考えていますが、逆に「無執着の心」が確立されれば、あらゆる苦を滅ぼすことができるのです。
(p.148)

 日本や韓国など禅宗の伝統のある国では、瞑想修行の中心は座る瞑想(坐禅)だと思っている方が多いようです。
 しかしヴィパッサナー瞑想では、座る瞑想と歩く瞑想の間に本質的な違いは何もありません。
(p.160)

「眠気」とサティを入れても消えない理由は、セオリー通りのニュートラルな客観視になっていないからです。
(p.165)

 心随観は難易度の高い瞑想です。
(p.180)

 「音」「妄想」「惑わされてる」などのラベリングは嘘ではなく、事実の一部であったのです。しかし、その瞬間の事象全体を丸ごと客観視するサティではなかったので、音楽を聴きたい欲望の心は続行し、「楽しんでいる」のラベリングでついに正体が白日のもとに晒され、対象化→手放し……とサティの威力が発揮されたのだと思われます。
(p.184)

エゴ性が弱まるとは、具体的には、反応系の心が変わることです。
(p.197)

 自分が欲しいものを否定し、破壊されるのを願い、呪っているのですから、カルマの法則上、自分自身にもその価値あるものは実現されないのです。あなた自身は、容姿端麗にはなれないし、頭は今よりも悪くなるででしょう。
(p.220)

 回避すべき内容は多々ありますが、何よりもまず「悪友を避ける」ことです。
(p.239)

(3)悪を克服する技術
⑥五戒を守る
⑥対抗思念
⑦因果の理解
⑧ざんげの瞑想
⑨美しいサティ
⑩善いものに触れる
⑪あらゆるクーサラ(善行)を行なう――衆善奉行
⑫悟る
(※すべて説明略)
(p.248-266)

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